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田中良紹の「国会探検」
2011年1月 9日 00:49
百年の孤独
正月に高級焼酎「百年の孤独」を飲みながら百年前の世界を考えてみた。
1911年の日本は、その前年に韓国を併合し、朝鮮半島を領有して帝国主義列強に伍す存在となり「東洋唯一の一等国」と言われた。しかし国内では平民が中心の政治を訴える社会主義への弾圧が強化され、1月に大逆事件で幸徳秋水らが死刑となり、8月には警視庁に特別高等警察課が設置されて「特高」と呼ばれる秘密警察の活動が始まった。
中国では共和制を訴える辛亥革命が起こり、清朝が倒れて孫文が中華民国初代臨時大統領に選出された。辛亥革命を支持する団体の多くは日本国内で組織され、多くの日本人が中国の革命運動に参加した。右翼思想家・北一輝もその一人である。メキシコでは映画「革命児サパタ」で有名なエミリアーノ・サパタが「土地は人民のもの」と主張して政府との武装闘争を開始した。
そしてこの年イギリスでは下院(庶民院)が上院(貴族院)より優越するという議会法が制定され、「国民主権」の政治が始まった。議会法の成立過程は、「ねじれ」に悩む日本政治にも参考になると思うので少し詳述する。
イギリス議会は「議会制度の母」と言われる。1265年(文永2年―鎌倉時代)、戦費調達のための重税政策に反発した貴族が、貴族や聖職者、騎士などによる「諮問会議」を国王に開かせたのが起源とされる。議会のメンバーにはその後市民の代表も加えられ、1341年(暦応4年―南北朝時代)には生涯貴族や聖職者からなる上院(貴族院)と騎士や市民で構成される下院(庶民院)の二院制が確立した。
上院と下院の違いは前者が非民選議員であるのに対し、後者は選挙で選ばれた議員で構成される。ただ性別や納税額などの制約がない「普通選挙」が実施されるのは20世紀に入ってからだから、当時の市民は今の市民と同じではない。
議会の起源が戦費調達のための重税政策に対する反発だったことからもわかるように、議会の重要な使命は税金の使い道を決めることである。その税金を稼ぎ出して収めるのは国民だから、税金に関わる法案については貴族院よりも下院に優越権があると考えられた。17世紀の半ばから財政法案については下院に優越権が認められている。
とは言っても、イギリス議会の長い歴史は貴族院と下院との闘いの歴史である。下院議員は権力を持つ国王や貴族に逆らう発言はやりにくい。別々に分かれて協議をし、下院の決定を貴族院議員のいる本会議に出向いて伝える役を下院議長が行ったが、議長は権力者から睨まれる危険を覚悟しなければならない。そのため今でも下院議長に選ばれるといったんは就任を嫌がる仕草をするのが慣習になっている。
1909年(明治42年)、自由党のアスキス内閣の蔵相ロイド・ジョージは、ドイツに対抗するための莫大な軍事費と社会福祉の財源を捻出するため、地主に増税する予算案を議会に提出した。地主貴族が多数の貴族院はこれを通常の予算案と認めず、社会革命法案だとして否決した。それまで自由党内閣は213法案のうち18法案を貴族院の否決で潰されていた。
アスキス内閣は貴族院と全面対決する。対決の方法は下院を解散して民意を問うことであった。1910年1月に行われた総選挙は政府与党の勝利となり、貴族院は譲歩を迫られ、やむを得ず予算案を可決した。しかし政府はそれで矛を収めなかった。さらに貴族院の権限を制約する議会法案を議会に提出して下院で成立させた。当然、貴族院はこれに大幅な修正を加える。下院はこの修正案を否決し、再び政府が伝家の宝刀を抜いた。
こうして1911年8月、議会法が成立し、下院を通過した法案は貴族院の承認なしに成立することになった。貴族院は下院の決定をチェックすることはできるが決定する権限を失った。事実上の一院制になったと言っても良い。それが百年前のイギリスである。
戦前の大日本帝国議会はイギリス議会を真似て作られ、貴族院が圧倒的な力を持っていた。大日本帝国憲法下の33人の総理はほとんどが貴族院出身で、国民に選ばれた衆議院出身は原敬、浜口雄幸、犬養毅の3人だけである。貴族院は「不偏不党」を掲げて政党政治を嫌い、国民から選ばれた政治家の政治を抑圧することを目的とした。
その貴族院出身の松本丞治が戦後の新憲法を作る担当大臣となり、GHQの反対を押し切って参議院を作った。この時GHQは「イギリス議会の長い混乱を日本は繰り返すことになる」と反対したが、松本の抵抗で最後は世襲にしないことを条件に参議院を認めた。これがイギリスよりも複雑な「混乱の政治構造」を生みだす。
総選挙で選ばれた与党は内閣を組織する。ところが参議院選挙で過半数を失うと、衆議院で可決した法案が参議院で否決され、不成立になる。これを覆すには衆議院の三分の二の賛成が必要で、それは極めてハードルが高い。衆議院の可決が民意なら参議院の可決も民意だから、日本の政治は民意で真っ二つに分断される。
そこにイギリス流の「マニフェスト選挙」が加わってさらに複雑になった。衆議院選挙のマニフェストを選んだ国民が、それと対立するマニフェストを参議院選挙で選べば、どちらの政策も実現できないことになる。与野党が話し合って妥協しろと言っても、異なるマニフェストにはそれぞれ支持する国民が付いているから妥協も簡単でない。「政局よりも政策」と言うのが馬鹿に思えるほど、「政策よりも政局」を何とかしないと何も始まらない仕組みなのである。
その政治構造を熟知して手を打てる政治技術がない限り、いかなる政策も、いかなる目標も「絵に描いた餅」に過ぎない。ところがそれをわかっているとは思えない政治家の発言が相次いでいる。年初以来の菅総理の発言も谷垣自民党総裁の発言も、まるで現実をわかっていないと私には思える。現在の日本政治を病気に例えれば重篤というのが私の診断だ。
ただし菅総理が言った「政治とカネの問題にけじめをつける」は、総理とは逆の意味で望むところだ。ロッキード事件以来の「政治とカネ」のマインドコントロールで日本は民主主義の根本を見失った。その「愚民状態」から早く脱しないと重篤は危篤になる。
議会は国民の税金の使い道を決めるところである。いかに国民生活を守るかを議論するところである。それを官僚任せにして「政治とカネ」の議論に終始してきたわが国の国会の馬鹿馬鹿しさを私はこれまで嫌というほど見てきた。証人喚問だの、議員辞職だのとさんざん騒いで大事な国民生活に背を向けてきたこれまでの阿呆な政治には反吐が出る。
百年前から「政治とカネ」が官僚権力の民主主義を抑圧する仕掛けであったことに気付かないとこの国は沈没する。その意味で今年はぜひ「政治とカネ」にけじめをつけ、「国民主権」の政治が始められるようにして欲しい。「百年の孤独」を飲みながらそう思った。
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/01/post_243.html
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