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(回答先: 日航ジャンボ123便 乗客小川様が機内から右側の車窓を撮影した写真の「6枚目」ですが、右上にプロペラ羽根が写っています。 投稿者 愉快通快 日時 2012 年 2 月 10 日 15:14:13)
JAL123便は伊豆半島川奈界隈から、わざわざ南下して下田港周辺で超急旋回。回避を繰り返しているのです。
海上自衛隊出身の日本で数番目の腕を持つ高浜機長でなければできない技です。
また、
「下田港」まで南下して急旋回回避を行なっている理由は
・天皇家の下田御用邸がある。
・下田開港の下田である。
・下田開港の時、ロシアも開港をせまって、軍艦ディアナ号で来たのですが、11月4日に大津波(安政の大地震)。神力の地である。
ということです。
さらに、
大津波で自力航行不能となったロシア軍艦ディアナ号は、西伊豆の戸田(へだ)へ修理のため曳航中、風と波により数百隻の救助活動もむなしく、ついに宮島村沖で沈没となった。
地震、大風の神力が発生した訳です。
ソ連が攻めてきた時、神国日本の力が出るのが下田なのです。
要は、
「ソ連が攻めてきた時には下田」
と、昔から相場が決まっているのです。
逆に、JAL123便が「下田」に逃げているということは、「ソ連が攻めてきた」ということになります。
欧米が破綻寸前で、ロシアや原住民アジアの世が来そうな流れですが、
この「6枚目」
http://img.asyura2.com/us/bigdata/up1/source/7286.jpg
は、欧米勢力を復活させることのできるほどの重要な1枚なのです。
1985年8月12日で「豊かな時代」が終焉してしまったのは、
JAL123便で欧米の飛行機、軍、及び救助が敗退し、JAL123便は撃墜され生存者は残忍に虐殺され、野蛮な原住民の世が到来したからなのです。
なんとしても、JAL123便の教訓から「豊かな時代」を取り戻さねばなりません。
<参考>下田開港の歴史
http://www.izu.co.jp/~p-boo/kaikou.html
ロシア軍艦ディアナ号とプチャーチン提督
http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/Muse260.html
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