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http://www.youtube.com/watch?v=FgLDfeiA--E
沖縄普天間基地の移設問題です。岡田幹事長が初めて沖縄入りしましたが、民主党外交にしびれを切らした沖縄県は、独自にアメリカとの本格交渉を展開しようとしていることがJNNの取材で明らかになりました
普天間飛行場
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E5%A4%A9%E9%96%93%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4
普天間飛行場(ふてんまひこうじょう、Marine Corps Air Station Futenma)は、日本の沖縄県宜野湾市にあるアメリカ合衆国軍海兵隊の飛行場。通称は普天間基地(ふてんまきち、MCAS FUTENMA)で、地元宜野湾市民は単に「基地」と呼ぶ。2,700mの滑走路を持ち、嘉手納基地と並んで沖縄におけるアメリカ軍の拠点となっている
宜野湾市は沖縄本島中部、那覇市の北約10kmにある。普天間は宜野湾市の地名から命名。普天間飛行場(FAC6051)は宜野湾市大山二丁目に所在しており、その面積は約4.8km2である(宜野湾市野嵩・新城・上原・中原・赤道・大山・真志喜・字宜野湾・大謝名にまたがる)。これは宜野湾市の面積(19.5km2)の約25%にあたる。普天間飛行場を見渡せる場所として、佐喜眞美術館や嘉数高台公園などがある。宜野湾市は過去に発行した広報資料にて那覇都市圏を構成する沖縄県の中でもっとも人口が過密な地帯の一部であり、普天間飛行場、キャンプ瑞慶覧(FAC6044、面積:160ha)、陸軍貯油施設(FAC6076、面積2ha)を除くと使用可能な市域の面積が1294haとなり、1995年の時点で人口密度(約6252人/km2)になると説明している[1]。これは、横田飛行場周辺自治体の人口密度に概ね相当する。
基地の周りに住宅地が密集している状況については、二つの側面がある。ひとつは、普天間基地の周辺は沖縄戦での激戦地区で、戦後は、日米両軍の不発弾の埋もれた危険地域であり、米軍により不発弾処理がなされたあと、民間人の収容所として確保された点である。もうひとつは、基地建設後、本土復帰以降に顕著となった日本政府の思いやり予算に則した基地行政などにより、周辺住民が基地に依存した地域社会を形成し現在のような住宅密集地域となった事実である
墜落事故
本飛行場に関わる主な(これらは墜落ないし死亡を伴う)航空機墜落事故は次のとおりである。この他にも機体トラブルによる緊急着陸や不時着などがある[15]。復帰以降の事故発生件数についての統計は2002年12月末時点で固定翼機8件、ヘリ69件の計77件であり、復帰後から同時点までの沖縄県内米軍航空機事故217件の内35.5%を占める[16]。この間の死亡者は全て米兵であるが、民間人の死亡者を伴うような重大な事故の危険性が指摘されてきた。
1973年8月2日 - 第36海兵航空群第164ヘリ中隊所属のCH-46の内1機が、北部訓練場内の国頭村伊湯岳頂上付近で墜落。乗員3名死亡1名行方不明。
1973年12月5日 - 第36海兵航空群第164ヘリ中隊所属のCH-46の内1機が、西原村字小那覇の社屋新築現場付近に墜落し、乗員4人死亡。1人重傷。救難活動に当たった社員1人が軽傷。また社員の乗用車が破損、きび畑20坪を焼いた。
1975年6月24日 - 第164ヘリ中隊所属のCH-46の内1機が、北部訓練場内の国頭村安波ダム建設現場の工事資材運搬用ワイヤーロープに接触し墜落。乗員3名死亡。
1976年11月4日 - 第462大型ヘリ中隊所属のCH-53が久米島から那覇向け飛行中、エンジン故障のため渡嘉敷村のナガンヌ島(俗称砂島)付近の海上(那覇西方16km)に墜落。乗員4名(全員)行方不明。
1978年3月3日 - 第164海兵中型ヘリ中隊所属のCH-46の内1機が、山口県岩国基地へ向け飛行中、キャンプ瑞慶覧ハンビー飛行場の北方150mの沖合いに墜落。乗員4名全員死亡。
1980年10月2日 - 第36海兵航空群所属のOV-10の内1機が、離着陸訓練中滑走路上に墜落し乗員1名が死亡。
1980年12月19日 - 第161海兵中型ヘリ中隊所属のCH-46の内1機が、訓練中、原材搬出用ワイヤーに接触、北部訓練場内の安波ダム貯水予定地域に墜落、乗員3名の内1名死亡、2名重傷。
1985年7月12日 - 第361海兵重ヘリ中隊所属のCH-53Dが2機で編隊飛行訓練中、1機が国頭村の辺野喜ダム付近の林道に墜落。乗員4名(全員)死亡。付近の植林50坪が焼ける。
1988年10月31日 - 第262中型ヘリ中隊所属のCH-46の内2機が空中接触し1機が伊湯岳東側の山林に墜落、大破炎上。乗員4名が死亡。もう1機は損傷しつつも普天間に帰還。
1989年5月30日 - 第265海兵中型ヘリ中隊所属のCH-46が夜間上陸演習に参加中、1機が揚陸艦デンバーから離陸直後喜屋武岬の南32kmの海上に墜落。乗員22名中14名が行方不明。8名救助。
1994年4月6日 - 第262中型ヘリ中隊所属のCH-46Eの内1機が、不時着訓練中に施設内に墜落。胴体が2つに裂けたが乗員4名は脱出。
1994年11月16日 - 第267海兵軽攻撃ヘリコプター中隊所属のUH-1Nの内1機が演習中にキャンプ・シュワブへ墜落。乗員1名が死亡、4名重軽傷。
1998年7月23日 - キャンプ・ハンセン内で、海兵隊所属のUH-1Nの内1機が墜落。乗員4名が軽傷。
1999年4月19日 - 海兵隊所属のCH-53Eのの内1機が北部訓練場の沖合に墜落。乗員4名が死亡。
2004年8月13日 - 海兵隊所属のCH-53Dの内1機が、普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の構内に墜落。乗員3名負傷。民間への人身被害はなし。社会問題として大きく取り上げられる(詳しくは沖国大米軍ヘリ墜落事件)。
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