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殺人ストーカーに変貌した59歳文科省OB 異様な「冷静犯行」
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20121008/dms1210081232002-n1.htm
2012.10.08 夕刊フジ
刃物は心臓も肺も貫いていた。それも何カ所も。遺体に残された深い刺し傷は、犯人が強い殺意を抱いていたことを如実に物語っていた。京都市左京区の自宅前の路上で、同志社女子大の職員、荒川孝二さん(36)が帰宅直後に刺殺された。1週間後、殺人容疑で京都府警に逮捕されたのは、同僚で同女大教育・研究推進センター次長、天野祐一容疑者(59)だった。文部省OBで国立大学の総務部長なども歴任した経歴を持つ。一見、犯罪とは無縁に見える男は、なぜ同僚に、苛烈で執拗な殺意を抱いたのか。
■なぜタクシーで
「タクシーで逃げた?」
ある捜査関係者は、天野容疑者が「現場への行き帰りはタクシーを使った」と供述しても、最初は半信半疑だったと明かす。
事件発生以来、現場での連日の聞き込みで、事件前の不審車情報や不審人物情報などに振り回されてきた記者たちにとっても、その思いは同じだ。
通常、犯行後に逃げることを考えるなら、なるべく人目に付かないようにと考えるのが普通だ。
「逃走用に自家用車を使ったり、レンタカーを借りるなんていうのは、手慣れた犯罪者から見たら『素人』。窃盗事件でも『プロ』なら、なるべく足がつかないように盗難車を使うのが常識だ」と、ベテラン捜査員も言う。
しかも、人を刃物でめった刺しにすれば、返り血を浴びるケースがほとんど。今回の事件でも、現場の血痕のDNA鑑定から、刺された荒川さんだけでなく、刺した天野容疑者自身も負傷し、出血していたことが確認されている。
そんな状態で、わざわざタクシーを呼び止めて逃げようと思うものなのか。
■奇妙な冷静さ
供述通りだとすると、犯行直後の21日未明、天野容疑者は事件現場のすぐ東、世界遺産の下鴨神社に沿って南北を通る下鴨本通で、流しのタクシーを拾ったらしい。
天野容疑者の自宅マンションは、現場から約10キロ南に離れた同市伏見区竹田西段川原町。タクシーに乗り込むと、当初、同市伏見区の市営地下鉄くいな橋駅に行くよう指示したが、途中で行き先を京阪丹波橋駅(同区)に変更。さらにもう一度行き先を変え、近鉄小倉駅(京都府宇治市)で降りたという。
このタクシーを運行する会社によると、行き先を複数回変更するなど、乗客に不審な点がある場合、車内の防犯カメラで録画するなどの対応を徹底している。
しかし、初老を迎えたその男性客は終始冷静で、挙動不審なそぶりもなく、運転手は全く不審に思わなかったという。
素人くさい犯行の手口とは相反するような奇妙な冷静さ。ある捜査幹部は「殺害という目的を達成し、自分の世界に入り込んでいたのではないか。われに返る前だったのだろう」と推測する。
天野容疑者は事件翌日の21日以降も、通常通り大学に出勤。事件が議題となった幹部会議にも出席し、雑談で事件の話をすることもあったという。
■帰宅直後の凶行
事件は9月20日午後11時57分ごろ、京都市左京区下鴨下川原町の路上で起きた。荒川さんは職場から帰宅して自宅前に車を止め、ガレージの扉を開けようといったん車を降りたところを、待ち伏せしていた天野容疑者に呼び止められたとみられる。
「変な人が包丁を持っている」
荒川さんは、自ら110番通報している途中に刺されたとみられる。通報記録には「助けて」という悲鳴が、うめき声に変わる様子が生々しく記録されていた。
その約3分後には、荒川さんがあお向けの状態で胸から血を流して倒れているのを、銭湯帰りだった男子大学生(20)と女子大学生(18)が発見し、人を介して119番。さらに2分後には、通報を受けて京都府警下鴨署員も駆けつけたが、天野容疑者はすでに現場から姿を消していた。
■急転直下
目撃情報が乏しかったが、発生から約1週間後、急展開する。
「勤務態度はいたってまじめ。トラブルなど考えられない」(大学関係者)という荒川さんが、同僚の女性からある相談を受けていたことが判明したからだ。
相談内容は、天野容疑者のストーカー行為についてだった。無言電話などだけでなく、9月に入ってからは、女性の自宅近くで、待ち伏せするなど天野容疑者の行為がエスカレートしたため、女性が荒川さんに相談していたという。
刺殺事件の数日前、天野容疑者と荒川さん、女性の3人で話し合いの場を持っていたことも判明した。
ただ、その場では、口論になったりすることはなく、3人で一緒に話し合ったのもこの1回だけだったという。天野容疑者が、なぜそこまで強い殺意を抱くようになったのかについては、いまなお判然としない。
■前夜の投石
捜査では、刺殺前日の同月19日深夜、荒川さん方のガレージ内にコンクリート製のブロックが何者かによって投げ込まれ、車のボンネットなどが傷つけられる事件が起きていたことも判明している。
荒川さんは、同署に器物損壊事件として被害届を提出したが、その際には「誰がやったかわからない」と話していたという。
捜査本部は、器物損壊事件が刺殺事件と同様、午前0時前に発生していることなどから、天野容疑者が関与した可能性があるとみて関連を調べている。
天野容疑者が、前夜の投石にも関与していたとすれば、いやがらせが殺意にまで変わった経緯は事件の謎を解くカギの一つになるが、前夜の投石について、天野容疑者の弁護士は「答えられない」としている。
■転職組
同志社女子大などによると、天野容疑者は東京都出身で、昭和56年に文部省(当時)に入省。山形大総務部長などを経て、平成16年から同女大に勤務していた転職組だった。
家族はいるものの、単身で伏見区内のマンションで暮らしていたという。
被害者の荒川さんも、別会社から同女大に転職していたが、業務上は天野容疑者との接点はほとんどなかったとみられる。
「取り返しのつかないことをしてしまった」
ようやくわれに返ったのか、逮捕後の取り調べには素直に応じているという天野容疑者。
「殺すつもりで自宅から包丁を持っていき、荒川さんを待ち伏せしていた」とも供述。犯行当日、明確な殺意を持って現場に向かったとみられ、計画性もうかがえる。供述に沿って、凶器とみられる包丁も現場近くの川から見つかった。
妻と小学生の子供と3人暮らしだったという荒川さん。関係者によると、突然、大黒柱を奪われた荒川さんの家族は、逮捕されたのが同僚だったと聞いて、さらに大きなショックを受けているという。
逮捕後、天野容疑者は接見した弁護士に「遺族や関係者の皆さまに深くおわび申し上げる。反省の第一歩として、真実をありのままに述べていく」と話したという。
動機には、なお多くの謎が残されているとはいうものの、天野容疑者が今後、どんな「真実」を語ったとしても、犯した罪の代償が払えるとは、到底、思えない。
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