http://www.asyura2.com/11/lunchbreak48/msg/725.html
Tweet |
http://gigazine.net/news/20110709_uighur-demo/
2011年07月09日 13時00分38秒
「一番の希望は出国」、2009年騒乱が起きたウイグルでみた中国の占領政策
こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。2009年7月ウイグル自治区で騒乱が起きました。それから2ヶ月経ったウイグルを自転車で走った記録です。広い広い中国だからこそ、ウイグルは中国ではありませんでした。騒乱の直後でもあり、テレビからは報道の名を借りたプロパカンダが流されていました。
全域でインターネットが規制されている中、とある宿のパソコンでは暴動が起きた際の監視カメラの動画が流れていました。その中でお世話になった一人のウイグル人の青年は「一番の希望は出国」と答えました。
2009年7月5日にウイグル自治区で起きた騒乱では、省都ウルムチでウイグル人住民が、漢住民および武装警察と衝突し多数の犠牲者が出ました。2008年の北京五輪前のチベット騒乱の惨状が頭にうかびます。ウイグルの騒乱が起きたときは内陸の西安を旅していましたが、これから進むつもりだったウイグルの混乱に不安が募りました。
西安→蘭州→西寧→青海湖→と進んで甘粛省に入ります。どんどんと西方へ進んで酒泉、万里の長城が終わる嘉峪関、玉門を抜けると、荒涼とした景色が広がりました。約500km先のウイグル自治区のハミまで大きな街はありません。「ここから先は中国じゃない」と体感しました。
荒涼とした大地に一本の道路が続きます。
何も見あたらない地平線
地の果て
こんな非常時のウイグルに入る際には検問こそあれど、なにごともなく通過できました。平常時でさえ入ることのできないチベットと比較すると、この中国政府の対応は対照的です。ですが、ウイグルに入って最初の大きな街ハミで驚愕の事実を知りました。インターネットが使えません。ウイグルに住む2000万人をインターネットや国際電話といった外界との接触から隔離したのです。そのときでも理解できませんでしたし、今でも信じられません。このような政策を気持ち悪いと感じました。
今回の騒乱が起きたウルムチへ向かう道中、漢人には「毒針で刺されるから気をつけなさいよ」といたるところで注意されました。暴動からしばらく経っていたのですが、ウイグル人が背後から静かに毒針を刺して逃げるという事件が頻発していて、死者も出ていました。ウイグル人はウイグル人で道を尋ねても嫌な顔をされます。でも日本人だと分ると「日本人は友達だ、漢人は…」と言って、にやっと笑い、軽く拳を振る動作をしていました。
そのウルムチに入る前には厳重な検問。市街に入ってからも、至る所に30人位の銃を持った武装部隊の詰め所がありました。警棒、銃、銃、警棒の四人一組の小隊が行進をしながらストリートを巡回もしています。街は平常通り動いているのですが、どこの店に入るにしてもバッグを開いて危険物がないとことを見せないといけません。小さな店を物色しているときに漢人の若い男性たちが、伸縮する警棒を買っていきました。嫌な空気を感じました。
ウルムチのメインストリート
巨大なウルムチの市場
警備の銃を見るのは三度目でした。東ティモールの国連軍、ラオスの山賊対策の警察。ただ今回の場合の銃に違和感を感じるのは、持っている側が中国政府であって、それが正義かというと疑問に感じたからです。ウイグルは中国政府によって一方的な支配を受けています。ウルムチの街に限らず、ウイグル内では民族共和が高々と叫ばれる状況でした。ただ、それと同時に民族独立を叫ぶことができない状況では、白々しいだけにしかなりません。宿でテレビのニュースをみていたら、人民解放軍がモスクを清掃したり、ウイグル人の農家の手伝いをする映像や、ウイグル人の軍人が一つの国家を説く美談が流れていました。それは報道でもなく、ただのプロパカンダです。見ていて嫌な気分になりました。
加強草原保護建設、発展繁栄少数民族地区経済、実現共同富裕、促進各民族大団結
団結穏定是福、分裂動乱是禍
とある宿でパソコンに映し出されるウイグル暴動の画像や動画。どこから流出したのか、これがネットの時代でしょうか。だから、なんとしてもインターネットを規制したかった。それでも、中国人が見ています。知っている人は知っているのです。
出回っていた動画は監視カメラが暴動が起きた当日8時のストリートを映し出されていました。暴動に加わるウイグル人が持っているのは棒のようなもの。それを振り回しています。路線バスが止められたら、乗客は蜘蛛の子を散らすように逃げ出しました。でも、逃げ遅れた人が囲まれて暴行を受けます。その人を介抱している女性も襲われます。自転車に乗っていた人も、やはり囲まれていて暴行を受けていました。路上に横たわるその人に、自転車が投げつけられます。
車に乗っていた人は群集から逃げ切れず、窓ガラスも粉々に砕かれて、引き摺り出されて袋叩きにあっていました。車には50人以上の人だかりができ、その人が動かなくなった後に、一部のウイグル人が拳を空に掲げて歩き出します。主を失った車のワイパーだけが、左右に静かに動くのが不気味でした。暴動には男性だけでなく、スカーフを被った女性の姿も見ることができます。そんな混乱をよそに、何もなかったかのようにウイグルの夫婦が間の子どもの手つないで通り過ぎるのが印象的でした。似たような動画をウイグルを抜けてからYouTubeで見かけました。
ウイグル文字と漢字。
そのウイグルで一人の青年との出会いました。長身で見た目も中国人らしくない彼を、初めてのカザフスタン人だと思って勝手に興奮していました。話はなかなか通じません、彼はウイグルの人でした。「旅しているのか、ちょっとうちで1泊していったらどうだい」と彼の家にお世話になりました。彼の家は街の中心から離れます。後からやって来た漢族が作った中心街と郊外に連なるウイグルの人たちの家。家にはぶどう畑があり、ヤギも飼われています。彼らは、ずっとこうやって生きてきたのでしょう。
彼とはいろいろな話をしました。「自分たちの民族はトルコからやってきた」と自らの出自を知っています。筆談をするのですが彼の漢字は今ひとつでした。それもアラビア系のウイグル文字で表記されるウイグル語が彼らの母語ですから仕方ありません。「ウイグルやチベットに資源が眠るから、共産党は占領を続ける」と彼は真面目な顔で話します。資源が出てくる限り占領は続くでしょう。自国の通貨を安くすることで輸出を支える中国にとって、安い通貨で外国から資源を輸入するより、占領地内の資源を使い尽くすほうがコストパフォーマンスがいいはずですから。
彼が砂漠に湧きでる泉の場所に連れて行ってくれました。そこは荒涼としたあたり一帯でも緑のある穏やかな場所になります。ちょっとしたテーブルとベンチが設けられているのですが、その角にごみが散乱していました。彼は「漢族が置いていく」と苦い顔をして言いました。投げ棄てるようにして吐き出したその言葉に、今回のウイグル騒動の根本をみました。
彼の家を出発する朝に「中国政府は好きか嫌いか」と聞きました。「不好」と答えた彼に「漢族は?」と続けると、しばし迷った顔をして「嫌いだ」と言いました。
そんな彼の答えに、ウイグルの現実を思い知らされました。旅をしている自分は、「中国政府は嫌いだ、でも中国人民(漢族)はよかった」と言えます。でも、それは同じ国家に住むことがないからです。彼らのマナーがいくら悪くても、それをどうこういう立場ではありません。自分は観光客で、いずれ日本に帰ります。でも彼には、ウイグルの人にはそれができません。チベットも同じ状況でしょう。「一番の希望はこの国を出ること」彼はたしかにそう言いました。
ヨーロッパに入ってドイツの首都ベルリンを通過したときにベルリンの壁崩壊、東欧革命、旧ソ連崩壊に関連したパネル展示がやっていました。その一角に天安門事件に関連した展示があって意表をつかれました。日本にいて、これらを一つの流れとして考えていなかったからです。体制の崩壊も体制の維持も同じ流れの結果。それと同時にドイツにおける、中国への厳しい視線に驚きました。
分裂のドイツは苦難の時代だったかもしれません。悲しいくらいの人の波
ソビエト連邦だったバルト三国のエストニア
天安門事件
死体と群集
そして、2010年獄中にある中国人民主化活動家が、ノーベル平和賞を受賞したいうニュースを聞いて心が躍りました。「世界は中国共産党を放っておかない」「アメリカやヨーロッパ、先進国の人たちは中国のやり方を認めない」とウイグルの彼に言ったからです。そしてその通りとなりました。「たとえ国家が黙っていても、人々は気付いている。その良心は侵されることはない。だから世界は変わる。中国は変わる。ウイグルは変わる」。日本でも尖閣衝突の真実は黙殺されました。だけど、私たちが中国に関して何を考えるかは自由です。
ウイグル人の家族
ウイグルの人たち
「考える材料になれば」と、この記事を書きました。ウイグルの彼との出会いもこの為でしょう。日本でもウイグルについて考えてくれる人が増えると嬉しいです。ウイグルの人はそれを願っているでしょうから。
(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。