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2012年2月21日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012022102000053.html
山口県光市で母子を殺害した元少年に対する最高裁の判断は極刑だった。遺族は死刑制度に深い問い掛けをしていた。厳粛なるテーマにどう向き合うか、裁判員時代こそ、洞察を深めねばならない。
「どうすれば死刑という残虐で残酷な刑が下されない社会にできるか。それを考える契機にならなければ、私の妻と娘、そして被告人も犬死にです」
家族の命を奪われた本村洋さんが差し戻し控訴審で、元少年が死刑の判決を受けたとき、話した言葉である。「この事件で三人の命が奪われる結果になった。明らかに社会にとって不利益なことです」とも語った。二人は家族、もう一人は元少年のことである。
極めて深遠、かつ根源的な問い掛けである。二人の殺害で被告を処刑すればいいという、単純な報復感情とは明らかに一線を画する。死刑制度はどうあるべきか。社会の安全をどうつくるかを国民全員に問うているのである。
元少年は犯行時、十八歳という年齢を三十日だけ上回っていた。少年法では十八歳未満への死刑を禁じ、無期懲役とするよう定めている。少年法は罪を犯した者でも、若いがゆえに柔軟性に富み、まっとうに立ち直る力があると信じて制定されている法律だ。
更生可能性という。一審はそれに期待し、無期懲役。二審も無期懲役。最高裁は二審判決を破棄し、裁判のやり直しを命じた。この控訴審で死刑、そして最高裁で死刑確定へと至ったのだ。
ただし、今回の判決でも一人の判事は「精神的成熟度が十八歳を下回っている場合は、死刑回避するに足る」と反対意見を述べた。極刑を下した最高裁で、反対意見が出るのは異例中の異例の出来事だ。いかに悩み深い判断だったかがうかがわれよう。
元少年はいずれ死刑執行を迎える。その日が来れば、母子殺害事件は結末を迎えるのだろうか。むろん「否」である。
最高裁の判決後に本村さんは「判決に満足しているが、喜びは一切ない」と語った。むしろ事件からの十三年間、「元少年にやり直させるのが正義なのか、死で償いをさせるのが正義なのか、悩んできた」と述べた。悩んでも「答えがない」とも吐露した。
死刑は裁判員が直面する問題だ。「答え」の用意はどこにもない。この制度をどう考えたらいいか。遺族の問いに国民全員で論議を尽くすべきである。
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