http://www.asyura2.com/11/senkyo104/msg/630.html
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http://31634308.at.webry.info/201101/article_14.html
先日CS朝日ニュスターで上杉氏のインタビューで珍しく、小沢さんがあまりにマスコミに叩かれるので疲れる時もあると答えたらしい。この番組は視聴契約をしていないので見られなかったが、本当にそうだろうと思う。並みの神経では持たないだろう。
両院議員大会、党大会で何か是正されるのかと思ったら逆行し、また菅首相が大会で挙党体制を一番望んでいると言ったので、今度の内閣は少しは変わると思っていたが、全くの期待はずれだった。もうぐちゃぐちゃである。いささかこちらも疲れてきた。もう何か書くのも空しくなってきた。いちいち何か書いても今の菅には悉く裏切られ、理屈も糞もない。
もう今更、菅がやる民主党に期待しても仕方がないと思うようになっている。何が挙党体制か?今日の新内閣の記者会見を眺めていたが、記者の質問にほとんど核心を答えていなかった。非常に抽象的な答えしかしていない。出来ないのであろう。すっから菅だから。北海道新聞の記者が、菅が回答した後、ぜんぜん質問に答えてないのではないかと声を上げたときは、菅もかなり気色ばった顔をした。思わずよくぞ言ったと思った。
特に菅内閣の組閣では、自民党最後の財務大臣をやって、さらに民主党を倒すために、その自民党ではダメと言って出て行った与謝野が民主党の経済財政大臣になった。彼の知恵を借りるために入閣させたことは、腹心の仙石の棘を辞めさせてやっと取ったと思ったら、また野党に絶好の攻撃の棘を自分で刺して、どうぞ棘をもっと深く刺して下さいと言っているようなものだ。予算の本質的な議論はなされず、なぜ与謝野が民主党なのか、政策が違うのではないかなどと、また余計な火種をまた自分で作ってしまった。
もうそういう判断も出来なくなってきているのではないか。そんなわかり切ったことも誰も忠告しない。枝野あたりは逆にナイス人事ですねと言っているのであろう。もう裸の王様状態だ。スッカラ菅は丸裸状態なのに、取り巻きから大変きれいなお服(内閣)を着ていますねと言われてご満悦状態だ。
今まで何回か書いているが、本当に菅の精神状態を疑ってしまう。そう思っていたら、日本一新・代表平野貞夫氏のメルマガ「日本一新運動」の原点―37に以下の文が書かれていた。
(菅体制を変えない限り民主党再生はない)
1月12日の民主党両院議員総会、翌13日の党大会後、菅政権は政権の浮揚を賭けて内閣を改造した。ある精神科医が「葬式躁病」(AERA・1月17日号)と診断したとおり、政治上あってはならない『葬式躁病内閣』が成立した。
人間には「躁的防衛、俗に葬式躁病といわれる心のメカニズムがあって、たいていの人は葬式みたいな状況になると落ち込むが、神経が高ぶっていると逆にはしゃいだり、強気になったりする人がまれにいる。(中略)『仲間』である仙谷官房長官自体が批判の矢面に立たされている。このままだと最後が近いんじゃないかと動揺して気持ちが不安定になり、孤独にもなっている。だから防衛的に自分の弱みを見せないように『権力』とか突拍子もない強気の発言をする。そんな憶測ができます」(同誌・香山リカ氏) これは1月4日の菅首相の年頭記者会見に対するコメントであ
る。さすがの卓見で、両院議員総会や党大会の挨拶も、神経が高ぶりハイになったためか、同じ党の仲間への話が街頭演説のようになり、思想も論理もまったく無茶苦茶なものであった。その、「葬式躁病」と診断された菅首相のやった内閣改造が、政治史上噴飯ものであった。
香山リカ氏は精神科医である。今まで直観的に書いていたことが、精神科の専門医でもそう見ているということがわかった。普通の家庭では、会社で嫌なことがあり弱気なことを言えば、やさしく慰めてくれるのが普通であるが、菅家では全く違うらしい。弱気なことを言えば奥さんに「叱咤では足りず、さらに叱咤」されるらしい。これでは、「葬式躁病」になるのもよくわかる気がする。
これはれっきとした病気らしい。以下にその特徴を挙げるhttp://homepage3.nifty.com/kazano/mania.html。
こういう性格を、うつ病の研究で有名なテレンバッハはマニー型と名づけている。森山公夫は「両極的見地による躁うつ病の人間学的類型学」という論文の中で、こんなふうに描写してますね。
負けん気が強く、強気で、鼻っ柱の強さの陰に小心さがかくされており、積極的・活動的である。物事に熱中しやすく、一度やり始めるととことんまでやらないと気がすまない。常識的である反面、理想を追い求め、正義感が強く、潔癖で非常に気をつかい、几帳面である。
いい人じゃないですか。親しみやすい性格、といってもいいんじゃないかなあ。
しかし、岡本透は、「躁病ゲームについて」という論文の中で、
躁病者は相手のゲーム、周囲のゲームに対して「立法者」ないし「法の番人」としてふるまう傾向があるといえよう。躁病者は、「私がルールブックだ」とかつて宣言したあの高名なアンパイアにどこか似ている。
と、書いている(どうでもいいが、全然論理的じゃないですな、この論文)し、藤縄昭は森山論文を受けて、「几帳面」「活発で精力的」「自己中心的な攻撃性」「秩序との同一視についての疑惑、あるいは両価性」とマニー型の特徴をまとめている。こうなると、あんまりいい人っぽくないですな。最後のはちょっと解説が必要かな。仕事熱心で几帳面なんのだけれど、実は組織に対しては反抗的とか、そういう性格ということらしい。こういう人が、「秩序」の担い手になったときに躁状態になることが多い、ということのようだ。
このように、躁病は、マニー型の人に何かの負荷がかかったときに発病する、という例が多いのですね。うつ病では「昇進うつ病」とか「引っ越しうつ病」というパターンが知られているが、これが躁だと(名前は悪いが)「葬式躁病」とか「水害躁病」、阪神大震災のときには「ボランティア躁病」(!)なんてのも報告されてたりしますね。
「自分が最も挙党体制を望んでいるのです」と言って、更迭した仙石が党代表代理になり、民主党を打倒するため敢えて自民から出た与謝野の力を借りたいと言う。「小泉・竹中路線」と今でも言われている、「竹中」のポジションに与謝野を置く訳である。上記のように気がふれたとしか思えない。
何度でも書くが、これを救えるのは小沢さんで党を割って、菅民主党と差別化した受け皿を作るしかない。なぜなら、菅が退陣しても、その後に前原、岡田、枝野、仙石などが同じように批判を延々と続けるだろう。もう見たくも聞きたくもない。要するに骨の髄まで、誰かを批判しないといられない野党魂が抜けないのだ。
所詮、組む相手が違ったということである。「生活第一」の文字も、岡田によってポスターから消されたというしhttp://gendai.net/articles/view/syakai/128342、一昨年の民主党とは中身が完全に変わってしまった。
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