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東アジアとコリアン・ディアスポラ:韓国で高まる満州への関心・goo(露中朝韓台日合併の暁には中心地の一つになりそうです)
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak49/msg/147.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2011 年 7 月 21 日 12:24:04: 4sIKljvd9SgGs
 

http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/3f1014d49bcc60245d8a932fdc29f93c
東アジアとコリアン・ディアスポラ:韓国で高まる満州への関心
2011年07月11日 / 韓国・北朝鮮
●韓国内外の学界で再び脚光浴びる満州 朝鮮日報 2011/07/10

20世紀初頭、東北アジアで最もモダンだった?

朝鮮人など50以上の民族が集まり、市街地や水洗トイレも

中国の東北工程、中朝経済特区の中心…南北統一後は地理的重要性が増大


 「満州」が再び目覚めている。1世紀前は東アジア激動の震源地だったこの場所に対し、再び各国の関心が高まり、韓国の学界でも熱い話題となっている。


 今年5月13日に満州学会が「万宝山事件」80周年学術会議を開いたのに続き、来月にはソウル大学奎章閣が「満州国の記憶と現在」をテーマに国際シンポジウムを開く。9月には「満州事変と満州国」を特集する国際学術会議もソウルで開催される。研究書も続々と出ている。最近出版された『満州映画協会と朝鮮映画』をはじめ、『満州国の誕生と遺産』『満州モンゴルは朝鮮人の地だった』『満州地域韓人遺跡踏査記』『満州国の肖像』『満州を行く』など、ここ3年の間に出版されたものだけでも10冊を超える。東北アジア歴史財団は、今年初めに『東北亜歴史論叢』で満州国時代の人口移動を特集したのに続き、最近『移民と開発:韓・中・日3国人の満州移住の歴史』を出版した。


■辺境から話題の中心へ


 これまで韓国にとって満州は、ぼんやりとした「記憶の地」だった。一時は古朝鮮・高句麗・渤海と続く先祖の故地だったが、近代以降、満州は「抗日闘争の聖地」としてだけ伝えられてきた。ところが今、学界はそれ以上の「複合性」に注目している。とりわけ満州の「周辺性」と「融合性」は、幾人もの学者を引きつける要因だ。19世紀の満州には、漢族・満州族・ロシア人・朝鮮人・日本人・モンゴル人のほかにも、フランス・ドイツ・ポーランド・ウクライナ・タタールなど50以上の民族、45の言語が混在していた。

ユン・ヒタク韓京大学教授は「多様な民族を吸い寄せるブラックホールであり、欲望が幾重にも重なった空間だった」と語った。1930年代、朝鮮では大々的な「満州行きエクソダス(脱出)」が起こった。生きる道を求める開拓移民と、日帝の政策移民が重なった結果だった。40年の時点で、満州には日本人82万人、朝鮮人145万人が暮らしていた。光復(日本の植民地支配からの解放)のころ、現地の朝鮮人は216万人に達していた。


 知識人や芸術家の間でも、満州行きが流行した。自国での活動に限界を感じた東アジアの文人たちは、1カ所に集まり「満州文学」という独創的なジャンルを生んだ。韓国映画の先駆者に挙げられる羅雲奎(ナ・ウンギュ)・尹逢春(ユン・ボンチュン)も満州で育ち、柳致環(ユ・チファン)・李泰俊(イ・テジュン)・韓雪野(ハン・ソルヤ)などが紀行文などを残した。満州を素材に朝鮮や日本で作られた歌謡曲だけでも、500曲(朝鮮110曲、日本400曲)を超える。釜山−満州−北京を結ぶ特急列車が弾丸のように駆け抜けた場所でもある。


 韓錫政(ハン・ソクチョン)東亜大学教授は「満州に渡った朝鮮人の、あまたの縁がこもった現代史のブラックボックスが、今になって開かれている」と語った。このところの朝鮮族や脱北者の問題も「満州への関心の復活」をもたらす一助となった。20世紀東アジアのディアスポラ(ギリシャ語で「離散」)として浮き彫りになり、満州研究は一国史のレベルを超えて国際的・学際的性格を帯びている。

■モダニズム・近代国家の実験場?


 日帝のかいらい国家にして実験国家だった満州国(1932−45)ではその当時、少なからぬ朝鮮人が官吏・将校として働いていた。最近では、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領などの満州での体験が、韓国の国家発展にどのような影響をもたらしたのかを明らかにする研究も進められている。


 満州国の首都・新京(現在の長春)は、市街地・上下水道・水洗トイレなどの面で近代の先端を走っていた、と韓錫政・東亜大学教授は語る。満州国は、総力戦体制・統制経済・産業・建築・都市計画・博物館経営・映画・音楽・体育などの面で近代日本の実験場だった。また、満州国のかなりの部分が韓国や北朝鮮に伝わった。国民儀礼やパレード・講演・映画の上映・運動会・ビラ・標語など、光復後に韓国社会で極めて一般的になった諸行事は、満州国時代に行われていたものだった。


■統一に備え戦略的関心が必要


 最近では、海外の地政学者たちも満州に注目している。米国の国際戦略家ジョージ・フリードマン氏は最近、本紙のインタビューに対し、このように語った。「私は常に、韓国が統一された際、満州がどうなるかを気にしている。中国は内部を統制することに躍起になるだろう」


 実際のところ満州は、中国が現在進めている東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする試み)の現場であるとともに、中朝国境の経済特区でもある。中国は最近「長吉図計画」を推進している。吉林省の省都・長春と、かつての省都・吉林、豆満江流域の図們を結ぶ工業地帯開発計画だ。韓国では構想段階でストップしたままだが、シベリア横断鉄道と韓半島(朝鮮半島)縦断鉄道がつながる場所も、ちょうどこの満州だ。


 東北アジア歴史財団のノ・ギシク歴史研究室長は「昔から、韓半島に隣接する満州は宿命的な地域だった。今では、歴史の問題ではなく現実と未来の問題。統一以後を考えると、学界だけでなく政界・財界も、東アジア全体を融合する地政学的重要性を認識する必要がある」と語った。


■満州・間島・東北3省


 もともと満州とは、この地域の民族を指す名称だった。後金を建国したヌルハチ(清の太祖)が国名を「満珠」に変更し、民族名も女真から「満洲」に変えたことで、初めて歴史の中に登場した。この地域にある遼寧・吉林・黒竜江の3省は「東北3省」と呼ばれる。韓国では、間島という名称もよく使われる。19世紀後半、朝鮮人が豆満江以北に渡って農業を始めた際「間の島」という意味でこう呼んだ。現在この地域には、200万人の朝鮮族が住んでいると推定されている。
http://www.chosunonline.com/news/20110710000002
http://www.chosunonline.com/news/20110710000003
http://www.chosunonline.com/news/20110710000004


●大日本・満州帝国の遺産 興亡の世界史(18) 姜尚中 玄武岩 講談社

内容紹介
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満州が生んだ日韓の権力者、岸信介と朴正熙の軌跡から満州国の遺産を問い直す。

満州帝国軍人・高木正雄として戦時を生き、解放後は韓国大統領となって近代化を達成した朴正熙。満州での産業開発を推進し、戦後はA級戦犯から首相に登り詰めて高度成長を発進した岸信介。戦後、日韓両国の枠組みを形成した2人の足跡から、揺籃の地・満州の虚実と意義を究明する。

■満州が生んだ日韓の権力者と戦後史のルーツ
日韓両国は、戦後どん底の状態から国家主導の経済運営により日本は「日本的経営システム」と、韓国は「漢江の奇跡」と称賛される高度成長を達成した点で共通しています。その主導者こそ元首相・岸信介であり、生涯大統領だった朴正熙でした。その岸を政治家として鍛え上げたのも、また軍事クーデタで実権を掌握した朴を軍人に変身させたのも満州国でした。本書は2人の軌跡を辿り、日韓戦後史における満州国の意義を明らかにします。


■革新官僚・岸信介と帝国軍人・高木正雄こと朴正熙の満州時代
革新官僚の岸信介は、満州国に赴任すると産業開発五ヵ年計画の指揮をとり、満州重工業開発設立にも辣腕を揮って総力戦体制の壮大な実験をします。一方、植民地朝鮮の教師から活路を求めて満州に渡った朴は、日本式に高木正雄と改名し満州軍官学校を首席で卒業。帝国軍人として終戦時には中尉に昇進していました。満州はこの2人の夢を育てる揺籃の地でしたが、敗戦による挫折も両者に共通していたのです。


■未完のプロジェクトを達成させた満州体験と満州人脈
戦後、政界に復帰した岸は、日満一体の戦時体制作りの手法を生かして保守合同を実現、満州国での重要産業への傾斜生産方式を活用して高度成長を発進させます。一方の朴も満州軍官学校の人脈を結集して軍事クーデタで実権を掌握。大統領に就任後は満州国での体験を生かして重化学工業化と農村近代化の両輪で、高度経済成長をもたらしたのです。2人の足跡はまさに満州での未完のプロジェクトを日韓の戦後に実現したものでした。


目次
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第1章 帝国の鬼胎たち
第2章 帝国のはざまで
第3章 満州帝国と帝国の鬼胎たち
第4章 戦後と満州国の残映 
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2807181

●二人の巨魁/大日本・満洲帝国の遺産(姜尚中・玄武岩) - 見もの・読みもの日記 2010-06-14

帝国日本を語る上で、何度も問い直されてきた「満洲国」に、朝鮮民族の視点から新たな光をあて、満州が生んだ日韓の権力者、岸信介と朴正熙の歩んだ軌跡を辿る。

 私がこの「興亡の世界史」シリーズを最初に手に取ったのは、2006年11月刊行の生井英考『空の帝国、アメリカの20世紀』で、続刊予定の中に、姜尚中氏の名前と本書のタイトルを見つけたときは、楽しみだけど、絶対、予定どおりに出るはずがない、と思った。案の定、刊行は遅れに遅れて、この巻以外は全て刊行済みになってしまい、本書はこのまま永久にフェードアウトするんじゃないかとも案じた。しかし、玄武岩さんの助力もあって(たぶん。はじめは名前なかったもん)奇跡のシリーズ完結に至ったことを喜びたい。(ハヤブサの帰還みたいだw)

 その内容であるが、「あとがき」で姜尚中氏が述べているごとく、厖大な「満洲国スタディーズ」の蓄積に、格別新しい発見を加えたわけではない。おおよその記述は、山室信一『キメラ:満洲国の肖像』をはじめとする先行文献の引用で成り立っている。ただ、ところどころで、ううむと考え込ませるのは、満洲国の建国が朝鮮半島の人々に与えた影響の大きさである。帝国日本に併合された植民地朝鮮の貧しい青年たちにとって、満洲国は、最後に残された「地位逆転」のチャンスだった。京城帝国大学では朝鮮人が正教授に採用されることはなかったが、満洲国の建国大学では教授になれた。朝鮮では普通文官試験しか受けられなかったが、満洲国では高等文官試験を受けて採用される道があった。それゆえ、田舎の訓導に過ぎなかった朴正熙は、「一死以って御奉公」と血書した半紙を同封して軍官学校を志願し、日本人よりも日本人らしい皇国軍人の道を選んだのである。

 そして終戦。満洲国のあっけない瓦解。強いられた雌伏のとき。再び風向きが変わり始める「冷戦」の到来。著者(たち)は、岸信介と朴正熙の共通項として、強い反ソ・反共意識とともに「内面深く米国への反発心を抱きながらも、同時に対米依存を通じて自らの権力を強化していったこと」を挙げている。これは、なかなか分かりづらいところだ。でも、岸信介は、スクラムを組んで安保反対を叫んでいた若者とは違ったかたちで、不屈の対米闘争をたたかい続けたともいえる。右とか左って、そう単純には割り切れない。反ソ・反共と言いながら、統制経済へのシンパシイも強いし。「保守政党は、労働者あるいは勤労者階層に対しても相当なことをやらなければならない」「すべてのものは自由競争に任すのではなく、全体としてひとつの計画性をもたねばならぬ」というのも、本書で見つけた岸の言葉である。

 朴正熙のことは、ほとんど何もしらなかったので、ひとりの人間として、すさまじい生涯だなあと思った。戦後日本が経済復興を遂げたのは、朝鮮戦争特需のおかげという話はよく聞くが、韓国の飛躍的な経済成長(1965〜72年)もまた、ベトナム戦争特需に助けられた点が大きいのだという。初めて知った。あまり嬉しくないあわせ鏡だと思った。
http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/98e2654a0e5bc0f7089e90f0a8e3e0b5

●姜尚中・玄武岩『大日本・満州帝国の遺産』 - 大村拓生雑記録 - Yahoo!ブログ 2010/7/8

昨日の電車でほぼ読み終え最後の節だけ残っていたが、少し大きめということもあり明日の電車は次の本に取りかかることにして、残りの分を明日の授業準備前に片付ける。不充分ながら先週に原稿は提出し、今度の土日は休みということで少しだけ余裕ができた。さて本書の内容は、いわゆる「満州国」の遺産として、産業部次長・総務庁次長として統制経済に辣腕をふるった岸信介と、満州国陸軍学校を成績優秀者として卒業し軍中尉にまで昇進した朴正熙について、満州国での経験と人脈が戦後における両者の活動と癒着関係(連続性)に大きな意味を有していたことを主張するものである。おわりにで「厖大な『満州国スタディーズ』の学問的な蓄積を考えると、本書に資料的に新しい発見があるわけではない」とあるように、前半部分は全く面白くない。朝鮮総督南次郎・関東軍石原莞爾の妄想めいた文章を字数稼ぎのように長々と引用するだけの単純な日帝論となっており、日本側の複雑さ(不統一さ・首尾一貫性のなさ)が抜け落ちており、本書の主題に合わせた強引な叙述で、しかもダブりが多い。その一方で本書によってはじめて知ることができたのは、韓国に対するアメリカの意外とも言える冷淡さで、単純に米ソ冷戦(実際には熱戦を経験)の最先端というだけで理解できない複雑さが興味深い。また戦前の早稲田大学で歴史学を学び満州で活躍し、戦後は「花郎徒ファランド」に民族精神の起源を求める「新羅中心史観」を唱え朴の維新体制のイデオローグとなった歴史学者李瑄根は、かの平泉澄と比較研究をすすめると興味深い対象となるのではないか。主要人物略伝で触れられる岸と松岡洋右などの縁戚関係も興味深く、日本保守政治の研究には欠かせない視点であることが改めて痛感させられる。
http://blogs.yahoo.co.jp/wsfpq577/5667462.html


●東アジアとコリアン・ディアスポラ 季刊『創作と批評』日本語版 2006/03/01

玄武岩(ヒョン・ムアン) gen@iii.u-tokyo.ac.jp
玄武岩、東京大学大学院情報学環助手。著書に『韓國のデジタル•デモクラシ一』、論文に「東アジアのコリアン•ネットワ一ク:その歷史的生成」などがある。


1. はじめに


韓半島(朝鮮半島)は「真の国民国家」を成し遂げる前に脱民族という新たな潮流の渦に巻き込まれている。民族主義に対する内在的な批判があがっている一方で、東アジア共同体という地域統合の動きも浮上している。両者はグローバル化に対する対応という点において共通するのであるが、統一という「民族的な課題」もまたこのような時代的な流れに従うことを求められている。


我々は単一の国民国家としての統一への欲望を克服する必要がある。これは単に、一方的な統一が引き起こすであろう統一の負担という現実的問題への心配からだけではない。統一によってグローバルシステムに適応できない北朝鮮が内部の植民地になり得る恐れもあるからだ。もちろん、国民国家ではないその他の創意的な方法で漸進的な統合を果たしていくとしても、互いの信頼を回復するには多くの困難が予想される。何よりも冷戦崩壊後、ソ連・中国との国交が樹立し、交流可能となった韓国本土の国民と在外コリアンとの関係が言語的・経済的差別による序列構造で規定される現実に照らし合わせてみた場合、「同胞愛」だけで北朝鮮の住民が同等の共同体の一員として受け入れられるとは思われない。


「過程としての統一」というのが現実的な方向としてよく提示される。また、最近の統一論議が南北と在外コリアンを包括する新たな民族統合を目指しているものであるなら、韓国と在外コリアン社会が出会った瞬間からすでに統一に向けた途上に入ったとも言えるだろう。しかし韓国が在外コリアンを韓民族という共同体の構成員として受け入れない限り、そのような統合過程は根底から揺れているということを認識しなければならない。


南北の統合という課題をどのような形であれ進めていかなければならない状況の中で、在外コリアンの存在と彼らとの関係設定が多文化的な風土を経験したことのない韓国人に与える意味は少なくない。だからといって在外コリアンを南北統一のリトマス紙のように考えたり、彼らを通して多文化主義のレッスンを期待したりするのは、本稿で批判的に考察しようとする韓半島中心主義的な韓民族共同体論を繰り返すことと変わらないだろう。


韓半島を中心とする在外同胞政策においては、韓民族のアイデンティティと韓国語教育が重要な課題となり、在外コリアンを統一過程に活用可能な存在、経済発展に寄与する存在として認識することになる。「民族の同質性の回復」を目標としているある海外同胞の研究団体は、中国の朝鮮族の女性と韓国の男性との結婚を「半世紀の間、断絶していた韓民族の再結合という民族史的な快挙」として見なしている。このような在外同胞を見つめる視点には、民族意識を喪失した貧しい北方の同胞を啓蒙するという優越意識が現われている。労働力を取り入れる時、韓国語のテストを実施し、移住労働者は減らして朝鮮族の入国を容易にしようという支援団体の主張も閉鎖的な民族中心主義にほかならない。


在外同胞を資源的な存在として、または恩恵を与える対象として見つめるのは決して望ましい姿ではない。実際、歴史を振り返ってみると「在内」と「在外」との交流は常に存在していたことが分かる。何よりも植民地という状況下において、「在内」と「在外」はいつでも転移可能であったし、今後も人的移動が活発になればなるほど両者の境界はより曖昧となるだろう。


脱領土的な韓民族の連帯が課題として登場している。それが統一過程の根本をなし、さらには東アジアの地域協力体づくりに役立つためには、我々はもう一度本国と在外同胞の関係を振り返ってみる必要がある。すなわち、韓民族の連帯は社会的、歴史的場所を奪われたディアスポラ(diaspora)の存在が否定されない関係が可能である空間を通して成し遂げることができるのである。


このような関係を構築するためには「共同体」ではなく、「ネットワーク」としての韓民族という発想が前提されなければならない。本稿はコリアン・ネットワークの歴史的軌跡を検討し、その根拠の確保というところから論議を始めることにしたい。


2. 東アジアのコリアン・ネットワーク


日本は、韓半島を領土的に占有することには成功したものの、韓民族全体を帝国臣民として抱き込むことはできなかった。それは、日本が影響力を及ぼしながらも統治権を完全に行使できなかった帝国の外に存在する韓民族がいたからである。このような問題の解決のために、日本は在外韓人(朝鮮の人)を「日本臣民朝鮮人」として抱え込むさまざまな工作を繰り広げた。帝国臣民でない韓人の存在は、韓半島の支配を根幹とする日本帝国の足場を揺るがす存在であったからである。


さらに、支配の物理的装置として植民地に拡張された鉄道、海運、郵便などのインフラと帝国の統治権力は、その意図に反して対抗ネットワークを伴うものであった。このような対抗ネットワークは、各々の韓人社会を結び付け、人と情報の流通経路となった。これらを通して反日運動や独立思想、さらには近代的な共和思想が韓半島に波及した。


例えば、1900年代中頃から極東ロシアで発行された「海朝新聞」「大東共報」「勧業新聞」や、米州で発行された「新韓民報」など韓人社会のハングル新聞は、太平洋を隔てて論説と記事を互いに掲載したり紙面論争も繰り広げたりしたが、これは当時の国境を超えた韓人ネットワークを示してくれている。「新聞紙法」によって言論が厳しく統制されていた時期に、在外韓人社会の新聞は本国の新聞に代わって愛国啓蒙と独立思想の震源地となり、当時形成中であった韓国の民族主義を主導した。


このように帝国の支配に抗うコリアン・ネットワークは、帝国的な秩序形成を拒否し、新たな東アジアを志向したといえる。もちろん、これらが共有していた基本的な目標は朝鮮の独立と国民国家の成立であった。しかし、日本帝国主義による暴力行為が「東亞」の連帯と解放という名目のもとで繰り返され、朝鮮と中国、そして台湾の抗日運動•民族自決権に応えようとした日本の思想家や社会主義者、そして植民地である朝鮮の知識人までもがこのような暴力の連鎖へと引き込まれていったことを考えれば 1 、韓民族の対抗ネットワークに朝鮮の独立を超越した地域連帯の地平がみえてくる。


最近、東アジア共同体が論議されている過程において、再びコリアン・ディアスポラが注目されながら「韓民族共同体」論が浮上している。韓半島の統一方案として提起された「韓民族共同体」の論議は、1990年代に入り、グローバル時代の民族的生存戦略として新たに位置づけられる。在外同胞もまたそのような世界化戦略の一端を担う存在としてスポットライトを浴び始めている。それが近年、いわゆる「韓民族共同体」もしくは「韓民族ネットワーク共同体」という概念として登場している。すると、植民地時代と冷戦時代、そして脱冷戦のグローバル化の時代を貫通してコリアン・ネットワークのあり方を問うことの意味は、決して少なくない。はたして、東アジアの地域秩序が帝国を超え、共同体へと向かう過程において韓民族はどのような役割を果たし、地域統合の未来構想を進めていけるか。ここで重要なのが、ネットワークとしてのコリアンのあり方である。それは二つの意味を持っている。


一つ目は民族共同体を超える東アジアの視点である。最近の韓民族共同体論はグローバル化の時代に対応した民族的戦略という未来のビジョンとして構想される場合が多い 2。しかし、このような未来志向型の「共同体イデオロギー」に基づいた論議では、20世紀に各地で多くの韓人が形成してきた関係性を逃すこととなるだろう。そこでは、「海外同胞」の独立運動を除けば、植民地であった本国と在外同胞間の活発な交流や、人の移動が制限されていた冷戦時代に国民国家システムを潜り抜けながら展開していった非合法的・運動的ネットワークは無視されることになる 3。このようなコリアンの連帯は決して民族共同体として存在したのでなく、むしろ民族的な意味を超える東アジア地域の脱国家的な実践としてみることができる。


二つ目は「韓半島中心主義」の相対化である。韓民族共同体論における共同体という意味には、韓民族同士がそのアイデンティティに基づいて集団の連帯と発展を図るという目的意識が垣間見られる。ところが、そこには白楽晴(ペク・ナクチョン)が提起した多国籍・多言語の民族共同体としての多層的なアイデンティティによって構成された在外コリアンの現実が反映されているとは言い難い。却ってそこでは、同質的な韓民族としてのアイデンティティに吸收すべき部分だけを吸収し、残りの逸脱した部分は周辺化されてしまう。流浪の民の在外コリアンは、祖国の発展に貢献しなければならない手段的な存在になってしまうのである。しかし海外に移住した韓人は、単に近代の渦に巻き込まれたのではなく、むしろ近代のシステムに能動的に対応することであらゆる形で祖国建設に携わってきた。韓民族のナショナリズムは、韓半島の人々と海外に移住した人々が相互作用する過程において築き上げられたものである。


このように韓民族の連帯を共同体形成というプロジェクトではなく、ネットワークという視点で眺めた場合、東アジアにおいて歴史的・空間的に展開したダイナミックな動きを捉えることができる。また、周辺的で劣った存在としての在外韓人のイメージを払拭することにつながると思われる。そしてそれは、今後東アジア共同体の政治的・経済的構想に批判的に介入しながら、東アジアの新たな連帯の条件となる開放性と市民性を映し出すことになるだろう。


3. 規範としての共同体


<中略>
解放後、韓国には多くの在外コリアンが帰還したものの、当時の政府は満州の同胞らが開拓した農地を確保し、現地に定住することを望んだ。政治的・経済的理由によりサハリンに残留していた韓国人の帰還に消極的であった韓国政府の責任は重い。在日コリアンは祖国の分断という状況に縛られながらも、今も解放当時に匹敵する本国籍の所有者数を維持している。林志弦の批判には祖国に捨てられたサハリン韓国人や、ホスト社会の義務を果たしながらも同等の権利を得ることのできない「在日」など、分断された本国との切るに切れない関係におかれている在外コリアンへの認識が欠落している。


4. 共同体からネットワークへ


最近、「韓民族ネットワーク共同体」という言葉が使用されているところからも察せられるように、韓民族共同体論にもネットワークの概念が導入されている。とはいえ、このような韓民族共同体論がネットワークの意味をそれなりに活用した、新たな関係性によって構成される民族同士のコミュニケーションを保障しているとは言いがたい。主に1990年代後半、急速に普及されたインターネットなどのコミュニケーション技術の登場に後押しされた韓民族ネットワーク共同体の議論には、韓半島中心主義や技術決定論が色濃く投影されている。すなわち、自発的で分散的なコリアン・ネットワークというよりも、本国の「韓民族」を頂点に据えたピラミッド式のヒエラルキー構造を想定しているように思われるのである。


最近のネットワーク論では、それが自発的に形成され、自立的・相互作用的であり、分権的な構造をなしているという側面が強調されている。韓民族ネットワーク共同体の論議においても開放性と包容的な姿勢が求められるが、ほとんどが韓民族としてのアイデンティティの確立や韓国語教育の強化を強調している。在日1世の財産を国内企業が国内に持ち込む事業を推進すべきだという主張はネットワークの意義を無意味にしている 10 。


ネットワークの概念が積極的に使用されている例として華僑のネットワークを挙げることができる。これを韓民族共同体の未来像として理想としたりしているが、それはネットワークが最も実体的な姿を見せるのが経済活動の側面であるからであろう。こうした動きが重要であることは間違いないが、コリアン・ネットワークは華僑のネットワークとは違い、経済分野を超えて政治的(または市民社会)ネットワークとしての可能性を持っている。


ネットワークの性格規定において経済的合理性が基本原理でないということは重要である。民族のネットワークであっても、資本を優先するよりは価値志向性を同時に考慮すべきである。また、国家的なレベルでのプロジェクトではなく、市民社会を土台とした連帯の観点から推進していく作業が市民性を保障することも忘れてはならない。すなわち、マスコミ機関やNGOなどの市民団体も積極的に乗り出しているように、民主化の経験を通して生まれた市民的なネットワークの可能性を備えているのがコリアン・ネットワークの特徴と言えるだろう。このような特徴からコリアン・ネットワークを東アジアの地域統合という視点から捉えることで、脱国家的なアクターの連帯として位置づけることができるのである。


コリアン・ディアスポラ、特にネットワークとしてのコリアンが注目され始めたのは、日本帝国に対抗する在外コリアンが本国と「気脈ヲ通シ」、朝鮮内地の独立運動と連携するのを防ぐため、在外韓人を体系的に調査した植民地時代へと遡る。『開闢』(1925年8月)が設けた在外同胞特集では、「同胞全体の協同奮闘」を要求しながらネットワークの必要性を力説している。「在内同胞が在外同胞を忘れて行動することはできず、また在外同胞が在内同胞を捨てて勝利を得ることはできないため、内外が力を合わせ、内でできないことは外で行い、外でできないことは内で行い、互いに協同共進しなければならないであろう。」
植民地である朝鮮において、在外韓人に対する在外同胞としての認識が朝鮮という「内地」を作り上げ、「内地」と在外同胞が一体となることにより朝鮮民族を際立たせた。日本はこのような記事に対して停刊処分で応じた。このように当時は朝鮮の独立が最大の課題ではあっても、国権回復運動の主導権は殖民地下にて政治的中心性のなかった「内地」(本国)よりも帝国の外縁部にあった。すなわち、ネットワークの自立性と分権性が存在していたのである。ところが、今は分断という状況ではあるが「国民国家」という政治的意味を持ち、経済力を備えた韓民族の最大のエスニック・コミュニティーである韓国がネットワークの結節点となっている。このような韓国が断絶されたネットワークを再構築する過程において中心性を表明することで、ネットワークを韓半島中心の共同体へと転換してします。これが「韓民族共同体」にほかならない。


もちろん一時的にはネットワークの結節点が求心力を持ち、人と情報の移動を促すこともあるあろう。また国家レベルであろうが民間レベルであろうが、現在の韓国が中心的役割を果たしているという事実は否定できない。しかしそれは比較的最近の現象である。植民地時代の独立運動はいうまでもなく、解放後の南北の建国過程、さらには経済発展と民主化に参加した歴史を振り返ってみると在外コリアンの役割を単に「貢献」としてだけ見なすことはできない。未来志向の共同体概念では視野に入れられない在外コリアンと本国の関係を歴史的に考察することにより、長いスパンからコリアン・ネットワークの脱中心性と双方向性を捉えることできるのである。


5. 「在日」とコリアン・ネットワーク


最後に、コリアン・ネットワークにおける在日コリアンの位置を考察することで、南北統一や東アジアの新たな連帯の条件となる開放と市民性の意味を考えてみることにしたい。1990年代に入り、日本社会での「在日」、あるいは本国との関係における在日同胞という従来の範疇を超え、東アジアのリージョナルな存在として新たに自らを再定義することでポジティブな意味を与えようとする試みがある。


20年の歴史を持つワンコリアン(One Korea)フェスティバルは、2000年の大阪大会において「21世紀のワンコリアンと東アジア」を主要なテーマとし、翌年の東京大会でも「アジア共同体」を標榜するなど、在日コリアンと東アジアをめぐる本格的な論議がなされ始めた。知識人層からも在日コリアン問題を考える際、東アジア的な視点が必要だという声が上がっている。2004年「境界から共生へ」をスローガンに設立されたコリアNGOセンターは、民族教育の拡大とコリアン・ネットワークの形成、そして東アジア共同体の構築を目標としている。


実際、在日コリアンの位置は東アジアという観点から考察することで、より一層明確になってくる。何よりも在日コリアンは日本国民と連帯できる立場にある。そして現在、韓日連帯を超え、アジア連帯として在日コリアンの意味が注目を浴びている。それはマイノリティや在外同胞としての「在日」ではなく、英国での「ブラック」という概念がエスニック(ethnic)集団の意味を超え、移民者連帯を形成する際に用いられるように、旧植民地出身者として定住国との妥協に止まらない、より普遍的な人権としての権利概念を広めていくことが求められている。


コリアン・ネットワークとしての「在日」は、日本社会で育ててきた多民族的で市民的な運動力量をもって本国へも向かっている。前述したワンコリアフェスティバルには、近頃韓国からもゲストが招待されたり、在外同胞団体も参加者を募集して参加を呼び掛けたりしている。しかし韓国の参加者らが「在日」の目指す「ワンコリア」に対しては違和感を表わすこともしばしばある。彼らには沖縄文化や日本の祭文化などを取り入れたワンコリアフェスティバルが異質的なものとして感じられるのであろう。そこには彼らの期待した「韓民族の民族文化」は存在しないのである。主流文化や他のエスニック・マイノリティと多文化的に共生することにより民族的でいられる「在日」の叫びは、単に日本の主流社会にだけ向かっているのではない。


異質的なものに対する排他的な風潮は、官僚的な政策だけでなく一般人の意識構造にも深く根付いている。朝鮮族には言語的・文化的同質性を要求しながらも、一方では政治的に違和感を表わす二重性を見せてきた。柔道選手として胸に太極マーク(韓国の国旗のマーク)をつけたいがために「祖国」を訪れたが、閉鎖的な風土のため、結局日本に帰化し日本の国家代表となったある在日コリアンは、「日本に帰化してからようやく韓国人として認められた」と語っている。民族と国家が同一視される本国では、ナショナルなアイデンティティは自然と身につくものである。しかし在外コリアンにとって、アイデンティティの獲得は自分との格闘の過程である。


南北の統合がどのような形でなされるかは予測しがたい。ただ、南北が経済的な隔たりを無くしながら漸進的な統合を目指すという統一のロードマップに対するコンセンサスはある程度共有されている。それが国民国家ではなく、複合国家・連邦国家を目指すものであるならば、強固なアイデンティティは却ってこれらの構想に逆作用をもたらす可能性がある。アイデンティティは固定されたものではなく構築されていくものであるという事実を在外コリアンは実践的に見せてくれる。このようなアイデンティティの多数性と柔軟性をどのように受け入れるかという課題が、在外同胞との関係においては言うまでもなく、統一を展望する過程においても浮き上がってくる。


いずれ実現されるであろう統一後の韓半島は、グローバル経済に統合された韓国が主導する可能性が大きい。そうなれば国家制度の大部分が国際標準である韓国を中心として再構築されるだろうということも容易に予想できる。国旗、国歌などの統一後の新たなシンボルは新たなアイデンティティを意味するが、統一国旗の使用が合意された民族行事で韓国の国旗の太極旗が入場できないということに対して保守的なマスコミが批判する現実に照らし合わせてみれば、このような国家シンボルの再創造、すなわち、新たなアイデンティティの構築は決して容易ではないということが分かる。


国家的シンボルは再創造されるとしても、統一過程において北朝鮮が及ぼす制度的な影響は言語や文化的側面にだけ制限される可能性も無視することはできない。このような点を考慮すれば、「日朝条約」に韓日条約で含むことのできなかった歴史意識が反映されるならば、統一後、日本と韓半島の関係を新たに設定することにつながり、それは北朝鮮の住民にとって大きな精神的資産と成りうるであろう。最近日本が右翼化しているとは言え、現在の歴史認識はこれまでの学問的成果によって韓日条約当時(1965年)とは比較できないほど前進した。もちろん、国家的次元の影響力もあったが、強制連行に対する研究の学問的土台を築き上げたのは在日コリアンの学者であり、また朝鮮人強制連行真相調査団などの団体も持続的な研究と調査活動を行ってきた。


このような成果が2002年の日朝首脳会談での平壤(ピョンヤン)宣言で「反省」と「謝罪」という表現に含まれたが、さらに一歩進んで「補償」という歴史認識が反映された「日朝条約」が締結されるならば、それは日朝関係だけでなく、今後の南北関係、さらには統一後の韓半島と日本の関係にも肯定的に作用することは言うまでもない。もちろん、外交が国益を追求する限り、その実現の可能性は未知数である。しかし在日同胞社会は日本の市民社会と共に日朝間の関係改善と、正しい過去C算を通しての国交樹立を持続的に要求してきた。在日コリアンとの連帯は韓日間の問題だけでなく、統一過程における南北の新たなアイデンティティ構築にも重要な意味を持っている。


個人的に自立することと民族的に生きるということが矛盾していないということを在外コリアンは見せてくれている。在日コリアンが民族教育や文化活動を通して民族的に生きているのは、韓民族という共同体的な実体を具現しようとするためではなく、韓国、朝鮮人としての主体的なアイデンティティを持って生きていくためである。「分断線よりも過酷な国境」を壁に、南と北として対立してきた在日コリアン社会であったからこそ6•15南北首脳会談の知らせには歓喜し、北朝鮮による日本人拉致の事実には誰よりも陣痛な思いをしたのである。統一への熱望は本国民だけの独占物ではなく、その作業もまた在外同胞と共に行っているということをコリアン・ネットワークを通して改めて知らされた。


このように連帯の一つの軸としてコリアン・ネットワークが存在し、それが目的を異にする他のネットワークとさらに新たなネットワークを形成していくような開放性を持つ時、東アジアの地域統合という地形の中で統一時代に備えることができるであろう。また韓民族のネットワークが一体性の空間ではなく、複数の人々の「間」として、言語・行為による表現とそれに対する一定の応答のある親密圈を形成するならば11 、自然と「韓民族共同体的」なものとなるであろう。


訳・申銀兒


季刊 創作と批評 2006年 春号(通卷131号)
2006年3月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2006
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea
http://jp.changbi.com/127


●大阪女学院大学

講演「墓参りのネットワーク−密航からみる大阪と済州島」玄武岩氏(北海道大学准教授)
http://www.niad.ac.jp/sub_hyouka/ninsyou/hyoukahou201103/daigaku/no6_1_1_osakajogakuin_d_s201103.pdf

【私のコメント】
最近韓国で、満州国への関心が高まっているという。在日韓国人二世の姜尚中東大教授と、済州島出身の韓国人である玄武岩北大准教授の共著である『大日本・満州帝国の遺産』 もその一貫であろう。異国に移住した韓国人ディアスポラの一員である姜尚中・玄武岩両名にとって、同じ境遇であった満州国の韓国人は深い関心の的なのだと思われる。ただ、これらの論説では、満州の韓国人が日本国民としての特権を享受し、日本人と共に中国人を迫害・搾取する立場にあったということに対する反省が欠けている。加害者としての自己を省みることなく一方的に被害者の立場に身を置く韓国人の醜さには呆れるほかない。

最近の韓国で満州国への関心が高まっているのは幾つか理由があると思われる。最も重要なのは、米英のシーパワーがユーラシア大陸のランドパワーを包囲するという冷戦システムがソ連崩壊・中国勃興・米国衰退によって終焉を迎えつつあり、ランドパワーとシーパワーの対峙としての半島分断もまた終焉を迎えていることであろう。来るべき在韓米軍の撤退後は韓国軍は独力で中国と北朝鮮に対抗する必要を迫られる。韓国は第二次大戦後38度線で大陸から切り離された島国であったが、それが元の大陸国家に戻るのだ。そして、漢民族や北方少数民族の属国としての苦難の歴史がまた始まろうとしているのだ。

もう一つ重要なのは、満州と朝鮮半島の地政学的関係である。かつて地政学者ハルフォード・マッキンダーは「東欧を支配するものが、ハートランドを支配し、ハートランドを支配するものが世界島を支配し、世界島を支配するものが世界を支配する」と主張した。東欧が何故重要かというと、当時世界文明の中心であった西欧はユーラシア大陸西端の半島であり、東欧はその半島の付け根に位置していたからである。半島を防衛するにはその付け根の地域が決定的に重要なのだ。同じことが東アジアでも成立する。朝鮮半島の防衛には満州を支配することが非常に重要である。冷戦時代の西欧と韓国は、半島の付け根を敵に支配され、米国の巨大な軍事力の橋頭堡として辛うじて生き延びてきた。戦前の日本も、朝鮮半島の安全を確保するために日露戦争や満州国建国で満州に関与した。

現在の韓国は米国の衰退による米軍撤退に怯えつつも、竹島問題で日本と、高句麗・渤海史や中朝国境問題で中国と対立し、周囲に味方が存在しない孤立した状況にある。この状況で韓国は独力で日中両国に対抗していくという歴史上例のない極めて困難な道に進もうとしている。竹島を支配することでシーパワーの日本に対抗し、北朝鮮を併合した上で満州に影響力を行使する、可能なら満州国のような傀儡国家を建設して満州を支配下に置くという海陸の二正面作戦が韓国のグランドストラテジーなのだろう。しかし、人口規模や経済規模で見て韓国は日中両国より小国である。その上、日本が海軍力に集中投資、中国が陸軍力に集中投資できるのに対して、韓国は日本に対抗できる海軍力と中国に対抗できる陸軍力の両方を兼ね備える必要がある。これは韓国の国力から見て絶対に不可能である。最終的には韓国のグランドストラテジーは破綻し、北朝鮮の勝利に終わると思われる。中国の忠実な属国でありかつ大日本帝国の帝国陸軍の正当な後継者として菅直人首相を含む日本の左翼勢力を通じて日本とも深い関係を持つ北朝鮮こそ、近未来に韓国を滅ぼして半島を統一するだろうというのがこのブログでの私の変わることのない主張である。


 

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