http://www.asyura2.com/11/senkyo104/msg/238.html
Tweet |
-----------------------------------
服部さんが1月10日東京、青山公園から六本木までのデモ、そこでのインタビューは昨年12月5日日比谷からのデモ中継より、素晴らしいと思いました。
一般的観念的な感想ですが、実はわたしたちは、あれほど敗戦後、文学と哲学において論争してきた「近代的自我の確立」「主体性の確立」「主張できる個人の確立」それが
ごく自然にデモ参加者の気概に内在しているとわたしは思った。
敗戦によって、わたしたちは「文学と哲学の無残な精神史的敗北」を経験した。日本はイタリアと違ってレジスタンス運動は壊滅し、全面的な戦争動員体制に巻き込まれてしまった。イタリアの北部はレジスタンス運動によるファシズムからの解放であった。日本は全面的にファシズムによって完全支配されていた。ゆえに日本共産党はアメリカ占領軍が日本国民をファシズムから解放したと規定したこともあったのである。
服部さんがインタビューしたデモ参加者には気概と毅然としたマスメディア・ファシズムに抵抗する個人の日本精神史の現在が内在しているとわたしは思った。
さらに服部さんが何故、白衣裳を着て、中継動画をとるのかも、今回、強く理解できた。「911とジャーナリスト」への思いである。インタビューを受けた男性は911への疑問を語っていた。
インタビューを受けたデモ参加者は「疑問から出発し、ネットで調べて自分で考えた」と誰もが語っていた。デモ参加者は民衆の風のネットジャナーリスト存在であった。
精神と存在の力をわたしは感じた。新しい日本民衆精神史がインターネットから誕生したのである。そして街頭と接続したのだ。これが日本における1989事態である。1989年、ベルリンの壁は崩壊し、独裁的な東欧社会主義政権はなだれをうって瓦解していった。わたしたちは世界に比較して20年も遅れて出発したのかもしれない。しかしこの市民革命は日本と世界にとって巨大な前進であることは間違いないと思う。
阿修羅は昨年から国民的掲示板となった。大阪デモでも日比谷デモでも埼玉入間デモでも、<真実は阿修羅にあり>のプラカードが堂々と行進していた。阿修羅はすでに街頭へと接続している。
中高年者は60年代、70年代、ガリ版刷りで発行した「ミニコミ」といった自分たちのメディアを発行し、数々の「ミニコミ」メディアを読み、すでにマスゴミとの対抗メディアを経験している。インターネットが「対抗メディア」として生成できることは経験的にいっても必然だった。ゆえに高齢者はインターネットを駆使できるのである。
わたしは今回の服部さんの1月10日東京デモ中継動画にみたものは巨大な胎動であった。
さらに青山公園という場所が素晴らしかったと思う。死者たちが眠る青山墓地があった。青山墓地には無名の有名の歴史上の人物たちの墓がある。わたしたちは死者たちの精神と心の継続性によって生存している。その原点を導いてくれる場所が青山公園という場所性でもあった。わたしたちのデモは「信」と「芯」原点から出発したのである。
これが実践において獲得できる空間と人間であると感じた。そして言葉だった。強い心だった。その心を教えてくれたのは青山墓地に眠る死者たちであった。死者とは心の使者である。強い精神と心があるわたしたちはけして敗北しないだろう。なぜなら人を信じているからだ。マスメディアが国民を洗脳し暴走しているが、わたしたちの身体と精神と心は疎外されていない。ゆえに堂々と行進したのである。街頭で言葉を出したのである。正義の言葉は必ず人へと届く。
そのようなことを服部さんの1月10日東京デモ中継動画に感じた。民衆の力で21世紀2010年代の扉を押し開いた回路であり、やがて巨大になる思想の予感だった。
わたしは鈍感な人間だが、動物的直感には自信をもってる。冬でも動物は素足で歩いている。その素足とは大地と空間還流との接続である。地の感触を確かめながら動物たる生命潮流は原野において環境を分析し細心の注意をしながら生存していく。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK104掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。