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日本の権力構造は、どうにもおかしい。この日本が国家社会主義でも帝政でもファッショでも、なんでもいい。問題はそんなところにない。おかしい理由は、この国が
二重の権力
によって構造化されているらしい点にある。一方の権力は国民によく知られ、選挙で選ばれた議員によって構成される衆参両院と内閣によるものだ。問題は、もう一方の権力成分にある。こちらの権力は日本の闇にひそみ、国民の意思決定から基本的に無関係である。
この権力が顔を見せた場面のひとつが、村木氏の冤罪事件だった。厚生労働省の局長、村木厚子氏が大阪地検特捜部に逮捕された日は、2009年の初夏、この日本に政権交代の機運が高まり、自民・公明と財界が大騒ぎしだした頃である。小泉・竹中政権の時代には、なにかと口をだしたアメリカは、オバマ政権に変わったからか、「提言」という形の指導もおこなわなかったと記憶する。ただ、じっと見ていたのだろう。
この村木・冤罪事件は、小沢・冤罪事件とおなじ糸の上にある。なぜなら、村木氏を有罪に追い込めば、石井一氏(参院、民主)にも逮捕か辞職の手が及ぶ。民主党への国民の期待はシャボン玉のようにはじけ飛び、民主党は虫食いのように弱体化していくはずだ。
なんと村木事件は、検察が証拠を偽造・悪造して作りあげた冤罪事件だった。
2009年1月13日、小沢氏に粘着する東京地検特捜部は二回目の強制捜査に踏み切った。陸山会事務所、小沢氏の個人事務所、衆院議員会館の石川事務所、大手ゼネコン「鹿島」本社などを一斉に家宅捜索した。捜査容疑は、石川知裕衆院議員(民主)が政治資金収支報告書に4億円を記載しなかった疑いであり、その4億円には「鹿島」などゼネコンからの違法な裏金が含まれているのだと憶測したが、その憶測を裏付ける証拠は出なかった。
小沢事件では、4億円の収支報告済みが判明し、ゼネコンからの違法な裏金も含まれていなかったので検察は「証拠不十分」と起訴を断念した。が、今度は検察審査会なる闇の権力組織が作動して、小沢氏の起訴を司法に強制した。
村木・小沢事件をつらぬく糸を過去に伸ばせば、前原が代表する当時の民主党を振り回した偽メール事件(2006年2月)、石井紘基氏の刺殺事件(2002年10月)にも達するだろうし、鈴木氏の事件にも連絡しているだろう。これら事件の糸は、民主党と政権交代の萌芽を暴力を行使してでも破壊する、壮絶な謀略目的をもっていた。なお石井紘基氏、石井一氏ともに公明・創価学会に批判的だったことを、事実として書き加えておこう。
これらに関連してよく話題にされるのは、田中角栄氏と内閣の瓦解を目論んで成功したロッキード事件(1976年)である。これは変死を含んだ日本の一大政治事件だった。このとき田中氏を疑惑のなかで逮捕し、起訴したのは東京地検特捜部であり、マスコミの先頭にたって田中氏の追い落としに狂奔したのが立花隆氏だった。この事件をつうじて立花氏の名は広く知られ、彼は有名人になった。うえにあげた謀略事件と異なるのは、米政権のあからさまな関与である。米企業のロッキード社を絡ませ、当時のフォード政権(+キッシンジャー国務長官)は事件に深く関与した。
その後の日本は、全日空をとおしてロッキード機の輸入が1900年半ばまで盛んにおこなわれ、また現在も、航空自衛隊の戦闘機はロッキード製が主力になっている。田中氏が努力した日中の国交正常化は、周恩来首相との間で日中共同声明が調印されて実現したが、その後の政権は二束三文の骨董品として放置してきた。
ロッキード事件にまで、国民を無視した謀略の糸を延長していいかどうか迷うところだが、日本の権力構造が二重になっていることだけは雄弁に証言してくれる。この国がアメリカの属国であることを疑う日本人は少ないが、検察や警察力、最近では検察審査会などを表面に押し出す、もう一方の闇の権力成分は、やはり現在もアメリカに連なっているのだろうか。偽メール事件や小沢・冤罪事件などは、裏で売国奴の小泉・竹中が関係しているとの、うがった噂もあるにはある。
しかし問題は、この二重の権力構造が存在するため、日本の政治も経済も自主性が失われて、ムチャクチャになってきたことにある。尖閣事件にたいする那覇地検にあきらかだったように、おりに触れて、一方の権力成分は他方に屈服して奉仕することも起こる。
この二重の権力構造を解決しなければ、日本の将来は不安定なままだ。そして、この権力の二重性を、共産党や社民党などの旧左翼は民主主義の重大問題とは認識できない。たんなる権力内部の抗争と理解することで、思考の死角に入ってしまうのだ。旧左翼は戦わず、たえ間なく一方の権力成分と政治的に融和して政局化する。ここに旧左翼とは、70年代までの新左翼も含意する。いわゆる理想主義者、ロマン主義者も、戦力になりえない点は同じである。
したがって、この権力の二重性と犠牲をいとわず戦えるのは、保守本流の右翼だけである。街宣車で騒ぐウヨクや、見せかけの売国ウヨクを指しているのではない。ここで俎上にのぼってくるのが、困難のなかで民主党の結成と政権交代を実現させた小沢氏とその勢力である。小沢氏とその勢力は、旧左翼や理想主義者ではない。そのようなロマンは持っていない。ただたんに、「国民生活が第一」なのであるが、20世紀までの左右の分類が無効化しつつある点に気がついている方も多いはずだ。
なにもわからない人もいるだろうから、問いを発しておく。
日本の経済界で、「国民が第一」と考える経営者はいるだろうか。いや、少数だがいる。しかし経団連の首脳はどうだろう。「自社の利益が第一」、「自分の利益が第一」と考える者は毒蛇の巣のようにトグロを巻くが。
政界と高級公務員の世界ではどうだろう。対米従属こそが日本の幸せに繋がる、世代をこえてそう考える戦争直後の頭が多いだろう。二発の原爆で狂ったままなのだ。菅や仙谷はどうだ。中国首相のまえでメモ読みしたあの姿に、「国民が第一」の政治思想が読み取れるか。「国民が第一」だから、コメントを間違えないようにメモ読みしたと卑怯者は弁解するのだろうが。大きな恥ずかしさに身もだえした国民を無視すれば、その弁解は成り立つ。国境を放棄するのも、国民の不安と不満を無視すれば「国民が第一」になるだろう。沖縄の基地問題もTPPも、沖縄県民は国民ではなく、食料の自給など国民の問題ではないと無視すれば「国民が第一」になる。
だれかがいった、自分に不利な事柄を無視することを抽象と呼ぶと。抽象は思考にとって大切な方法であると。しかし、それを普通は視野狭窄と呼ぶ。菅や仙谷がイメージする国民は国民ではないのだから、国民の手によって瓦解させるより方法がない。しかし問題は、チンケな菅や仙谷の存在にあるわけではない。「国民が第一」のために戦うのは、権力を構成する二重構造の一方の闇とも同時に戦うことになる。困難を極めるだろう。金や女関係などの下品な攻撃がつづくだろう。
いつも現実は敵でしかない理想主義者と、権力の遊撃隊として働く超非力な旧左翼を除いて、民主主義を守ろうと考える日本の勢力は、出自にこだわらず小沢氏とともに「国民が第一」を戦おう。これは、日本史にはじめての内戦である。
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