http://www.asyura2.com/11/senkyo104/msg/821.html
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http://www.youtube.com/watch?v=DvcCr2t1fDI
2年半にわたる市政の混乱は、どんな課題を残したのでしょうか。鹿児島県阿久根市では、16日の出直し市長選で当選した新市長が早速「脱・竹原」に動き始めました
西平良将
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B9%B3%E8%89%AF%E5%B0%86
鹿児島県阿久根市市長。養鶏会社代表取締役。
阿久根市出身、九州大学農学部卒業。
母親は公務員になることを望んでいたが、兄と共に養鶏会社「有限会社グリーン・ポートリーガーデン」を設立し家業を継ぐ。
2009年11月、長男が脳性麻痺であるため、阿久根市長であった竹原信一の障害者に対する差別発言に対して反発[1]。
2010年1月、「阿久根の将来を考える会」の発足に参加。
2010年8月、「阿久根市長リコール委員会」の監事を務める。
2010年9月19日、リコールが成立した場合、市長選への出馬を表明[2]。
2011年1月16日、阿久根市長選挙にて竹原信一を破り初当選[3]。
2011年1月17日、初登庁。当選証書を受け取り市長に就任
選挙:阿久根市長選 候補者の横顔 /鹿児島
http://mainichi.jp/area/kagoshima/news/20110112ddlk46010565000c.html
9日に告示された阿久根市の出直し市長選には新人、西平良将氏(37)と、前職の竹原信一氏(51)が立候補し、16日の投票日に向け激しい選挙戦を展開している。両候補の横顔を紹介する。(届け出順)
◇「対話による改革」を−−西平良将氏(37)=無新
「対立ではなく、対話による市政改革が重要。法を守って粘り強く進めます」。表情は穏やかだが、専決処分を繰り返した竹原信一氏との違いを強調する。
実家は養鶏業。農作業に黙々と励む両親を見て育った。九大へ進んだが母親の「安定した公務員に」の願いに反しあえて帰郷。26歳で兄と養鶏会社を設立、親と同じ道を選んだ。
出馬のきっかけは09年11月、竹原氏のブログ記述だった。6歳の長男は障害児。障害者を人間として扱わないような差別的表現に黙っていられず、抗議に行った。だが謝罪はおろか、話し合いすら拒絶された。
活動はやがて市長解職署名の市民運動に。「末期がんの方がどうしても、と署名をされた。命懸けの願いを無にできない」。活動を始めた責任を果たすため、未経験の政治に足を踏み入れた。
仕事漬けの合間をぬい、三人の子供と遊ぶ時間を作る。「とうちゃん、がんばれ」。長男が一生懸命に書いてくれた励ましを持って、住民集会を精力的にこなす。【馬場茂】
◇「支えあう社会」実現−−竹原信一氏(51)=無前(2)
「職員が市民の3倍もの給料では住民の痛みは分からない」
官民格差の是正は竹原改革の「1丁目1番地」だ。民間所得の低迷が続く中「一人一人が支えあう社会」実現の思いが根底にある。
「『勝ち組負け組』と言われるように金で人間の上下をはかる。それじゃあ何もならない」。市職員のボーナス半減や議員報酬日当制を断行。人件費削減を原資に保育料や窓口手数料などの値下げで市民に還元した。「暮らすのにお金がかからず、そこで生きることが幸せな阿久根にしたい」。基幹産業である漁業の不振、地域の閉そく感……。現状への市民の不満をうまくすくい取る。
思いは市民の意識改革にも及ぶ。「市民が社会全体を考え投票すれば、政治家も全体を考え行動するようになる。仕組みが良くても素材が悪ければダメ」。
市議を経て08年8月、市長初当選。「寝ても覚めても仕事」の日々という。「迷惑かけています」と家族への感謝を忘れなかった。【村尾哲】
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