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http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110111/plc1101110313001-n1.htm
菅政権下の日本は「第2の江戸時代」を迎えているのだそうだ。学生の留学離れは言われて久しく、ビジネスマンは海外赴任を拒否し、政界はもっぱら内輪もめに終始している。
江戸期はペリー提督率いる黒船で目覚めたが、第2の江戸期は中国が尖閣諸島にちょっかいを出しても、官房長官が「冷静に」などと事なかれをいって引きこもる。
続いて中国は、レーダーに捕捉されにくい次世代ステルス戦闘機の滑走試験を行い、戦略核ミサイル部隊は「危機下なら核先制使用」とうそぶく傍若無人だ。
北朝鮮の砲撃に、李明博政権は「冷静に」などといわずに当然、反撃した。わが菅政権は内向きには勇ましいが、外には布団をかぶったまま首も出さない。これだから国民は不安でたまらないのだ。
フランスの哲学者、ギ・ソルマン氏は、「第2の江戸は中国の野心に対抗できるのか」と陰ながら心配しているそうだ。
振り返ってみれば、鎖国政策下の江戸期は内向きの政治しかなかった。悪徳政治家の代名詞だった老中の田沼意次などは、豪商と結びついたワイロ政治の権化であった。いまでいうと「政治とカネ」に絡んだ疑惑政治家である。
ところが、悪玉を善玉に仕立て上げてしまう名人、山本周五郎の『栄花物語』は解釈が違う。この田沼を、商業資本を活用して幕府財政の立て直しを進めた有能な政治家として描いた。野心家の佐野善左衛門が昇進を狙ってワイロを届けるが、能力主義の田沼は少しも取り合わない。やがて、田沼の権力にも陰りが見えてくる。すると、善左衛門は一転して「田沼意次はワイロで動く」と攻撃する側に回っていく。
変節は世の常だからご当人の勝手である。だが、善左衛門のような世渡りは人の道にもとる。上司が羽振りのよい時ははやし立て、落ち目になると道義をかざしてこき下ろす。田沼没落後の大合唱はいかにもあさましい。いまでいうと、菅直人首相が民主党の小沢一郎元代表に振り回す正義に、善左衛門のそれと同じにおいを感じてしまう。
菅首相はたしか昨年の元日に、小沢邸で開かれた新年会に姿を見せたのではなかったか。会場の真ん中に陣取って、拍手だか万歳三唱を連呼した。小沢意次の剛腕に菅善左衛門は己の出世を託したのではないか。
今年は首相公邸で独自の新年会で対抗した。なぜって、以前とは世間の風向きが変わったから。いまは、盟友転じて「小沢切り」である。首相の正義は、小沢氏に政治献金疑惑で「政治家としての出処進退」を求め、年頭所感は「不条理をただす政治」であった。
正義も3度唱えれば、自らの失政も消えるような気分になる。尖閣諸島事件の不手際も、露大統領の国後島訪問を許したことも、国民に忘れさせる効用がある。何といっても世論調査は「政治とカネ」批判がトップなのだ。
『栄花物語』の主人公、青山信二郎は、「政治というやつは、征服者が権力を執行するために設けた機関さ、いかなる時代が来、いかなる人がやっても、政治の原則から出ることはないんだよ」とつぶやいた。
菅首相がそれを否定したいのなら、政権取りのあとのビジョン欠乏症を解消すべきだろう。ソルマン氏がいう「新江戸時代の夢」とはいったい何かである。
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