http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/529.html
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gataroさんがすぐ下のスレッドで投稿されている情報だが、元被告人が既に死刑を執行されてしまった飯塚事件に関して、福岡地裁がDNAの再鑑定を行うことを認めたという。
「飯塚事件」に関する詳しい問題点=冤罪性の指摘は、その死刑執行から1年も経たない時期の09年8月に放送されたテレビ朝日の番組「ザ・スクープ」を見て知った。
鳥越俊太郎氏がMCを務めていたその番組では、遺体発見現場近くに停止していた自動車や人物を目撃したという対向走行車運転手の証言に関する信憑性やDNA鑑定の妥当性が中心的に取り上げられていたと記憶している。
が、番組を見てなんといっても驚いたのは、今では冤罪が明らかになっている「足利事件」の再審問題が取り沙汰されていた最中に、同種のDNA鑑定の誤りを取り上げて再審請求の準備を進めていた飯塚事件の死刑囚が、死刑判決確定後わずか2年ほどで“優先的”に死刑を執行されたということである。
(※ 刑事訴訟法では死刑確定後6ヶ月以内に執行となっているが、現実は、死刑確定から死刑執行まで平均7年半ほどの猶予がある。本人もそれを強く望んだという池田小事件の宅間死刑囚の1年未満という早期執行は例外中の例外。また、法的に義務はないが、再審請求が出されている死刑囚は執行から除外する運用がなされている)
刑事訴訟法で、「死刑の執行は、法務大臣の命令による」と定められている。
死刑という処罰を確定させるのは裁判所=司法だが、死刑の執行を命令するのは法務大臣=行政である。
とはいえ、法務大臣が死刑囚リストを眺めて次の執行者を決めるわけではなく、法務官僚が、死刑囚の○○の刑を執行したいという内容の書類を作成し、法務大臣に決裁を求めるという流れである。書類作成に先立ち、法務官僚は、対象死刑囚の死刑執行に問題がないか調査する。精神面、肉体面の変調や再審請求の有無も考慮され、裁判記録や証拠なども吟味されるという。
飯塚事件の元被告人を死刑に処した内閣は、事件が起きた飯塚を主要な選挙地盤とする麻生太郎氏を首班とし、法務大臣は自民党の森英介氏であった。
森英介氏が鳩山邦夫氏ほど死刑執行に積極的であったかどうかは不明だが、死刑執行にためらいがなかったとしても、死刑執行の最高責任者(最終命令者)として、官僚が作成した書類にただ押印したわけではなく、当然のこととして裁判記録や証拠を精査したはずである。
むろん、死刑の執行について誰よりも責任を負うべきは、死刑の判決を確定させた裁判所の裁判官たちである。
飯塚事件でDNAの再鑑定というニュースを聞き、死刑判決がどれほどの証拠と論証に裏打ちされているものなのか気になり、福岡地裁・福岡高裁・最高裁の各判決を読んでみた。
飯塚事件が冤罪であったとしても、判決内容を吟味する程度の調査なら、死刑執行の命令を決裁してもやむをえないと思えるものだったかどうか確認したかったからである。
飯塚事件にかかわる判決文を読み終えた思いを率直に言えば、あまりに程度が低い劣悪な判決というものである。
ざっくばらんに言えば、これほどひどい判決だとは思ってもいなかった。恐ろしいことに、高裁・最高裁までが、そのような一審判決を平然と追認している。
但し、一審判決の論述に、ことさら事実をねじ曲げて被告を犯人とするといった傾向はそれほど多く見られない。それゆえ、なおのこと、有罪・死刑という結論に大きな違和感を抱く。
飯塚事件の一審判決文を素直に読み解き、「推定無罪」や「疑わしきは被告人の利益」といった近代法理論を前提に判断すれば、“真実”は別として、被告人は無罪という結論に達する以外はないはずである。
(※ 現時点で、死刑に処せられた久間氏が事件に関わっていないという論証はできない。しかし、裁判で有罪にするためには、久間氏が事件に関わっているという論証こそが必要なのであり、久間氏が関わっていないという論証はまったく必要ない)
量刑部分を除く一審の判決文は、できの悪いサスペンスドラマの脚本とも言えるもので、被告人が有罪であるという論証どころか、事件の経緯さえ未解明のまま、被告人を有罪とし死刑としているとんでもレベルのものである。
今回、DNAの再鑑定が認められたということだが、鑑定内容以前に、被害者やその付近から検出されたとされる血液やDNAの由来があやふやであり、再鑑定にどれほどの意味があるのかとさえ思わせる判決なのである。
そうであるとしても、現実問題として、DNAの再鑑定の結果が一審で認定された鑑定内容を覆すものであれば、再審で無罪を得る可能性が高い。個人的にはその必要性さえ認めないが、冤罪を晴らす手っ取り早い戦術として支持したい。
なお、仮に、DNAの再鑑定が一審通りの結果であったとしても、“真実”は別として、被告人は無罪だと考えている。
逆に、ことさら言う必要はないことだが、DNAの再鑑定で不一致が認められたとしても、久間氏の血液は被害者の身体などに付着していなかったというだけで、久間氏の無実が証明されたというわけではない。
このような不埒なことを書いたのは、それほど雑でいい加減な捜査内容をベースに、久間氏の有罪が認められ、死刑の判決が下された事件であることを強く主張したいからである。
■ 飯塚事件とは
まず、飯塚事件がどのような事件なのか簡単にまとめる。
92年2月20日午前8時30分〜50分のあいだに、福岡県飯塚市で登校途中の小学1年生女児二人が失踪し、翌21日になったばかりの深夜、隣接する甘木市(現在は朝倉市)の国道に面した林の中から遺体で発見された「未成年者略取もしくは誘拐」・「殺人」・「死体損壊等(遺棄)」事件である。
(※ 日本弁護士連合会のサイト(http://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty/q12/enzaiiizuka.htm)は、当該事件について「幼児強姦殺人事件」と記しているが、強姦の事実は、検察も主張していないし、裁判でも認められていない。強制わいせつに相当する所見は認められているが、わいせつ行為が生前に行われたものかどうか不明であるためか、外見的には証拠もある強制わいせつも、罪として認定されていない)
08年10月28日理不尽かつ無慈悲に死刑を執行された元被告の久間氏は、事件発生から2年4ヶ月ほど経った94年6月23日に、まず死体遺棄の容疑で逮捕された。そして、10月14日には、さらに殺人の容疑で再逮捕された。
久間氏は、捜査段階から公判まで一貫して犯行を否認し、無実を訴えて続けた。
■ 冤罪の温床になりかねない「“犯行否認”に対する叱責」と量刑の関係
飯塚事件を担当した一審(福岡地裁)の裁判官たちは、判決文最後の(量刑の理由)において、
「被告人は、本件当時、自らも被害児童と同じ甲野小学校に通学していた1学年上の子供があり、年齢も54歳と分別盛りで、被害児童の遺族らの心痛の程が当然分かるはずであるにもかかわらず、捜査、公判を通じて一貫して平然と犯人性を争っており、被害児童やその遺族らを意にも介せず、反省するどころか、自己やその家族がいかに警察から迫害を受けたかを訴えるばかりで、良心の呵責や改悛の情が全くみられない。
以上から、被告人には極刑を与える他なく、主文のとおり死刑に処することとした。」
と論述している。(※ 引用文中の「甲野小学校」は、(潤野)小学校の誤字であろう)
被告人が罪を認めていながら“それがどうした“と居直っているというのならまだしも、被告人は、判決にも「捜査、公判を通じて一貫して平然と犯人性を争っており」と書かれているように、無実を主張しているのだから、この部分は、裁判官にはあるまじき、許し難い犯罪的言いがかりである。
(量刑の理由)のなかで、無実を主張していることをことさら“悪意”に満ちた表現で指弾し、それを受けるかたちで、「以上から、被告人には極刑を与える他なく、主文のとおり死刑に処する」と結んでいる。
仮にだが、当該事件の犯人として死刑に処された久間氏が、実際は無実であっても、死刑はなんとしても回避したいという思いで公判で深い反省の意を示し続けていたら、犯罪に強姦がないことから、量刑は、死刑ではなく無期懲役になっていた可能性もあったように思える。
飯塚事件一審判決のような書き方は否認事件でよく見られるものだが、それは、人々に、「警察に逮捕され検察に起訴されたら、よほど明確なアリバイ(反証)があるのならともかく、むやみに事実を争ったり対抗したりするのはヤメ、素直に罪状を認め、反省の姿勢を示せ。そうでなければ、より重い罰を与えられることになる」ぞと“脅迫”しているようなものである。
(※ 念のため、被告人に、反証や無実の挙証を行う責任はない。検察官のみが、被告人の有罪を挙証しなければならない責任を負う)
このような判決の実態が広く認知されれば、逮捕後の被疑者や被告人は、どうあがいても警察や検察そして裁判官に無実を認めさせることはできないと観念すると、量刑を少しでも軽くしてもらったほうが得と判断し、やってもいないのに自白に動く可能性がある。弁護人にさえ、素直に罪を認めたほうがいいと被告人を唆す動機を与えている可能性がある。
死刑判決の可能性がある事件であればなおのことである。無期懲役でも、10年ほど経てば仮釈放される可能性があるが、死刑になれば、存在そのものを抹消されてしまうからである。
被告人が罪を認め反省しているかどうかを量刑に反映させることは、冤罪の温床になりかねないものであり、やってはならないことだと考えている。
処罰の軽減は、服役態度などその後の状況で判断すればいいのであり、公判における被告人の態度をもって斟酌する必要はない。
(※ 今では冤罪が明らかになっている「足利事件」も、菅家氏は、ある時期まで、警察の意に即した内容で罪を認めている。(不起訴処分になった別の幼児殺害事件への関与まで認めたが、アリバイが成立したため不起訴処分:この異様な経緯でも検察は本件を再考しなかったのである)一審の国選弁護人は、菅家氏が2、3日泣いてばかりで話してくれず3日目になると罪を自白したことから、事実関係を争わず、情状酌量で刑の軽減をはかろうとした。さらに、国選弁護人は、菅家さんが公判の途中で否認に転じると、信頼関係が傷つけられたと怒り、菅家さんは「私がやりました」という上申書を裁判所に提出することになったという)
飯塚事件の一審判決は、さらに、次のような一文も付け加えている。
「被告人は、警察が有している情報を探り、自己が町内会長をしていたことから団地の住民全員から毛髪を提供させようなどと言って警察の捜査に協力するように見せかけており、捜査の攪乱を意図したものと認められ、犯行後の行動も狡猾である」
しかし、これも“ものは言いよう”という意味のない“非難”であり、先ほど引用した判決文を援用して、『被告人は、「同じ甲野小学校に通学していた1学年上の子供があり、年齢も54歳と分別盛りで、被害児童の遺族らの心痛の程が当然分かる」ことから、捜査の進展をひどく気にかけ、町内住民にも疑いがかかっていることを知り、町内会長としてそれを積極的に晴らそうとする動きも示した』と言い換えることができるものである。
そうであれば、ことさら異様な振る舞いとは言えないどころか、そのような動きで犯人が見つかれば、捜査に協力したということで感謝状をもらってもおかしくない行動である。
逆に、判決文に書かれた被告人行動のどこが、「捜査の攪乱を意図したもの」になるのか疑問であり、いずれにしても、(量刑の理由)として語るべきことではない。
■ 飯塚事件の一審判決文から構成できる犯罪の事実
一審判決文では、目撃証言がいくつか示され、事件の経緯もまことしやかに語られている。
しかし、書かれた文章から起きた状況をできるだけ具体的にイメージしながら判決文を読めば、事件の経緯については、「ある朝、小学1年生の二人の女児が登校の途中で姿が見えなくなり、15時間ほど経った翌深夜に遺体で発見された。解剖所見から、二人の女児とも、扼殺された(手で頸部を圧迫されたことによる窒息死)こと、性器に損傷を加えられていたことがわかった」という程度しかわかっていないことがわかる。
だからこそ、福岡地裁の裁判官たちは、被告人を死刑としているにもかかわらず、「11結論」で、
「本件において被告人と犯行との結び付き証明する直接証明はせず、情況証拠によって証明することのできる個々の情況事実は、そのどれを検討してみても、単独では被告人を犯人と断定することができない」
と述べたあとに、
「しかしながら、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、これらをすべて照合して総合評価する必要がある。」
と続け、自動車や血液及びDNA鑑定に関する判断を示したのち、
「以上のような諸情況を総合すれば、本件において被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定することができる」
と、“有罪に都合の良い論理(お話)”の集積によって、被告人を有罪と決めつけているのである。
検察の主張に沿うものであろうが、判決は、次に示す二つをあたかも事実であるように思い込むことで書けたもののように思える。
● 二人の女児は午前8時30分から8時50分のあいだに通学路から自動車で連れ去られた。
● 二人の女児はほどなく殺害され、午前11時過ぎに遺体発見現場に遺棄された。
そのような経緯であった可能性を全面的に否定するわけではないが、何を意味するものか不明である二つの目撃証言を事件と関係する重大な事実とみなすことで、犯行に使われた車種から被害者の死亡推定時刻までが、それらに沿うかたちで導き出された可能性があると推測している。
目撃証言でわかった二つの出来事を、検証できないまま事件に結びつけたことで、配偶者や子どもを職場や学校に送り届けるためにワンボックス車を利用し、午前8時30分から8時50分のあいだにその付近を通過する可能性もあった被告人が、被疑者として浮上した(狙いを付けられた)のである。
判決文をきちんと読めばわかるが、事件に関係する出来事とされている二つの目撃証言は、事件に関係している出来事であると確定的には言えないのである。
飯塚事件の判決は、“検証(確定)できていない事実”を、あたかも事件の経緯であるように扱うことで、結論(有罪・死刑)に至る論証を進めているのである。
詳細な説明は別の機会に行いたいと思っているが、「二人の女児が自動車で連れ去られる場面やある自動車に乗っている状態を目撃した人はなく」、「二人の女児が失踪後2時間半以内の午前11時までに殺害されたと判断できる解剖所見もなく、午前11時過ぎに遺体を遺棄したと思わせるような動きを見たり、翌深夜0時過ぎまでのあいだに遺棄された遺体らしきものを見たという人もいない」のである。
殺害された二人の女児は、学校の始業時間にじゅうぶん間に合う時刻に家を出ていながら、失踪時点ではすでに遅刻していた。二人は、登校に気が進まない様子を見せていたとも判決に書かれている。
二人らしき女児が最後に目撃された時刻(8時30分)からそれほど間を置かない8時50分ころに意識的な捜索活動があったことで二人の失踪がはっきりしたが、そのあいだに通り過ぎた自動車は目撃されていても、所有者や理由がわかっている自動車以外で付近に停止した自動車は目撃されていない。
女児たちに話しかけてダマして車に乗せるにしろ、手際よくムリやり女児二人を自動車に連れ込むにしろ、とにかく自動車がいったん停止させなければならない。
判決によれば、共犯者はなく、被告の単独犯行である。
二人の女児を自動車に乗せ走り去るためには、ダマシであれ強奪であれ、それなりの時間を要すると思われる。そうは言っても、誰にも目撃されずうまくことを完了させた可能性を全面的に否定することはできないが、登校に気が進まない二人の女児が、主体的に通学路から外れた可能性を否定することもできないはずである。
そのいずれであったかは不明のままであり、通学路から自動車で連れ去られたとは言い切れないのである。
判決も、「被害児童が最後に目撃されてから被害児童がどのような行動をとったかは不明であり、犯人に誘われるなどして登校路を逆に向かった可能性もある」と書いている。
二人の女児が自主的にふだんの通学路から外れたとすれば、検察官や裁判官が考えている道路を自動車で連れ去られたとは言えず、その道路を通過した自動車に絞って“嫌疑”をかけるのは誤りとなる。
二人の女児は、細い路地のようなところを歩いているときに建物に連れ込まれたり(殺害後に遺棄のため自動車に乗せるだろうが)、他の道路を歩いていたときに自動車に乗せられ連れ去られた可能性もある。
仮にだが、被告人の犯行と想定した場合、解剖所見と自動車に残された血痕の量的バランスや検出された血液の種類からいって、自動車内でわいせつ行為に及んだとは考えにくく、どこかの建物内か原っぱなどの屋外(寒いが...)でわいせつ行為や殺害に及んだ可能性が高い。
被告人が犯人としている判決文も、殺害やわいせつ行為を行った場所を明示していない。
より思い込みがひどいと思われるのは、事件発生から2時間半ほどしか経過していない午前11時過ぎに遺体発見現場となる場所の付近に停まっていた自動車と車の周囲を歩いていた運転者らしき人が目撃されたことをもって、それが女児二人の遺体を遺棄した行為である可能性が濃厚と判断したことである。
二人の遺体は翌深夜0時過ぎにその場所で発見されているから、女児が失踪してからそれまでのあいだに遺棄行為があったことは確かだが、通行量がそれほど多くない道路というから、そこに停車した車は必ず目撃されるという状況ではなく、誰にも目撃されずに自動車を停めて遺体を遺棄した可能性もある。
遺体発見者は立ち小便のために停車したそうだが、誰かに目撃されたという話は出ていない。
13時間ほどのあいだにわかっているだけで2台の自動車が停止した場所なのだから、遺体遺棄行為を含む他の自動車がその付近に停車し、遺体発見者と同じように目撃されていないとしても、ことさらおかしな話とは言えない。
なんにしても、午前11時過ぎに目撃された自動車が、犯行車両であるという検証も論証もできていないのである。
午前11時過ぎに目撃された自動車が事件に無関係なら名乗り出るはずという見方があるかもしれないが、警察と関わりをもったために、疑われたり冤罪に陥れられるのはごめんだという人も少なくないだろう。
それはともかく、初期の目撃証言では車種も不明なのだから、その当人が自分のことだと思わなかった可能性や警察の確認行為が及ばなかった可能性もある。
遺体の遺棄や立ち小便(遺体発見者の行為)の場所として選ばれているところなので、事件に巻き込まれたくないという思いだけではなく、目撃された人も、“ゴミの不法投棄”など明らかにされたくないことをそこで行った可能性もある。
さらに言えば、子どもとはいえ二つの遺体を遺棄する時間帯として、真昼の11時頃を選択する愚を犯すかという疑問を提示することができる。
遺体を遺棄する時間帯としては、誰かに目撃されたとしても、自分自身や自動車が識別されにくい夜間を選ぶと思える。
一審判決は、遺体発見現場付近で目撃された自動車を、遺体遺棄のためにやってきた犯行車両と判断したために、事件の構図を大きく歪めてしまったようだ。
失踪した場所から遺体遺棄現場までは、自動車で早くても35分はかかるとされている。
今回は説明を省くが、死亡推定時刻に関わる解剖所見を冷静に読めば、女児二人が殺害されたのは、午前11時をずっと過ぎた午後(それも夕方)の可能性が高い。
判決では、女児二人の死亡推定(殺害)時刻は、失踪からほどない午前9時頃とされている。午前9時に殺害したとすれば、女児二人をせっかく手に入れた“変質者”は、20分ほどしか時間を共有していないことになる。ほぼ、殺すためだけに女児を略取したことになる。
判決が、胃の内容物に関する解剖所見からは認めがたい午前9時頃を二人の死亡推定時刻としたのも、午前11時過ぎに目撃された自動車と運転手によって遺体が遺棄されたというストーリーに引きずられたせいのように思える。
ざっくり言えば、判決が描いた事件の構図は、「女児が失踪したと思われる時刻にマツダボンゴらしきワンボックスカーが通り過ぎるのを目撃した人がいる」、「事件発生から2時間半ほどたった時点で、遺体発見現場近くに停車しているマツダボンゴらしきワンボックスカーを目撃した人がいる」という話をベースに作り上げられたものと言えるだろう。
二つの目撃情報から、根拠も希薄で検証もないまま、“道路を歩いていた二人の女児は、午前8時半過ぎに自動車に乗せられ連れ去られた。そして、午前9時頃には殺害され、午前11時過ぎに遺体発見現場に遺棄された。遺棄された遺体は、日が変わった直後の深夜0時過ぎに発見された”というストーリーが出来上がってしまったようだ。
そして、そのストーリーを頭に置いて世間を見渡すと、被告人となった久間氏が、マツダ製の紺色ワンボックスタイプ、後輪がダブルタイヤ、リアウインドーにフィルムが貼ってある自動車を所有していた。その上、久間氏は、毎日のように、失踪した時間帯に通りかかってもおかしくないスケジュールで自動車を利用していた。
事件との関連性を検証できていない二つの目撃証言と被告人の自動車を結びつけることで、「本件において被告人と犯行との結び付き証明する直接証明はせず、情況証拠によって証明することのできる個々の情況事実は、そのどれを検討してみても、単独では被告人を犯人と断定することができない」と前置きしながら、「以上のような諸情況を総合すれば、本件において被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定することができる」という奇妙な結論を導き出したのである。
一審の裁判官が、「推定無罪」や「疑わしきは被告人の利益」という法理を踏まえていれば、判決文で示した事実からでさえ、被告人を有罪にすることなぞできないはずである。
それは、判決文が、被害者が失踪当時着ていた衣服などに付着していた繊維などを鑑定した結果を受け、「犯人車がマツダステーションワゴン・ウエストコーストであると断定できない」、すなわち、事件発生当時に被告人が使用していた自動車と同じ車種が犯行に使われたとは言い切れないとまで書いていることでわかる。
■ DNA鑑定は非同一性(別人)の証明にしか使えない証拠
「足利事件」でも問題になったDNA鑑定だが、その意味が誤って流布されているように思える。
「東電OL殺人事件」のような、被害者とゴビンダさん以外の第3のヒトのDNAを検出していながらそれを秘匿したという“陰険な犯罪的捜査手法”は別としても、DNA鑑定は、「非同一性の証明(同一性の否定)」には利用できても、「同一性の証明」には利用できないのである。
DNA鑑定は、ある場所に残されていたヒトの細胞とある人の細胞について、パターンの一致・不一致を判定できるが、一致したことをもって、ある人のものとは認定できないのである。
一致は、ある人は関与から除外できないとか、ある人は無関係とは言えないということを意味するだけである。
一方の不一致は、重要な判定で、事件や子どもとは無関係であるという証明になる。
よく、飯塚事件や足利事件当時は256人に1人という出現確率だったDNA鑑定も、精度が上がり、同一パターンが出現する確率は4兆7000億人に1人になったと言われているが、それは、原発でメルトダウンが発生する確率は1千万年に1回などと同じレベルのまやかし的確率論である。
4兆7000億人に1人という確率は、複数のパターンの出現率を掛け算した値でしかない。そのような計算方法の妥当性を支える確率論的独立性が成立するかどうかの検証も行われておらず、どの程度の確率で同じDNA型の人が出現するかは明らかになっていないのである。
アメリカ合衆国メリーランド州で2007年1月、登録数が3万人分程度のDNA型プールで、理論値では1千兆分の1の確率とされるDNA型で“偶然の一致”があったことが裁判で明らかになったくらいである。
このようなことから、飯塚事件のDNA再鑑定で、仮に、一審が認定した結果と同じになったとしても、それをもって、久間氏の有罪が“確認”されるわけではないのである。
(※ 一部DNA資料の保存もないため、現在の技術を利用した再鑑定はできない)
逆に、判決文に書かれている該当事件の経緯に照らせば、DNA鑑定の結果が不一致だったからといって、久間氏が事件に無関係と判断することはできない。
なぜなら、事件に関与した人の数も不明で、犯人の血液や体液(精液など)が被害者に付着しているとは言えない事件だからである。
それはともかく、DNA再鑑定の結果にかかわらず、久間氏を有罪・死刑とした判決は誤りであり、法理論に従えば、無罪とする他ないケースだったのである。
有罪であるという証拠はないが、事件に関わっていないという証拠がないので、有罪とするような法論理はない。
久間氏を有罪とするためには、久間氏の犯行であるという確固たる証拠が必要なのである。
判決自体が認めていることだが、そのような証拠がないまま、「状況証拠」なる推測話の積み上げをもって、平然と“死刑”を宣告した裁判官たちの良心と知性を疑う。
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- 「飯塚事件」データまとめ エテ公 2012/9/13 20:37:30
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