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東住吉事件・青木さんの涙
ロンドンオリンピックが終わりました。
普通の人は、ビールを片手に冷房の効いた部屋で
応援をしていたのだろうと思います。
そういった普通の生活がどれほどいとおしいものか。
たくさんの冤罪被害者の方にそういった普通の生活を取り戻してあげたい、
僕自身は無力ですが、何か力になりたい。
何かの折につけて僕は考えてしまいます。
東住吉事件で無実を訴え、今年3月に再審開始決定と刑の執行停止が決定されたにもかかわらず、検察の即時抗告により今も服役している青木惠子さん。その彼女から先日手紙が届きました。
それは、あまりにも切ない手紙でした。
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東住吉事件
1995年7月22日、大阪市住吉区の青木惠子さん宅の家屋1階の土間兼車庫付近から出火し、家屋がほぼ全焼した。この火災で浴中だった青木さんの長女(小学6年生)が逃げ遅れて亡くなった。 警察は、火元と見られる家屋内に火災原因が確認できなかったことから、何者かによる放火を疑い、火災により死亡した長女にかけられていた保険金の受取人である青木さんと、当時内縁の夫であった朴龍晧さんが共謀のうえ、保険金目当ての放火殺人を引き起こしたと2人を任意同行。「自白」を取得し二人を逮捕した。しかし、裁判で二人は一貫して無実を主張する。裁判でさまざまな「自白」と事実関係の矛盾が露呈するが無期懲役が確定した。その後、新たな実験などが行われ、今年3月再審開始決定が出されるが、検察は即時抗告。現在、大阪高裁で審理が行われている。
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3月7日大阪地裁で再審開始決定が出た東住吉事件。その後、刑の執行停止も決定されました。青木さんが刑の執行停止を知ったのは3月30日の昼食の後だったそうです。「やったぁ」と、部屋に戻った彼女は荷物の整理をして、もう必要ないとほとんどの物を捨てました。それからの3日間は期待と不安で眠れたり眠れなかったり、そして釈放の4月2日を迎えました。この日、荷物の整理を済ませ、私服に着替え準備を整えます。そして釈放まで後10分と迫ったときに職員がやってきました。『釈放できなくなった―』。彼女はこの言葉をどんな気持ちで聞いたのでしょう。「あまりのショックに涙も出ませんでした―」。それからの2日間は泣きながら過ごしたそうです。5日の午後から工場の作業に戻った彼女は『これまで以上に、なぜ私が―』という気持ちでいっぱいだといいます。
今年も7月22日がやってきました。この日は、事件が起きた日、つまり彼女の娘さんの命日になります。今年で17年が経ちます。当時11歳だった彼女の娘さんは生きていれば28歳になります。どんな女性になっていたでしょう。青木さんの望みは娘の『命日』までに釈放されることでした。しかしその望みは叶いませんでした。「今年も自分の手で供養してあげられず、本当に悔しい限りです」と手紙にありました。
検察側の人間も立ち会った再現実験で「シロ」という決定が出ながらも、「実験に不備がある」と異議を申し立てる検察。この人たちは、ただのクレーマーでしょう。いえ、ただのクレーマーならまだマシですが、彼らはそれによって他人の人生を奪うのです。僕はこの人たちは鬼畜だと思っています。ただただ怒りがあるのみです。この怒りを力に変えて、無実の人がその濡れ衣を晴らせるように少しでも力になりたいというのが僕の思いです。
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