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金美齢女史が田原総一郎の詭弁を正論でだまらせる
金美齢
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%BE%8E%E9%BD%A2
金 美齢(きん びれい、1934年2月7日 - )は、台湾出身で日本国籍の評論家。学校法人柴永国際学園JET日本語学校理事長、元中華民国総統府国策顧問。夫は元東京理科大学教授の周英明。長年台湾独立運動に関わってきた
日本統治下台湾の台北の裕福な家庭に生まれる。1953年に台北市内の台北市立第一女子高級中学を卒業後、国際学舎(留学生会館)勤務を経て1959年早稲田大学第一文学部英文学科に留学。翌1963年に同大修士課程に進学。1964年、東京大学大学院博士課程在学中の周英明と学生結婚し、二児をもうける。1971年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
早稲田大学の大学院生時代から、首都圏の大学で非常勤講師を歴任。早稲田大学では、1996年3月まで20年以上英語の非常勤講師を勤めた。1975年から1976年まで、イギリス・ケンブリッジ大学客員研究員として渡英。
日本滞在中の1962年、台湾独立運動を推進していた台湾青年社(後の台湾独立建国連盟)に参加。早稲田大学在学中には、台湾独立建国連盟が発行する英語版の機関紙の編集長を務め、他の台湾人留学生らと早稲田大学の同窓会「台湾稲門会」を結成。そのため、金と夫の周は反政府活動家として政府のブラックリスト(黒名単)に掲載され、旅券は剥奪。日本で事実上の亡命生活を余儀なくされた。
1987年7月15日、台湾で1949年5月20日以来38年間続いた戒厳が解除。翌年、李登輝が台湾人初の中華民国総統に就任。急速な台湾民主化の流れの中でブラックリストも解除となり、金は31年ぶりに帰国。1996年に初めての総統直接選挙では、台湾独立派の人々が独立派の民主進歩党候補彭明敏を支持する中、金は李登輝を支持した。
2000年に発足した民進党の陳水扁政権では、日本に亡命していた黄昭堂(昭和女子大学名誉教授・台湾独立建國聯盟主席)ら、ブラックリスト組の200余名らとともに、中華民国総統府国策顧問の一員に迎えられた。
2001年2月に小林よしのりの『台湾論』出版とともに、台湾立法院(台湾の国会に相当)が小林の台湾入国禁止を決定。台湾のテレビ討論番組に出演し、「私は中華民国を認めない」と発言。これに対し他の出席者から、「中華民国の国策顧問が中華民国を認めないというのならば、即刻辞任しろ」と迫られると、「私は陳水扁総統の国策顧問であって、中華民国の国策顧問ではありません。私を辞任させられるのは陳総統だけです」と応酬した。その後、陳総統が「台湾は民主主義国家であり、多様な意見を持つ国策顧問が存在するのは民主台湾の縮図である」と声明を出し、まもなく入国禁止措置は解除。その後も台湾、日本双方において、メディアや著作を通して台湾独立の主張を続けている。
2005年2月28日に総統府国策顧問を辞任、同年5月20日に復帰したが、2006年6月2日に総統府改革のため国策顧問を任命しないことになり辞任。2008年3月20日総統選挙では民進党候補の謝長廷を支持した。
2009年9月、日本へ帰化。
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