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(回答先: 日航ジャンボ123便 スペースワープしていたJAL123便。「サムライサージ」により18:15〜18:20長野北相木村へ 投稿者 愉快通快 日時 2012 年 2 月 25 日 07:46:36)
1985年8月12日の日航ジャンボ123便であるが、
一番重要な点が全く議論されていないのは遺憾である。
JAL123便は、18:15〜18:19にかけて、
長野県北相木村にスペースワープしていたのである。
具体的には、
JAL123便は、羽田空港ランウエイ15から1985年8月12日18:12に離陸した。
3分後の
18:15に、フライトレコーダーのLOC(ロケーション)の値が突如、振り切れている。
そして、18:19に、再度、振り切れている。
運輸省航空事故調査委員会JA8119号機JAL123便 報告書305〜306ページ
http://img.asyura2.com/us/bigdata/up1/source/7581.jpg
この、18:15〜18:19の4分間、JAL123便はスペースワープが発生し、
長野県北相木村を飛行したのである。
具体的には、
栗生峠西側付近(タクシー運転手証言)〜北相木小学校(夏祭りの準備の20人全員が目撃)〜御座山上空(朝日新聞報道)〜石仏
を飛行したのだ。
18:19に、閃光と共に、茅ヶ崎沖の↓の丸4の地点に現れたのである。
http://img.asyura2.com/us/bigdata/up1/source/7581.jpg
その後、口封じのため、主導した
・ソ連
・自衛隊
により、国産核ミサイルによる度重なる攻撃を受け、米軍横田基地への着陸も妨害され、御巣鷹に自衛隊中性子爆弾により撃沈されたのである。
要は、
筑波科学万博のマスコットは、「コスモ星丸」であった。
この「コスモ」は、ソ連のコスモス軍事衛星のことである。
筑波科学万博とは、日ソ共同の催し物だったのである。
日本政府のアメリカ離れが、日本人の生存にとって如何に危険かを如実に示した例が、JAL123便事件なのである。
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