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先ほどニュースで 久しぶりに岡田氏の両院議員総会での姿を見て、今日のように慌てて文章を書いたことを思い出した。それは 小沢氏が衆議院選挙勝利のために代表職を辞任して、鳩山氏と岡田氏の選挙の日だった。民主党にも鳩山氏にも興味は無かったのでどうでも良いと思っていたし、ネットで英語の勉強が無料で出来る事が分かった頃だったので オバマ候補の演説を生の英語で毎日見て、世論調査の結果や、新聞TVのオバマ・ヒラリー選挙にexciteしていたので, 日本の政治には興味を持てなかった。
小沢さんと検察・マスコミの戦い以外は!
ただし、小沢氏の代表辞任の動きだけは素晴らしく、「諸葛孔明と小沢一郎の赤壁の戦い」と見立てて、三国志のその部分と映画 “Red Cliff”も鑑賞に出かけた。(映画を見るのは20年ぶりぐらいだったが)。この話をすると長くなるし、自分のために書いてみたが パソコンも壊れてファイルも無いので、今日の話に戻る。
小沢氏が諸葛氏のように美しく勝利したので 嬉しかったのをまざまざと思い出す。
岡田氏を見ていて 岡田・仙谷・菅の 三名は 「似た者同士」だなと思った。
他者との対話を通して変わって行けない人たち、他者の声が聞こえない人、
他人を尊重することができないのだろう 三人とも!と。
そして、3名とも捨石だという事。 野田・前原Gの「捨て駒」という共通性がある。
使えない人たちだと言うこと。
今、読み返して、余り外れてはいないと思ったので 阿修羅さんに投稿しますので、時間があれば読んでいただきたい。二三行書き足したが内容は変えていない。岡田は駄目なことを証明しようと思った。鳩山氏に勝って貰いたいと突然強く感じたので。小沢さんの戦いを守りたいために!
2009.05.16 Sat 13:01
植草様 カナダde日本語様
この2−3ヶ月 貴殿のサイト上での発言を読ませていただいておりますが 今日の御省察・ご判断には大変感心するとともに心強く思い、投稿などは一度もしたことがないのですが 拍手をすると共に自分の印象もお伝えしようと決めました。
まだ代表戦の演説・ディベートを見ていないので昨日までの印象ですが、植草さんの岡田氏評価に賛同して阿修羅から賛意を投稿しようとしたのですが、投稿経験がなくメールが送れなかったのでこちらに来ました。
カナダDeさんのサイトで岡田会見ビデオを見させていただきました。感謝。
私の印象では:
岡田氏は、自分が“正しく丁寧な”官僚になる事で政治を変えられると思っており、政治家の本来の任務が理解されていないのが最大の欠点で、この人に日本国は任せられないと思いました。(任せても町役場か市役所までであろう)。
この記者会見で、“権力の中枢たる検察”を「党として批判するべきでない」と言うのでは、この国を動かせないばかりでなく変えることはできません。
60年間にわたり“同一勢力”が権力を構成し、その影響力は国家権力のすべての末端まで侵食し尽くしているだけでなく、経済・マスコミも牛耳っています。
権力が総力をあげ、国政選挙の前に形振りかまわず既成権力を守ろうとしたのが 今回の小沢民主党代表への攻撃でしょう。
これは国家権力への挑戦者に対する”代表攻撃”であり小沢個人の問題ではありません。
この”代表的攻撃”ですべてのマスコミに脅しをかける事により、この権力内部に寄生する中で個人の富を育んできたコメンテーター諸氏、評論家群・アナウンサー・新聞記者たち全員が、権力側からオミットされないようそれぞれ”自発的に且つ執拗に”この攻撃に参加することで、権力内の自分地位・収入・権威を守ることに汲々とします。(田原・みの・北野を代表として)(因みに、みの・北野・東国原は傷害・脱税の前科があります)。
軍国主義国、ヒトラー・スターリン独裁国では 権力に従順で、家族のためとか様々な理由で誰もがファシストになりスターリン主義者になり 他者をも従順にさせて行きます。このプロセスが始まってしまえば、これに抗するには生命を賭けねばならず 誰もが出来ることでは有りません。プロセスの始まりが無いようにしなければ、防止しなければ、他国からの解放軍の到来を待つしか対処出来なくなります。特に日本では 太平洋戦でも ヨーロッパのようなパルチザンも反軍闘争もありませんでした。村社会が根強く、市民意識が未発達ですから “自立した個人”の連帯が難しいのですが、だからこそ少なくとも“政権交代”が必要不可欠です。
ソ連崩壊によるイデオロギー時代の終焉は 社会主義に代わる代換理念を生なかったため(オバマの登場まで),この権力内の積極的参加者は、競って自己保身と富の蓄積に努めてきました(官僚諸氏も上から下まで、キャリアもノンキャリヤも同じである)。
権力は マスコミの力を動員すれば郵政選挙で見たように、簡単に世論を仕向けることができることを知っています(島国日本の農耕民族が村八分にならないことを社会規範にしてきたことを利用し、権力は容易に国論を統制できる。異分子をあぶり出し騒ぎ立てることで 大衆の無知に火をつけることができる。時のテーマごとに大政翼賛会を形成できる)。これは 権力の知恵です。
今 国民が待望している自民党政治からの政権交代は、第二自民党へ政権を譲り渡すことではなく、明治維新以来代わることのなかった国家権力の意の下に政治が行われて来た事から脱却したいという意思の現れでしょう。すべての社会生活の隅々にまで、この権力の醸成した病が蔓延しており、経済力では中国などの台頭があり、政治理念ではオバマの米国に示されたものを持たない日本の現状の閉塞感を、根本的に打ち破るために必要な政権交代ではないのかと考えます。そして 少なくともここで政権交代を実現できないと、お金も持たない・存在感の無い日本および日本人は 三等国・三流国民になってしまいます。(外国に出てみれば 人間としての存在感の無い、会話の出来ない日本人は無視されるか軽蔑されています。生産力至上主義で人材育成をしてきた結果、均質の物を大量に
作る文化だけを発達させて来た為で、歪な文化だということが実感されます)。
最初、岡田でも鳩山でもどちらも同じようなもので、小泉・安部・福田と続いた自民党政権の最後尾として出てきた麻生には選挙で勝てるだろうと考えていましたが、このビデオとこの間の新聞報道を見ていると、岡田では政権交代はできないし、岡田のそもそもの目的が自民党党内改革(別名の党でも同じだが)であることだと思えてきました。
パラダイムを変えなければいけない時に、岡田は“善良なる官僚”に、より効率的な仕事をする事を政権交代の目的にしているだけなのだろうと感じました。この様に見れば、もっと明瞭な形で行動する前原グループへの岡田の親近感が理解できるし、消費税問題、「財源なくして政策なし」等は、岡田の政治理解からすれば当然なのだと思いました。
従って、小沢氏をあれだけ異端者として、権力側の総攻撃をしかけたマスコミからも、自民党自体からも、理想的党首としての岡田待望論が溢れかえっている理由がここにある。
岡田は前原などとともに 自民党に復帰するのが論理的必然であろう。
岡田が学んだのは法学部で現行法の解釈である。東大法学部には社会改革はできない。
性格のせいも有るが。
現状を説明し事務的処理能力に長けている可能性はあるが、パラダイムシフトはできない。新しいあるべき日本国も、新しい世界像も描けない。
このビデオで岡田は、「小沢代表には自分はWebでこのように収支を公開しています」と教えたと記者の質問に答えている。これは、代表になったら小沢の説明責任をはっきりさせるかどうかという質問に対してである。事件の本質も理解していないだけでなく、記者の質問の本意も理解していない。(官庁で言えば 課長補佐でも局長とこのような低次元な会話はしないであろう)。
岡田は ほとんどいつも質問者に“細かく回答すること”を自分の説明責任と理解しているようで、大局を見て 端折る事ができない。これでは官僚が“丁寧な説明”をすれば それに従うようになるだけであろう。政治家として失格である。
岡田の政治的センスの無さの極め付きは、前回選挙の「日本をあきらめない」であろうが、実際は「自民党をあきらめない」という意味で有権者には理解されたので、結局「権力からの要請にそって」得点を上げているので権力側の覚えも目出度く評価も高い。(今回も、同じようなことが期待されている可能性が強い)
しかし、今回のスローガンは「一人ひとりの幸せを後押ししたい」というもので 彼の現状認識に著しい欠陥があることが再び見て取れる。
この長い政治の無作為の中で、“幸せな人”は全くの少数派でしかない。その少数派の後押しを目的としているのだ。これでは表現を変えただけで 小泉の“自由競争に勝った者が正義であり、それを応援する”というのと全く同じである。
時間が無いのではしょるが、岡田は、「前回選挙後に余裕の勉強時間を得た」と中曽根氏の言葉を引用して語っているが これまた岡田の現状理解・認識力の弱さを証明している。当時の中曽根は与党体制の中での首相順番待ちであり、党内競争相手の交代を待っていれば良かった。しかし、岡田は野党の敗北の責任者であり、中曽根と同じように時が来るのを待っていれば良かった訳ではない。もし反省するべきを感じたのであれば、地元でだけでも新しい民主党のあり方を実践する、オリジリティーのある党組織を作るなど、いくらでも汗をかくことができたはずである。また、この間に参議院選での勝利、年金問題の露出など 新たな状況ができていた。
日本のリーダーになると豪語するものが、こういった新しい政治状況において何らのリーダーシップを発揮せず“満を持して”中曽根のように、ひたすら勉強していたというが 何を学んできたのか疑問である。
岡田には、何故小泉に負けたのかが理解されていない。負けない仕組みを作ることも考えていない。彼は言う:「あの選挙は 民主主義にとって(ワン・イシューにされたので)良くない選挙だった」「民主党の得た総得票は増加した」「決して全く敗北したわけではない」「ただ単に、投票率が上がったため 自民党がより多くの得票を取っただけだ」(民主は1−2万票増やしたが、自民は3−4万表増やした」云々。
何故このような政治的な無自覚な岡田が、この国の政権交代党の候補になれるのだろうか?また菅元代表などのグループが これに対し自主投票を決めた等と風見鶏になっているのも恥ずかしい。
岡田は自民党に戻るべき人であるのは明白であり 既得権力社会が推す候補なのだ。
小沢氏は 二大政党制が定着するような体制を作りたいと言う事でぶれない人である。異端者といわれても、豪腕と後ろ指を指されても、その姿勢にぶれはなかった。岡田氏は 頑迷という一点に拘る人のようだが 政治理念を持たぬ以上、また自己確信者でありながら状況判断力に欠けているため、彼自身の帰るところは、「皆が待っている自民党」であって、国民が待望している変革(Change)を実現する民主党の代表でないことを 遂に「本人が自覚するべき時」が来たのだと思うがどうであろうか。
鳩山氏にもいろいろ問題があるが 岡田ではだめなので ベターということにしておく。
重要なことは、小沢氏が耐えて、この時期まで辞任を引き延ばし、タイムリミットで”権力”も、もう麻生を代える事は出来ないところまで追い込んだ事だ。
小沢代表辞任は大変残念だが 権力に飼いならされた群れに集中して襲われたにもかかわらず 最後に敵を追い込んだ手腕を高く評価するものである。(余人には出来ない戦略であり 胆力だ)。
小沢さん始め、植草さん 宗男さん カナダdeさん など皆様!
選挙の前にも後にも 実際的に権力との長い戦いが待っていますので
ご自愛いただきたくお願いします。
岡田氏では権力に飲まれてしまう 戻って自民党内改革担当になるのが良いのでは?
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