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本日の日経新聞朝刊に掲載された社説である。
“冤罪”の出発点は警察と検察の職業意識にもとる醜悪な捜査ぶりと歪な価値観にあるが、“冤罪”がはびこっている最大の要因は、裁判官が「“優秀”な警察や検察が逮捕し起訴したのだから有罪に違いないという“推定有罪”的配慮や、国家が国家としての威厳を示すためには国家機構の行為を“正当”なものと認定すべきという考え」を持っていて、支離滅裂な自白調書・整合性がない物的証拠・検察が都合良く組み立てた“状況証拠”をもって有罪の判決を下していることにある考えている。
日経新聞は、東電女性従業員殺害事件やパソコン遠隔操作脅迫事件が特殊なもののように考えているようだが、私はそれほど“特殊な”出来事だとは思っていない。
赤紙で戦場に送られた兵士や日常生活で力ある者から理不尽な対応を受けた人々が、抗しがたいものとあきらめことが終わるのを待つように、無実でありながら、あきらめの境地で刑期が終わるのをじっと待っている人も多いはずだ。
(少なからぬ弁護士が、自己保身のためなのか、裁判官と同じような考え方をし、情状酌量で減刑を求めるような弁護活動に終始している。それでは、被告人があきらめの気持ちになるのも当然であろう)
日経新聞の社説のように、「どのような状況証拠がどの程度あれば有罪とみていいのかは、難しい問題だろう」という考えをしている限り、冤罪は後を絶たない。
整合性のある物的証拠や証言がないまま自白や状況証拠のみで有罪にするのは、現在の法論理に外れているという認識が不可欠である。
なかには罪を犯した者をいるだろうが、不十分な証拠や論証であれば無罪という判決を出し続けることで“冤罪”問題は少しずつ減少していくと思っている。
行き着くところは、「犯罪者を無罪にしてしまうことがあったとしても冤罪をできるだけ出さないようにするか、冤罪で獄に繋がれたり死刑になったりすることがあったとしても犯罪者はできるだけ放置しないようにするか」という問題である。
現在の法理は前者であり、それがイヤなら憲法改正を含む法理を変更するしかない。
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司法全体で再審無罪の検証を
東京電力女性社員殺害事件で、無期懲役が確定したネパール人男性の裁判をやり直す再審が、逮捕から15年の歳月を経て決着した。東京高裁は判決で「第三者が犯人である疑いが強い」と結論付け、男性の無罪が確定した。
事件では、捜査、裁判での立証・審理、再審と続く刑事司法それぞれの段階に大きな問題があることが改めて明らかになった。制度全体の検証を徹底して、再発防止につなげなければならない。
犯行現場にあった残留物のDNA型が男性と一致したため、捜査はこれと矛盾する他の証拠を軽視し、鑑定を疑ってかかる裏付けを怠る結果となった。パソコンの遠隔操作事件で、インターネット上の住所にあたるIPアドレスを絶対視して4人を誤認逮捕した最近の例と、同根の誤りといえる。
再審の申し立て以降、弁護側は新たな証拠を開示するよう再三求めたが、検察は拒否した。その後に実施した新たな鑑定の結果が再審開始の決め手となった事実をみれば「不利な証拠を隠していた」と疑われても仕方がない。
ところが驚くことに、検察は捜査や立証を検証する必要性を認めていない。裁判員制度が始まり、証拠の積極開示が進む中で、社会的な要請を無視した姿勢と言わざるを得ない。検察は公益の代表者であることを自覚し、再審段階での証拠開示のあり方について、自ら見直しを進めていくべきだ。
事件には決定的な直接証拠がなく、一審は「合理的な疑問を差し挟む余地がある」との判断から無罪判決を出した。だが二審はこれを覆して無期懲役とし、最高裁も支持した。ほぼ同じ証拠で正反対の結論を導いたわけである。
どのような状況証拠がどの程度あれば有罪とみていいのかは、難しい問題だろう。しかし裁判員裁判の場では市民が、被告が否認し証拠も乏しい事件で「死刑か無罪か」といった問題と向き合っている。裁判所は冤罪(えんざい)を招いた事実を重く受け止め、再発防止策を打ち出していくべきだ。
[日経新聞11月9日朝刊P.2]
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