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注目の阿久根市長選で竹原前市長が敗れた。この意味するところは計り知れないほど大きい。独裁的な手法と非難されただけで本質を見なかった市民が多数を占めた事を現しているからだ。
そもそも前市長が議会と対立した原因は何か、それは「市民のための議会、議員の存在の意義」の問いかけに他ならなかった。その事は今の国の国政についても全く同じことが当てはまる。市民は、ここでもマスコミによる枝葉末節な世論操作に負けたのだ。自分たちで考えれば議員と公務員の不当に高い給与や、議会運営の在り方に竹原氏が抵抗したのは当然なのに。ここでも財政赤字という現実は、都合の悪い時には隠されて別の議論に騙されることになっていた。地方分権などと言う事が、いかに絵空事であるかを如実に示している。
江戸時代の幕藩体制は藩という完全な地方自治のもとの中央集権国家であった。個々の藩は自治権をもとに幕府に従っていたのである。現在から比べればはるかに地方は分権が進んでいたのだ。地方の人々も現在に比べれば独立しており、中央に全てを依存していなかった。その証拠が地方の藩主体による討幕と明治政府の成立に見られる。驚くほど多彩で優秀な人材が日本中に存在していた事を示している。国家の形を変えるために、他国と比べれば驚異的に少ない犠牲者の数によって成し遂げられた事は殆ど知られていない。いかに地方にいた人々の教育の程度が優れていたかを示している。
翻って現在の実情はどうなのか。ほとんどの地方の首長は官僚の天下り、地方の県庁などの官僚組織にまで中央からの出向の受け入れという、完璧な中央官僚による支配下にある。各道府県は中央からの巨額の交付税という補助金に依存した形態により、完全に骨抜きにされたままである。地方が衰退するのは当然の帰結だろう。おまけに地方と都会の交流は極端に高額な高速道路料金や、様々な規制によって自由な経済活動さえ制限されている。高速道路の無料化さえ反対する声が出るのは何なのだろう。そのくせ、地方には高速は必要と主張する声は大きい、完全に矛盾している。要は経済的な効果よりも道路を建設するという利権だけが欲しいのだ。ことほど左様に昔に比べて地方の劣化は目を覆うばかりだ。
中央に見られるように、全てが官僚の意向で政治が進められる限り、この国が発展する事はないだろう。民主主義とは名ばかりの国家の形態を変えない限り今後も何も変わらない。国民に選ばれて国会議員や地方議員になっている議員たちには一層の自覚を求めたい。早く国の形を変えろ、と。
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