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陸山会、西松建設、水谷建設の各事件は無罪であるとの投稿について複数の反論があった。どれも合理性がないが、こちらも頭に血が昇ってきたので敢えて反論する。
まず西松建設の元社長は有罪が確定している、だから大久保被告も無罪ではないようなコメントには吹き出した。そもそも最初の訴因は、大久保氏が西松建設のダミー団体を通じて献金を受けたという政治資金規正法違反で逮捕、起訴されたのである。それが最初の公判で事実無根であったことが立証された。その結果、検察側は公判が維持できなくなり一年近く裁判ができなくなった。このこと自体も異常な事なのは素人の私にもわかる。なぜこの時点で裁判官は大久保被告に無罪を言い渡さなかったのか。全く常識的には考えられないことだ。しかも一年近く後になって、この件は無罪なので訴因を検察が変更しますと言ってきたものを「はい、分かりました」と受け付けているのだ。あろうことか高裁、最高裁までもが同じように「はい、分かりました」と判決を出したのである。無罪が確定した事件について、裁判所が検察の面子のために被告の人権を無視して起訴内容を変えたのだ。これが裁判と言えるのか。同じことは水谷建設事件の大久保被告側にも起きている。
小沢一郎氏に対する検察審査会の一回目の議決にない事の追加も同じだ。明らかに検察審査会には起訴できなかった事を判断するだけしか法的権限がないのに、その事実は無視して全ては刑事訴訟において争えとはどういう事なのか。裁判所は法律を解釈して正否を判断する機関ではなかったのか。しかも強制起訴の前に、この事実を追認するかのように訴因を追加することを起訴する側の弁護団が決定したという。だったら最高裁の判決は何だったのか。始めから全てが仕組まれているのではないのかと誰もが思うだろう。合理的な理由はどこにもないし、誰が聞いても納得する証拠もない。これで裁判が成立すること自体が異常なのだ。
これについて反論できるならして貰おうではないか。もっとも裁判所は数々の冤罪を何も防げなかったし、高知白バイ事件のように、明らかに無罪の人間を警察側の意見だけを採用して最高裁までもが有罪判決をしているのだから、小沢氏や元秘書達の事件についても同じことを考えていると思う方が自然なのかもしれない。彼らにとっては検察や官僚たちの利益のためには平気で無罪の人間に有罪判決を恥ずかしくもなく告げることができるのだろう。それが今のこの国の裁判の現実なのだろう。大阪地検の証拠改竄などはかわいいものなのかもしれない。巨悪は裁判所と検察の双方の組織とその背後にいる官僚組織そのものにあるのだ。こんな司法組織と検察組織は根本から作り直すしかないだろう。
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