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空母・原潜を着々配備、海洋覇権を狙う中国
米中静戦(Cool War)時代の到来(前編)2011.08.03(Wed) 金田 秀昭 国防 Tweet
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upperline中国の周辺海域への侵出は、文革の終焉を待ったかのように1970年代に始まるが、冷戦中は南シナ海方面での米ソの動向を見極めつつ、そのパワーバランスの間隙を縫って巧みに遂行されていった。
中国の南シナ海への侵出
南沙諸島 ベトナム戦争末期の1974年には、南ベトナムが領有する西沙(パラセル)諸島を軍事力で攻略(南ベトナム艦船1隻撃沈)、占拠し、永興 (ウッディー) 島に海軍基地(飛行場、岸壁)を建設する。
また1988年には、海軍力を展開して、ベトナム、フィリピン、マレーシア、台湾、ブルネイが領有を主張する南沙(スプラトリー)諸島のベトナム南部に近い海域で、再びベトナムと軍事衝突を引き起こし、いくつかの珊瑚礁などを実効支配し、その後、監視や通信のための軍事基地を岩礁に建築する。
さらに冷戦が終結して1990年代に入り、米国がフィリピンから撤退すると、フィリピン西方海域に進出して、フィリピンが領有を主張する南沙諸島の美済(ミスチーフ)礁に恒久軍事施設を建設する。
南シナ海での中国の海洋侵出パターンを見ると、まず、中国政府の意を受けた漁民が、領域問題係争海域付近で不法な活動を行う。
そして、強力な海軍力を持たない相手国との間に摩擦が生じると、漁民保護の目的で国家海洋局や漁業局などの監視船、時には海軍艦船による示威行動を行い、その時々の超大国の力の空白や相手国の政治的混乱に乗じて、一部の島嶼や珊瑚礁などを占拠する。
これに対する相手国の対応が手ぬるいと見るや、漁民保護を名目とする建造物の建築に始まり、監視所、飛行場、岸壁などの軍事施設の建築、軍部隊の駐留、軍事力の展開や示威などへと動きをエスカレートさせていくというものであった。
こういった展開を目の当たりにしながら、冷戦下および冷戦終了直後の米国とソ連(ロシア)は、その時々の事情もあって、不介入の方針を採ってきた。
しかし、1990年代後半になってその状況に変化が表れる。
1997年には、西沙諸島東方の珊瑚礁群、中沙諸島のスカーボロ礁を巡る中比衝突が生起、さらに、1998年秋から99年初冬にかけては、ミスチーフ礁に中国が漁民保護の名目で恒久施設を建設したことで、米国がこの地域へ関心を向け始めたのだ。
1995〜96年の台湾海峡への弾道ミサイル発射以降、中国の野心的な軍事行動を具体的に牽制する必要性を強く認識した米国と、同盟国米国の後ろ盾で中国に対抗しようとするフィリピンとの思惑が一致、98年に両国は「訪問米軍に関する地位協定(VFA)」を結ぶ。
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