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1985年8月12日、御巣鷹の尾根上空で撃墜されたJAL123便。
その撃墜の際に使用されたと推測されるのが、国産核兵器である。
では、一体どのような経緯で国産核兵器が、製造されるに至ったのか。
国産核兵器製造の歴史は、日本の原子力発電の歴史とパラレルであり、しかも日本の原発開発は最初から、アメリカの支配者階級の支配範疇の中で進められて来た。
原料となるウラン供給、原子炉の設計と建設、再処理施設の建設と運用等々、日本の原子力政策の裏には、すべてアメリカの産軍複合体の「支配」と「監視」があった。
ただその中で、日本独自の核武装を主張する勢力は、一方ではアメリカに隠れながら、他方ではアメリカの「下請け」になりながら、小型核兵器の製造を国民に秘匿して、原発を隠れ蓑にして推進していたと推測される。
核兵器には、濃縮プルトニウムが必要不可欠で、プルトニウムは東日本大震災で、人為的に破壊された東電福島第一原発等で、製造され溜め込まれていたと推測される。
原子力委員会の資料によれば、「2009年末で日本が管理する分裂性プルトニウムは約31トン。核兵器1個当たり4キロと想定した場合、7750個分に相当する」(『原発の闇』新日本出版社、69ページ)。
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