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http://mainichi.jp/area/shizuoka/news/20120625ddlk22040118000c.html
袴田事件:救援会が集会と事件現場を視察 /静岡
毎日新聞 2012年06月25日 地方版
日本国民救援会などは24日、静岡市清水区で「えん罪袴田事件第7回全国現地調査」を開き、集会と事件現場の視察を行った。
同区島崎町の清水テルサであった集会には約100人が参加し、袴田事件弁護団の小川秀世事務局長や袴田巌死刑囚(76)の姉秀子さん(79)、「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝死刑囚(86)の面会人で支援者の、稲生(いのう)昌三さん(73)らが講演した。
稲生さんは、5月25日に名古屋高裁が奥西死刑囚の再審開始を取り消した決定を「本当にひどい」と批判。最高裁への特別抗告に期待したいと話し、「無罪が出るよう、ともに力を出して頑張りたい」とあいさつした。
その後約30人が同区横砂東町の事件現場(当時は清水市横砂)付近を訪れた。【平塚雄太】
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46年前の今日、袴田さんは警察に連れて行かれた(つぶやきいわぢろう)
2012.07.04 Wednesday
(前略)
あの袴田事件の袴田さんに任意同行がかけられたのは今から46年前の今日でした。
静岡県の清水市(当時)で味噌会社の専務一家4人が殺害され放火されたいわゆる袴田事件。
発生したのは1966年6月30日でしたが、7月4日、袴田さんの部屋を捜索した警察は「血染め」のパジャマを発見し袴田さんを任意同行して取り調べを始めました。
その日から46年間、袴田さんはずっと無実を叫び続けてきました。
先月22日、僕は袴田事件の現地調査に参加しました。
明りのない夜中に、混合油の入った取っ手のないバケツを持って、線路を渡れるのか?
カギのかかった裏木戸をそのバケツを持ったまま出入りすることができるのか?
ちょっと見ただけでもたくさんの疑問がわいてきました。
現在、再審請求審で戦っている小川秀世弁護士が、袴田事件の再審について語ってくれました。
長いので分けてその内容をお伝えします。
小川秀世弁護士
「袴田さんは、ご承知のように事件が発生した味噌会社に勤めておりました。なぜ袴田さんが最初何も証拠がないのに逮捕されたのか?あるいは最初から疑われたのか?謎めいているところはあります。たとえば袴田さんがプロボクサーで被害者で殺害されたご主人は柔道2段で非常に強健な方だったのでそういう被害者を音もなく殺せるのは袴田さんくらいしかいないだろうということも言われていました。
ただ事件が発生したのが6月30日、袴田さんの住んでいた寮が捜索をされて袴田さんのパジャマが押収されたのが7月4日です。ところがこれは写真も残っているのですが、袴田さんのパジャマには目に見えるような血は付いていませんでした。しかし警察は『血染めのパジャマ発見』あるいは『血が付いたパジャマを発見』というリークの仕方をしているんですね。『血染めのパジャマ発見』というのは毎日新聞が一番大きく書いたんですけれどもほかの報道機関も同じですよね。『血染め』だとか『血の付いた』という発表したら警察だってもう後戻りできないですよね。
そこですぐ袴田さんを取り調べるんです。ですからこの時点でも袴田さんなんにも証拠ないのに逮捕しようとしていたという疑いがあるんですけど、それは一体なんだったんだろうと思います。最終的にパジャマが決め手で逮捕したということになっているんですが、この時点ではまだ血が付いているかどうかもわからない。そんなパジャマを押収して袴田さんを任意同行して取り調べました。ここはちょっとわからないところですが、私が思っているのは、この事件は警察は真犯人像がわかっている、あるいは真犯人とかんでいるのではないかとそのくらい思いますよね。だからもう袴田さんが全く無実であってもそう進めようとしていたと。そうでなければ、証拠がないのに何で証拠も確実でないのに『血染め』などとリークして、任意同行かけて取調べをやったのか説明付かないですよね。
と勝手な意見かもしれませんけど思っています。
袴田さんが逮捕されたのは8月18日です。だから任意同行から2ヶ月経ってからです。袴田さんが18日に逮捕されて9月6日に自白をして9月9日起訴なんですけども、袴田さんの自白調書は45通取られていて44通は証拠能力がないと排除されて1通起訴当日の検面調書だけが採用されているんです。
けれどもこれだけじゃなかった。最近、証拠開示されてさらに15通の自白調書があったんです。だから実に60通の自白調書を取ったということになるのですが、これは世界でも類がないんじゃないですか。日本でももちろんないでしょ、60通も自白調書とっているというのは。何でこういうことになったかというと起訴前に9月6日からしか自白していないんですけども起訴後ずーっと取り調べられているんですね、1ヵ月半くらいですかね。その中で自白調書が延々と作られていったという全く変な話で、率直に言って弁護人は何をしていたのかというそういうところも問題だと思うんですけども、いずれにせよ60通も自白調書が作られていたんです。
それで後は問題になるのは今DNA鑑定で捏造が明らかになろうとしている『5点の衣類』(事件から1年2カ月後、味噌工場の味噌タンクの中から、見つかった血染めのブリーフ、ステテコ、半そでシャツ、ズボン、スポーツシャツ。袴田さんのものとされた)のことです。事件の発生したのが1966年6月30日で『5点の衣類』は翌年67年の8月31日に発見されているんですね。事件の1年2ヵ月後に発見され、しかももちろん公判中ですけれども、公判途中に発見された『5点の衣類』が中心証拠とされてそれで有罪となったというまったくおかしな事件です。
この事件の特殊性というのは今申し上げたとおり自白がある、自白が60通もあったにもかかわらずそれと全く矛盾する『5点の衣類』があるという変な事件なんです。それだけで怪しいと思われるんですけども、矛盾するのは自白では袴田さんが消火活動で着ていたパジャマで犯行を行った。殺害を行って放火もパジャマで行ったというふうになっているんですね。
しかし『5点の衣類』が発見されたあと、検察官は『5点の衣類』が犯行着衣だったと、だから前のパジャマは間違いだったというんですね。パジャマが消えてたんですけども、裁判所はどういったかというと、『5点の衣類』で殺害を行ってパジャマで放火を行ったといういい加減な認定ですよね、本当にいい加減な認定ですけどもそういう認定になっている。自白と5点の衣類が矛盾している。『5点の衣類』というのは一番重要な証拠です。裁判所がこれが決め手だといった証拠で、客観的な真実はこれだといっているわけです。その証拠と矛盾する内容の自白なんです。自白が一番重要な証拠と矛盾していたら自白は『信用できない』ということに普通なります。そんな自白をさせられたのは袴田さんが無実だからじゃないですか。だからそういう意味でもまったく矛盾を抱えたまま進められてきた、そういうおかしな事件です。
裁判所は自白と矛盾するということで5点の衣類を中心証拠にしました。結局、有罪判決はどうしたかというと、あの時提出していた45通の自白調書のうち44通は証拠能力がないということで排除しました。けれども1通、検察官に対する自白調書、起訴当日の9月9日の自白調書は採用してそれだけ自白調書として取り上げて有罪判決を書いたんですね。これは判決の中身見ていただければわかりますけれども、なんで警察の調書だとか、ほかの調書については証拠能力がないといったのか?一審の裁判所は弁護士が接見をしたのが23日間のうちでたったの37分だと。15分、15分、7分。それだけしか3人の弁護人がつきながら会っていない。しかも1日平均12時間の取調べをしている。そして最長16時間の取調べをしている。そんなのはもう強制に他ならないんだというわけですよ。だからもうそんな取調べの中で自白したのは証拠能力はないんだといっているんです。それだったら検察官も同じでしょう。その中で検察官の取調べが行われたわけですから。しかも検察官の取調べは清水警察署の中で行われて、清水警察署では便器を取調室に持ってきてそこでさせてそういう中で行われた取調べですからね。
何でそれだけ採用したのか?裁判所としては細かい事実を認定するために自白調書が必要だったということなんです。当時の主任裁判官だった熊本元裁判官が最初は無罪判決を書くつもりで全部自白調書を同じ論理で排除したけれども、ほかの裁判官が無罪判決に反対してそれに屈して有罪判決を書いた。有罪判決を書くときに自白がないと書けないから1通だけ採用したということを聞きました。熊本さんが告白してくれたからいいようなものですけども、でもそれはおかしいですよ。裁判官の事実認定のあり方、自分の都合で証拠能力のないようなやつも拾って有罪判決を書くなんて。
袴田事件で特徴的なのは袴田さんが拘禁症であるということですよね。私が弁護人になったのは28年前です。その当時まだ第1次再審が申し立てられて間もない頃ですけどもその当時もすでに袴田さんは事件ことについては非常にセンシティブになっていてあまり細かいことを聞くと怒り出したりした話しにくいなぁと言う感じだったんです。そして最終的に再審が静岡地裁で棄却された時点からは本当に面会することもなかなか困難な状況になってきました。
今はもう2年近く面会できてない状態です。当事者の袴田さんが弁護人にも家族にも面会できない。面会をしても袴田さんはいつも言われるのは『私はあなたの弁護人だ』といっても『もう事件は終わったんだ』と『私は死刑囚でもなんでもない。間もなく釈放されるんだ』と。裁判のこと、自分が死刑囚であるということ、そして再審をしているとかそういうことは全然受け付けないですよ。ところがへんな言い方ですけれどもたとえば今日何を食べたとかあるいはボクシング関係者の方が接見をしてボクシングの話をすると技術論とかにも乗って話をしてくるそうです。これはこの死刑、自分の置かれている立場に対する恐怖あるいはストレスからそういう風な状態になっていることはもう明らかですよね。そういう状態のまま放置されてきて今面会も出来ない状態というのは、死刑囚の処遇の問題です。処遇の問題でこんなずっと放置されてきたというのは非常に問題ですよね。このことがこの事件の二つ目の問題だと思います」
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