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宮崎学
「素人の好戦性」「玄人の好戦性」その2
2011-01-12 (水)
宮崎学である。
この原稿を約束した時までにアップできなかったことは、大目に見てほしい。忙しいのである。
さて、先日のことであるが、ワシと同じ「68(ロクハチ)世代」の数名と議論した。
彼らは反小沢三派連合を支持しておるのだが、その代表的な意見はこうである。
コレ(つまり小沢あるいは小沢的なるものを民主党から排除すること)で、やっと民主党の中にある「かつての自民党的な部分」を消すことができる。このことは、民主党が“純化”していく過程としては避けることのできないものだ。
さらに、「しょせん小沢は、その出自が自民党田中派なんだから」という感情も吐露していたが、この「論」にもならない「戯言」に私は同意しなかった。政治的主張があれば、そこでは当然主張の対立は起きるものだ。それは自然なことである。
私ら「68世代」が党派闘争、それも同一組織内の対立に「排除と殲滅」の論理を今さらながら持ち出すことには正直辟易する。というか、私自身を省みて、かつて自分が通ってきた道であるだけに「恥ずかしいなあ」と思う。
「敵対する者の排除と殲滅」と「党の純化」という発想こそが68世代の最大の思想的欠陥であろう。
その理由は、まず「政治的出自」について言えば、昔の自民党も共産党も、あるいは新左翼、「風呂の中の屁(ブクブク沸いて出るだけ、の意味。念のため)」とワシらが批判していた60年代の市民運動に対してですら、私は「出自」を理由とした「排除の論理と思想」には組しない。
それは、「同一陣営内の意見対立に排除と殲滅の論理を持ち込んだこと」と、「真の敵との闘いよりも、同一陣営内部の対立に『戦闘性』を極限まで発揮する」ということが68世代が誤った大きな要素だと、今は思うからだ。
68世代にとっての打倒すべき「真の敵」とは、その時々の与党、官僚などの「この国を支配する者」であったが、要するに“内輪モメ”ばかりして、「真の敵」に対しては内輪モメに使う100分の1の戦闘性も示しえなかったのではないか――というのが68世代に対する私の総括である。
同一陣営内(すなわち本来は味方)との闘いには異常なまでの執念を燃やすが、本当に闘わなければならない相手に対しては徹底的に妥協的であった。それが、私たち68世代が「壮大なゼロ」でしかあり得なかった所以なのだ。
したがって、反小沢三派連合の好戦性が冒頭の「思想」によるものとするなら、それは私たちが「壮大なゼロ」で経験したものと同様の「真に対決すべき方向性」を喪失させた「素人の好戦性」ということができる。
一方、前回で新聞を中心として論じたメディアの翼賛的な「好戦性」は、1930年代にも証明済みの、国民を動員し得る力を持つ「玄人の好戦性」と言えるのではないだろうか。
さて、明日は民主党大会が開かれる。
「壮大なゼロ」の再現は見たくない。
2011年1月12日
宮崎学
宮崎学
http://miyazakimanabu.com/2011/01/12/978/
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