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住民の「面白い!」が街を変える
〜別府温泉
2009.02.24(Tue) 久保田 美穂子
温泉物語
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88カ所の温泉に入浴してまわる究極のスタンプラリー「温泉道」。観光イベントのようでいて、地域の素材を発見してビジネスモデル化を探る実験室「オンパク」──。別府温泉(大分県別府市)の試みは全国の温泉地に大きな刺激を与えた。
竹瓦温泉
大分県別府市元町16-23
別府温泉の再生への取り組みは、従来型の観光客誘致戦略とは一線を画している。
日本を代表する大温泉地、別府の名前を知らない人はいないだろう。しかし宿泊客数は1980年代から長期減少傾向にあり、衰退する温泉地の代表格と言われるまでになっていた。
1996年8月8日、この日から別府は生まれ変わる。「別府八湯(べっぷはっとう)勝手に独立宣言」。市内8カ所の代表的な温泉地が「別府」ブランドのネームバリューに依存せず、互いにライバルとして磨き合っていこうという宣言だ。
8つの温泉地がそれぞれのアイデンティティーを極めるため、袂を分かつ。分かれることで逆に別府全体の総合力を高めようという発想だ。動き出したのは、旅館の若手経営者や地域の商店主など多様な顔ぶれであった。
“独立” 運動をリードした竹瓦温泉の保存活動
戦前に「唐破風造り」で建てられた竹瓦温泉
地域づくりの気運が高まった背景には、前年の高速道路整備による観光客数回復が一時的なものに終わり、期待を裏切られたことがある。「行政頼みやキャンペーンだけではだめなんだ・・・」。関係者は発想を変えた。ため息ばかりの会議は、いつしか「勝手に独立」で盛り上がるようになった。
八湯の中で先行的な動きを見せたのは、別府駅に近い「別府駅エリア」の住民である。きっかけは、別府温泉のシンボル的存在であった温泉建築物「竹瓦(たけがわら)温泉」を老朽化に伴い鉄筋化するという、市が打ち出した計画だった。
竹瓦温泉が建てられたのは1938(昭和13)年。「唐破風造り」と呼ばれる重厚な建物である。大浴場と、温泉熱と成分を吸収した熱い砂を身体にかける「砂湯」が名物だ。
竹瓦温泉の価値に改めて気づいた地域住民は、竹瓦温泉の保存のために「竹瓦倶楽部」を結成。その活動の一環として、戦災を逃れた周辺界隈の路地裏を散歩する散策ツアーや路地裏文化祭といった手作りイベントを始めた。
別府駅周辺の路地裏食堂
ツアーは、「お金をかけずに楽しいことを!」と有志がボランティアで始めたものだった。このツアーを喜んだのは、意外なことに地元の別府市民や隣の大分市民だった。
別府駅周辺には、竹瓦温泉の他にもレトロな風情がそこかしこに残っていた。「駅前高等温泉」をはじめとする共同浴場や、老舗の味噌蔵、洋服病院、国際民宿、別府カトリック教会などである。地元市民は、あまりに身近すぎて忘れていた古き良き文化の魅力を再発見したのだ。
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