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http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011070702000033.html
「南スーダン」9日に誕生 石油収入の分配課題
2011年7月7日 朝刊
【ロンドン=松井学】南部独立が九日に迫ったスーダンの南北境界線の周辺で、中央政府軍と南部の武装勢力との戦闘が依然続いている。アフリカで五十四番目となる新国家「南スーダン」は南北対立を抱えたまま緊迫した雰囲気の中で分離独立を迎えることになりそうだ。
最大の原油生産地アビエイ地区に隣接する地域には、二〇〇五年までの南北内戦で、南部側と共闘した山岳民族ヌバ人の約四万人の武装勢力が残存。南北は国連などの仲介で山岳地域に非武装地帯を設けることでいったん合意したが、スーダンのバシル大統領(67)は今月一日、「武装勢力を一掃するまで軍事作戦をやめない」と表明。中央政府軍はこの地域で空爆に踏み切り、六万人以上が避難する事態になっている。
国境線上のアビエイ地区は五月に戦闘が発生し、南北は同地区を非武装地帯にすることで合意。国連安全保障理事会は六月、アビエイに平和維持活動(PKO)部隊を派遣することを決めた。
一方、独立後の南スーダンは国民の大半が一日一ドル以下で暮らす世界で最も貧しい国の一つだ。南部にはスーダンの油田の四分の三が集中。ただ、石油精製施設や輸出のためのパイプラインは北部が所有し、南部が石油収入を得るには、北部との経済交渉を急ぐ必要があり、今後はどう分配するかが課題だ。
それでも悲願の独立を選んだ南スーダンの首都になるジュバでは住民の期待は高まる。東アフリカ専門の民間研究所リフト・バレイのアリ・ベリジー主任研究員は本紙の取材に「住民は独立で生活が一変すると思っている。すぐには何も変わらないと分かった後の半年、一年後に国民の不満をどう抑えるかが重要になる」と語った。
<南スーダン> 1983年にスーダンのヌメイリ政権(当時)がスーダン全土にイスラム法を導入し、反発した同国南部のキリスト教徒を主体とするスーダン人民解放軍(SPLA)との戦闘が激化し内戦状態に陥った。2005年の包括和平合意までに200万人以上が死亡したとされる。和平合意に基づき、今年1月に南部独立を問う住民投票が実施され、98%以上の賛成で分離・独立が決定。南スーダンの初代大統領には、和平合意後に発足した南部自治政府の大統領キール氏が就任する。
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