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マイナリさんの兄インドラさん(右)の自宅で息子の帰国を待ちわびる母チャンドラカラさん=13日、カトマンズで(杉谷剛撮影)
2012年6月14日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012061402000107.html
「十五年間も刑務所に入って、息子はどんなにつらかったか…」。東京電力女性社員殺害事件で再審開始決定を受け、釈放されたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリ元被告(45)の母チャンドラカラさん(79)が十三日、ネパールの首都カトマンズで本紙の取材に応じ、息子の帰国を待ちわびる心境を語った。 (カトマンズで、杉谷剛)
ネパール東端の農村地帯イラム郡で、息子と娘を三人ずつ育てたチャンドラカラさん。十年ほど前からぜんそくを患い、今はカトマンズにある長男インドラさん(54)の自宅に身を寄せている。
「ゴビンダが捕まってから、思い出すたびにいつも泣いていた。帰ってきたら抱き締めて泣きたい。それから今は病気で、あまりしゃべれないけど、たくさん話をしたい」
ボンベの酸素を頻繁に吸わなければならないほど症状は重いが、「死ぬ前に会いたい」との一念で病と闘ってきた。「釈放と聞いて胸がいっぱいになった。病気でも、今が人生で一番うれしい」
五番目の子どもで、男兄弟で一番下だったゴビンダさんをとてもかわいがったという。警察や検察、裁判所には「誰が何を言っても息子の無実を信じてくれなかった。今さら何も言うことはない」と怒りをにじませた。
いつも息子に会いたがっていたという父親ザヤさんは五年前、心臓発作で八十六歳で亡くなった。「息を引き取る直前まで『ゴビンダ、ゴビンダ…』と呼び続けていた。弟の服役が相当なストレスになっていた」。旅行会社に勤めるインドラさんは振り返る。
十五年前、逮捕のニュースは地元でも大きく報道され、周囲の好奇の目にさらされた。
「家族はつらい思いをした。弟が生還するのは難しいと感じた」。それだけに日本の支援団体「無実のゴビンダさんを支える会」に強く感謝している。
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