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脱原発でも放射能脅威はなくならない
首相に欠落している安全保障の視点2011.08.09(火)
森 清勇
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菅直人首相は7月13日、記者会見を設定して「脱原発」を闡明(せんめい)した。その後、閣僚から多くの異論が出され、「個人的な思い」に修正した。しかし、ストレステストの導入による原発再稼働の停滞で、尋常でない電力節減が続いている。
こうした結果、企業の海外移転などによる産業の空洞化懸念や、国策で推進してきた原発輸出の見直しなどの大問題が発生している。
日本の運命が「個人的な思い」で左右されるおかしな構図になっている。その裏で決定的に欠落しているのは、安全保障上からの視点(放射能対処など)である。
国民の思いを汲み取れない首相
脱原発という延命装置を着けた菅直人首相〔AFPBB News〕
脱原発の発想は、現在稼働中の国内の原発を逐次封印していけば放射能発生源は低減していき、最終的には消滅するだろう。すなわち、原発による放射能汚染の心配事はなくなり国民の安心感は高まる、というストーリーであろう。果たしてそうであろうか。
そもそも、「個人的な思い」をあたかも政府の合意事項ででもあるかのように公式の場を設定して発表すること自体、思い上がりも甚だしい行為である。
閣僚の反発で一時的には方向転換したように見えるが、脱原発から減原発という方向で調整されているようで、個人的な思いの方向に向かって走っていることに変わりはない。
「非常時のリーダーシップの発揮」と言いたいのであろうが、今は被災地復興が焦点であり、この一点に知恵を集中すべきで、それを迂回して長期的で国家の命運に関わるエネルギー問題と差し替えるべきではない。復興に向かって迅速に対処すべき幾重にも重なる困難からの逃避としか思えない。
日本は民主主義国家である。リーダーシップは国民の支持があって初めて機能する。支持なくして突っ走るのは独裁である。
民主主義とは、どんな形であるにせよ、国民の意を汲むことが大前提ではないだろうか。不信任決議案が否決されたから信任されたという論理で正当化するのは欺瞞である。
歴代の首相は国民の意を世論調査の支持率に求め、真剣に受け止めてきたように思う。国民の意とは関係なく首相の座に居てリーダーシップを発揮しようとしても、法案等が通らなければ被災者や被災地の要求に応えられず、時間の空費になってしまう。居座りは独裁でしかない。
首相は辞任を要求されると、ことあるごとに「自分にはやるべきことがある」と言う。しかし、それは被災地復興とは直接的な関係のない脱原発同様の「個人的な思い」でしかない。
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