http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/652.html
Tweet |
昭和と平成が入れ替わる頃に、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」が全国放送されだした。司会は過激派ディレクターとして名前を売っていた田原総一郎(滋賀人、早大卒)が当時より務め、固定パネルとしては庶民派の大島渚(映画監督)と野坂昭如(直木賞作家)、それに対座する東大の学者である西部邁と舛添要一が代表的な存在だった。
西部が当時のメディアに頻繁に登場するようになった背景には1988年の中沢事件があった。東京外大の助手をつとめていた中沢新一を東京大学の教官として招聘するか否かをめぐった教授会での争いに敗れた西部は抗議のため東大教授を辞任。翌年には東大助教授のポストに10年間居残りさせられた舛添も便乗して東大を去る。つまり、東大リストラ組を権威の中心に据えアンチ東大人脈を謳ったのがテレ朝の討論番組だったというわけだ。
当時、吉本興業系の人気トーク番組に出演した舛添は東大から離別した理由を明石家秋刀魚にきかれてこう答えている。「あいつらはバカばかりだから」(要一の郷里の言葉では「あげな奴らばぁ〜バカチンたい」)。
舛添の「バカ」発言は、西部邁が東大を辞職した際の弁「バカ」(邁の郷里の言葉では「ハンカくさい」)を受けてのものであり、西部の「バカ」発言を誘導したのは、中沢人事問題での教授会で中沢擁護側の蓮見重彦がついにキレて相手を罵ったときの決定的な台詞「馬鹿なお前ではわからない!」であったことは歴然としている。
実は、中沢事件を知るためのキーワードはこの「バカ」なのである。理屈じゃないのだ。中沢をどう評価するかについて、肯定否定のどちらのサイドについていた者も結局は「バカ!」「お前がバカ!」と収拾のつかない言い争いに陥るしかなかったというのが中沢事件の行き止まりだったのだ。
中沢新一62歳。事件当時、彼は母校の東大ではなく、東京外国語大学で助手をしていた。40前で助手というのは学者の立身出世コースとして褒められたものではないが、東大大学院ではPHD課程を30代で満期退学になっていた不良書生だったのだから致し方ないことである。そのかわり、彼は独自の関心と研究意欲をもって他の学者では切り開くことのできない分野に秀でた男であった。そのうちの一つがチベット密教である。東大PHDを断念した翌年に出版した「チベットのモーツァルト」は10万部を売るベストセラーになりながらも大衆向けではなく欧州のポストモダン構造主義に追随した専門学術書であり、当時ネオアカと称された人文・科学なんでもこいの若いハイブリッド学者の中では京大の浅田彰と並ぶ代表格に中沢の存在を押し上げたのだった。
実は私(チベットよわー)はチベットのモーツァルトを読んでいない。中学生のときに買ったものの、よく理解できずに放ってしまったのだ。最近になって文筆業の友人から一冊献上していただき「代わりに読んで内容をかいつまんで解説してくれ!」という使命をおおせつかったのであるが、書棚に眠ったきりである。今ならおそらく内容は学識として理解することが難易ではないだろうが、私はその置き去りにされた長い時間の中で中沢のデビュー作「虹の階梯」に出会ったおかげもあり、もう彼への興味を一切失ってしまったので無理な注文なのである。
「虹の階梯」は中沢が学者として正規の官製コースで成就できなかったことを容易に予言しうる要素であふれかえっている。早い話が、サイケデリック小説のようなものだからである。中沢はネタ元というか目標の存在であったUCLAのカスタネダについても常に触れ、日本のカスタネダにあらん!という意思表明さえ行っている。つまりは超現実主義を掲げているわけであり、国立大学から給与をもらうような人間かどうかが疑わしいことは東大大学院時代にも既に露呈していた事実なのである。
「虹の階梯」は実費を出して読んだ人には気の毒だというしかない。まるで覚醒剤か精神昂揚剤の影響下にあるような現実ズレした体験談が連なる。座禅瞑想の結果、頭頂に開いた穴から煙があがり焦げ目が頭皮につく・・・・・などという”虚実の入れ混ざった狂ったビジョン”を是正する第三者の存在もないまま暴走する無職の三十路東大生。電波少年企画ならまだしも、まさかこれが国費で賄われた修行なんかじゃねえだろうなあ・・・・と誰もがあきれかえってしまうはずである。ちまたでは、こういう男性のことをキチガイというのだから。
奔放すぎることに中沢は、こともあろうに朋友の浅田彰の著書からとった用語で自らを「スキゾ・キッド」などと呼び、統合失調の資質を逆に売り物にせんとした。これでは東大から拒まれることも無理はない話である。ここが中沢事件の最大のポイントであろう。ネオアカなどとマスコミにちやほやされることに嫉妬した古い体質の東大教官によって拒絶されたということよりずっと説得力のある真相である。
中沢を推薦して、無理ならば退任さえ辞さないとして本当に実行した西部邁というのも、実は東大にはあるまじきスキゾジジイであったことは有名である。カリフォルニア大学に在籍した期間はヒッピーにまじって各種の幻覚剤・ドラッグに手をだしラリったまま帰国したというのだから、お里が知れるというものである。
東大には、宮沢賢治の研究に一生を捧げた教授もいれば、ヴァン・ゴッホの専門家もいればバカの壁のオッサンもいるわけで、キチガイにまつわる全てを排除する傾向があるわけであるまい。それどころか、スキゾ中沢の採用をめぐっても教養学部に賛成派は山といたのだ。
多少風変わりでも、精神に常軌を逸したものが認められようと、学者の頭脳としてみるべきものがあればいいじゃないか。博覧強記!フランス語で難関文献をスラスラよんで、一方でチベットのリンポチェと宗教を論じることのできる圧倒的なリテラシーを持つ中沢は貴重な存在だ!そういって認めようとする西部や蓮見をはじめとした東大教授はいた。その「紙一重な天才バカ肯定派」が国立最高学府東大の常道派の前に撃沈させられたというのが中沢事件の基本的な輪郭である。常道派は「退屈なワンクでいい。正常なオツムの人間が東大で働くべき」という判決を下した。
誰もそれを言ってないし、西部でさえ暴露本でそれをきちんと説明していないので、後の世代の人間は何が起こったか理解できない。どうせ庶民には閉ざされた世界である東大の中で起こったことだ、などと特権階級の問題として片付けられた中沢事件。その実は「国家権力とキチガイ」をめぐる重要な公職裁判であり、全ての有権者や納税者にとっての知的である自由と権利について一つの答えを出した意味のある事件であった。
______________________________________________________
(おまけ)
時と舞台はかわって関西のローカルTV番組で80年代初頭に起こった事件は、現在の吉本の稼ぎ頭で当時は新米のダウンタウンと、漫才で一時代を築いた師匠格のY山、それに糸井重里、大島渚といった文化人内のバラエティー因子を巻き込み、これまた「キチガイ裁判」の顛末を見た。
Y山の司会する漫才コンテストに登場したダウンタウンは、まるでスキゾキッズ漫才とでもいうべき常軌を逸したアバンギャルドで一般道徳的な通念に挑戦的な漫才を行った。それを咎めるY山との間で悶着が起き、審査をしていた糸井や大島らははじめは全員一致の状態でダウンタウンの新奇な漫才を支持していたのにかかわらず、Y山に見据えられると掌を返して悪評価を下し、結果的にダウンタウンを敗退させてしまったのである。
ここに我々は中沢事件に共通する展開を目撃するわけだ。キチガイ(松本人志)を認めるのか、認めないのか。明らかに同世代の芸人の中、頭一つ抜けた別格の才能を持つキチガイ(松本)をそのキチガイさゆえに潰してしまっていいのか。
その後、ダウンタウンは全国区に進出し、大ブレイクして現在に至るわけで、上方漫才の権威から非難されお預けを食った過去の汚点はとうの昔に修復しているわけだ。Y山の説教など時代についてこれない昭和芸能の遺物によるやっかみにすぎないと、本人達は笑い飛ばしてしまったのかもしれないが、糸井は後でそれを振り返りY山の言い分に同調している。「面白かったが、同時に、(精神)障害者を見ているようだった」と糸井は松本を前に「許容しづらい程度のキチガイ」だったことを指摘した。民放のゴールデンタイムに堂々と。
糸井でないと言わないことであり、糸井でないと言えないことである。中沢のほうの「キチガイ裁判」では結局、こうやって中沢の本質について何がいけないのかを断言できる人材はいなかったようである。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 日本の事件30掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。