http://www.asyura2.com/11/lunchbreak48/msg/669.html
Tweet |
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/4038/badjapan/index.html
極悪の調 第1弾
老害
高度成長時代、バブルの頃の経営者や政治家は、そのほとんどが引退し始めている。だが、名誉会長や名誉顧問などの肩書きで今もなお組織に院政を敷いていたりする。
一代にして会社を築き上げた経営者の中にはいわゆる「カリスマ経営者」と呼ばれるような者もいた。個性が強過ぎるのか、彼らの権勢を振るった企業は一様に組織が内向きである。外より内を見なければどんな目に合うか分からないからである。
最初は脚光を浴びていても、長続きはしない。企業などは元来外に向かって活動するものだから、内ばかり見ているとどんどん市場の動きから乖離していくものだからだ。
山一証券、長銀、ヤオハン、そごう、マイカル。倒産した企業は昔のリーダーが強く、大きな影響力を残したまま院政をひいたりと、老害をまき散らし、次代のリーダーを育成しなかった企業達である。
今振るわないダイエーしかり、創業者がなかなか時代の変化を認めようとしなかったようなところでは上の悪いところを見て育った下がリーダーとなった際に、カリスマであった者にだけ許される特権を、あたかも自らの力の如く使う悪しき習慣ばかりを身につけてしまった。そして、議論や意見を認めない企業風土を育ててしまったのだ。イエスマンが残り、イエスしか言えない企業風土。そう、極悪な企業風土である。
長い間成長を重ねた挙句、今を見失い、極悪な企業風土を作った老害に苦しめられている組織は実に多い。 確かに、企業経営の才能があり、世間から「あなたがいなくなれば後はどうなるのか」と言われるのは、老人にとって名誉であり、生き甲斐(がい)でもあるだろう。しかし、それでいいのか?
サラリーマンにとって取締役は上がりであるから、長く取締役を続けるほどその地位に執着するようになる。以前全日空のトップ人事が数日にわたって新聞紙面を飾ったことがあった。 82歳の名誉会長と71歳の会長が謀って、64歳の社長の首を切ったと言うのである。 社長が考えた役員人事を、名誉会長と会長が飲まなかったのが原因で社長が辞任した。しかも名誉会長と会長が運輸省の天下り組で、社長が生え抜き出身と言う構図なので、天下り批判まで飛び出して騒ぎは大きくなった。 結局名誉会長も取締役を引いて一見落着したが、老害の健在ぶりを世間に知らしめた事例である。 本人は側近の辞める必要はないという甘言にのって、当初は辞めないと頑張っていたが、社内からも事態の説明を求める若手管理職の署名運動が起こり、最後は家族の進言もあって退く決意したと伝えられる。 名誉会長退任の日、運輸大臣は「立派なご決断をされた」とコメントしたが、なんと引き際の悪い老人であろう。
「生涯現役」という言葉があるが、いつまでも元気で、仕事一筋に打ち込んでいるのも若者を阻害するようだと「それだけの人間か」とつまらなく見える。やはり、ある年になれば第一線を離れ、「いまは忘れてしまったよ」という方がはるかに立派で、風格が感じられる。昔は隠居制度があった。考えてみると、実によい制度であったように思う。殆どを後継者に渡し、隠居者として余裕を持って、事業や家族などの相談役・社会の支援・世話役、好きな趣味などに向かうのである。しかし、そんな美徳はなくなってしまった。「老いては子に従え」という諺も今は死語になってしまったようである。
老害の最も顕著でかつ危険なのは政界である。
長老の張り切りようは半端なものではなく、自民党の野中広務は、政治生活50周年パーティーかなんかやって、「おれが踏ん張らなきゃこの日本はどうするんだ」などと気炎を上げている。その気力は買うが、行動手法が古臭く、踏ん張って貰って日本を奈落の底へ引き落とされては困る。落ちるのだったら自分一人で逝ってもらいたい。
「私を老害と言うとは」と山崎幹事長にかみついた自民党税制調査会の最高顧問で当時81歳だった山中貞則にもこれは当てはまる。党税調での長老支配の批判を謙虚に受け入れようとせず、逆に食ってかかるというのは、「病(老害)膏肓(こうこう)に入る」という諺を知らないのだろうか?。「老害」を自覚しないのが「老害」なのだ。
右肩上がりの人口増大社会”ならいざ知らず、”右肩下がりの人
口減少時代”に入りつつあるのに、旧来の思考で物事を決めていたのでは早晩行き詰まるのも当然の事だなので、これはさっさと引退していただくしかない。
まあ、日本の高齢化が他国よりも急激なのは、簡単に言えば「人がなかなか死なない」国だからだ。人間が長生きできる国は確かに悪い国ではないだろう。長生きするが自殺が多いのはいただけないのだが。
しかし、今のままの長寿を保ったまま生産年齢人口を増やすということは、この狭い国土に人間をあふれさせるということに他ならない。かといってシルバープランの如く老後を外国でというのでは先方から「日本は老人まで輸出するのか?」と嫌な顔をされる。
果たして老人や予備軍は今何を考えているのだろうか? 「逃げ切りたい」と思っている」のだろう。社会の激変に対して取り敢えず穏便に済ませて、退職金を貰い、年金生活に入りたいと思っている。それが結果的に「先送りと後手」になって「失われた十年」と言う惨憺たる結末を迎える事になったのだ。
年金制度はとっくに破綻している。歳をとったら年金で暮らすという考え方は、これから先の社会では不可能なのだ。ではどう考えればいいのか?
「死ぬまで働く」
しかない。
だから仕事が楽しくない、早く開放され、楽になりたい……こんな人生は最初から駄目なのだ。働くことが楽しくてしょうがない。歳をとればとるほど仕事ができるようになり、達成感、充実感が味わえる。体力がなくなる分、経験や技術を生かせ、精神的な満足度も上がる。いい意味での「生涯現役」
……こういう人生こそ理想ではないのか。
間違っても、若い世代に面倒を見てもらおうなんて思ってはいけない。
それを不可能にしているのは、政治家、官僚、大企業のトップといった一部の老人たちだ。彼らが、税金を無駄遣いし、あるいは税金の不正使用や課税の不公平に助けられているからこそ、まともな経済が育たない。経済が破綻すれば、真面目に努力し、生きている「まともな人」たちが生きにくくなる。余裕がなくなり、人生のよろこびを得られる局面が狭まる。
もっと真剣に怒らなければ、この国は本当に手遅れになる。
日本道路公団のでたらめぶりなどは論外で、改革などと悠長なことを言っている暇はない。もはや一刻の猶予もなく極悪老害の総裁をクビにして道路公団は解散させるべきだ。
今の日本が目指すべき道は、健全な「老人大国」への道である。日本にはまだまだ、老人が「普通に」人生をまっとうできるだけの環境が残っている。自然の循環を支える豊かな山林、海岸、水。人々の生真面目さ。
うまく生かしていけば、高齢者が高い技術や豊富な経験を武器に、広範囲で多様な価値観を生み出す老人大国が築けるかもしれない。
それを不可能にしている筆頭は、老害政治家である。循環で成り立つ世界の仕組みを知らず、平気で環境を破壊し、数字だけの経済論を盲信し、歳と共に善悪の区別ができなくなる。
この国で幸せに生き、人生をまっとうしたければ、まず、不良老人に引退してもらうことだ。
社会が子供たちの犯罪に目を奪われている隙に、そうしたでたらめな社会をリードすべき政治家たちはもっと大罪を犯しているかもしれないのだ。
現在の若者が囚われている閉塞感を醸成している原因である”老害”が現役を続ける限り、「失われた十年」は永遠に続く。二十年後の子供に「何でこんなにっちもさっちも行かない社会にしたのか」と糾弾されたくはないだろう。
今変えなければこの国はどうしようも無い、手の施し様も無い国家に成り下がってしまう。我々はもっと真剣に老後を考える必要がある。これから老人になった自分の姿を思い描きながら、そして将来の日本の主役たる子供達のことも考えながら。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。