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トヨタ300万台死守には痛みも伴う
2011年7月16日(土) 14時27分
池原照雄の単眼複眼 特別編集
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Check ◆豊田社長が明快に決意表明
トヨタ自動車が国内生産の強化に向け、車体メーカーと部品子会社の再編に乗り出す。この方策により、豊田章男社長は国内生産300万台を守り抜く方針を明快に打ち出した。再編ではグループ3社の統合も行われるが、雇用は維持する。
豊田社長は国内生産の死守により、外貨獲得と雇用への貢献という自動車産業の責務にも言及、「(現状の環境下での生産は)理屈に合わないが、石にかじりついてでも頑張りたい」と語った。外国の投資家には理解し難いだろうが、リーディングカンパニーの決意は日本の産業界を勇気づける。もっとも、300万台維持への道のりでは工場の統廃合など、痛みの伴う決断も不可避となる。
トヨタは昨年5月から国内外での生産体制再構築の検討に着手し、1年余りをかけて最も事業環境の厳しい日本での再編策を決めた。結論は中部、九州、東北の「3極体制をさらに強固に」(豊田社長)するとともに、すでに一定の開発力も有している車体メーカー各社の自立化を促し、得意分野で力を引き出す機能をもたせることだった。
◆「ヨタハチ」のように車体メーカーが企画から担う
地域軸では最後発の進出地である東北のテコ入れが必要と判断。岩手工場(金ケ崎町)を有する関東自動車工業、宮城工場(大衡町)を今年稼働させたセントラル自動車、さらに部品製造のトヨタ自動車東北(宮城県大和町)の3社を2012年7月に統合する方針とした。
機能軸では、特定モデルで設計以降の開発を担ってきた車体メーカーの自立化を促進するため、商品の企画段階から生産に至るまでを「スルーで担ってもらう」(豊田社長)こととする。「ヨタハチ」の愛称で知られ、1965年(昭和40年)に発売された『トヨタスポーツ800』は、初代『カローラ』の開発主査だった故長谷川龍雄氏(元トヨタ専務)とともに関東自工が企画段階から手掛けたモデルだ。
車体メーカーには、そうした活躍の場が広がるが、トヨタ本体との連携を密にしていく必要もあり、トヨタ車体と関東自工は2012年1月にトヨタの全額出資子会社とする。トヨ車と関東自工は車両開発だけでなく、生産技術面でトヨタの海外工場への支援も行ってきた。今後はそうした機能もさらに活用し「オールジャパンでオールトヨタを支える体制」(同)を強めたい考えだ。
◆関自・東富士工場は東北への移管が自然の流れ?
一方、国内300万台の死守には痛みも伴う。トヨタの国内生産能力は、人員を増員すれば現状でも年400万台は造れるレベルにある。昨年来、愛知県では高岡工場(豊田市)の一部ライン停止や田原工場(田原市)のライン統合を進めているが、生産担当の新美篤志副社長は「いずれ、(追加的に)いくつかのラインを廃却することになると思う」と指摘する。
そうでないと今年度の営業赤字が4000億円に達する見込みの単独業績の黒字転換はおぼつかない。一部ラインの廃却はトヨタの工場だけでなく、車体メーカーについても同様だ。来年7月に3社統合で発足する「新生トヨタ東北」の中核企業となる関東自工には、1967年(昭和42年)に操業開始した東富士工場(静岡県裾野市)がある。
統合による新会社が「東北地域でコンパクトカー主体の一貫メーカー」になるという構想からは、関東自工の東富士工場は、東北への移管・統合が自然の流れに見える。同社の服部哲夫社長は「(3社が)一緒になるからといって、今の時点ではどこをどうするということは決まっていない」と話すが、果たして…。
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