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中曽根元首相の証言「ロッキード事件は米国の陰謀」(世川行介)
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投稿者 内田良平 日時 2011 年 11 月 05 日 07:57:35: ce8lhuPxZ7s6.
小沢一郎を窮地に追い込んだ今回の「小沢事件」と田中角栄を貶めた「ロッキード事件」の共通点について、多くの関係者が米国の陰謀説を唱えている。小沢も田中も強大な権力を握りながら、対米従属から自主外交に歩を進めようとしたため米国という虎の尾を踏んだというものだ。今回、世川氏が12月に「小沢一郎支援本」の中で、中曽根元首相のロッキード事件に関する証言を取り上げ、小沢事件の核心に迫ろうとしているので一部紹介したい。
<以下、抜粋>
ぼくは、小沢一郎事件のいびつ性を理解するためには、
ロッキード事件を理解することが不可欠だ、と思っているので、
今回の本は、そこを書いた。
特に、若い読者は、
ロッキード事件と小沢一郎事件を、比較検証してみて欲しい。
中曽根康弘元首相のロッキード事件私見
僕は、「今回の小沢一郎事件と三十五年前のロッキード事件とはよく似ている」、と思っているわけだが、その理由を書くことにする。
三十数年前、マスコミは、「ロッキード事件は、この国の総理大臣までからんだ一大汚職事件だ」と書き立て、マスコミに誘導された世論の支持をうけた検東京地検特捜部は、田中角栄を逮捕した。田中角栄は、マスコミから「悪の権化」のように指弾され、政界での力をうしない、子飼いの議員たちからそむかれ、病にたおれ、失意のうちに政界を去った。
しかし、三十数年経った現在では、あれほど大騒ぎになったロッキード事件に関して、「本当は、米国の陰謀であって、田中角栄はその犠牲者であった」というのが定説になりつつある。裁判所が一審から二審で出した判決とは、まったく異なる内容の説だ。
こうした米国政府がらみの事件は、半永久的に、その真実が日本国民の前に明かされることはないわけだから、政府や裁判所やマスコミが、「いや、たしかに、あの汚職事件は存在した」と言い張りつづけたら、おおくの国民は、それを信じていくことだろう。つまり、すべては「藪の中」のままで、「戦後歴史の闇」として葬り去られることだろう。
ここに、一つの文章がある。
元首相で、田中角栄と同時代を生き抜き、いまは数少ない戦後昭和政治の生き証人となった中曽根康弘が書いたものだ。彼は、当時をふり返ってこう述べている。
「田中内閣が発足して二年目の一九七三年秋、第四次中東戦争をきっかけとしてオイル・ショックが起こる。ペルシャ湾岸の石油産出国六カ国は石油価格を二十一%引き上げ、OAPEC十ヵ国石油担当相会議が五%の生産削減とアメリカなどイスラエル支持国(アラブ非友好国)に対する石油輸出禁止を決めた。仮に日本への石油輸出が毎月五%削減された場合、日本経済は翌年三月には立ち行かなくなることが目に見えていた。」
「オイル・ショックの頃から、田中君は日本独自の石油資源外交に積極的な姿勢を取り、アラブ諸国から日本が直に買い付けてくる「日の丸石油」にまで色気を見せていた。さらに、渡欧の際には、英国の北海油田からも日本に原油を入れたいと発言し、ソ連・ムルマンスクの天然ガスにも関心を示して、独自の資源獲得外交を展開しようとした。これがアメリカの虎の尾を踏むことになったと私は想像する。
世界を支配している石油メジャーの力は絶大である。いささか冒険主義的だった田中君の資源外交戦略が淵源となり、「ロッキード事件」が起こったのではないかと考えることがある。」「田中君が逮捕されてから間もなく、日本を訪れたキッシンジャー氏と二人きりで話していた折のことである。氏は、「ロッキード事件は、間違いだった。あれはやりすぎだったと思う」と、密かに私に言ったことがある。キッシンジャー氏は事件の本質、真相をおそらく知っていたに違いない。」
(「私と角栄氏とキッシンジャーの言葉」 中曽根康弘)
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