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1984年、中国の『人民元安』政策から世界は動いた。日本の『円高』はその補助役にすぎない。 - (ひょう吉の疑問)
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投稿者 七転八起 日時 2011 年 7 月 16 日 13:32:49: FjY83HydhgNT2
http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/79bf06f49ecbfa18fcff1258c9bf2041
日本の急激な円高は、1985年のプラザ合意から始まった。
しかしその前年の1984年には、それまで切り上げ傾向にあった中国の人民元が、突如として切り下げられている。しかも大幅な切り下げである。
それまで1ドル=1.5元で推移していたものが、一気に1ドル=2.8元と半値に近く切り下げられている。
これを日本に当てはめれば、1ドル=150円で推移していたものが、1ドル=280円になったのと同じで、大幅な切り下げである。
その理由は中国の貿易赤字解消(当時中国は貿易赤字国であった)のためということであったが、それにしても日本の感覚で一気に130円も切り下げるとは大幅すぎる切り下げである。
当時の中国はとう小平が復権して(1977年)、改革開放路線を取り始めた頃であり、中国は輸出拡大をめざしていた。
そして1979年には米中国交正常化が約30年ぶりに実現している。
中国とソ連との対立は同じ共産主義国でありながら1960年代から続いており、中国の改革開放路線はその対立をますます深めた。
戦後米ソ冷戦構造の中で、米中国交正常化は、米中vsソ連という構図を生み、ソ連はこの人民元の大幅切り下げから10年も待たずに、1991年に消滅することになる。
ところが日本は、この米中の融和関係から取り残されるように、1985年9月の『プラザ合意』によって大幅な円高に見舞われることになった。
このプラザ合意によって、その年の初めの1月には1ドル=260円であったものが、年末の12月には1ドル=160円に円は値上がっている。
この円高傾向は2年後の1987年には1ドル=120円にまで跳ね上がっている。
一方で人民元は、1985年1月(プラザ合意の8ヶ月前)にも2回目の切り下げを行っており、1ドル=2.8元から、1ドル=3.8元へと急激に変化している。
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