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「オレって何者?」 “3・11”で自分を見失った40代の焦燥 負け犬から4時から父さんになると変わる景色(日経ビジネス
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/453.html
投稿者 五月晴郎 日時 2011 年 6 月 30 日 06:52:53: ulZUCBWYQe7Lk
@http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110628/221174/?P=1
Ahttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110628/221174/?P=2
Bhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110628/221174/?P=3
Chttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110628/221174/?P=4
「日経ビジネス・オンライン」から
2011年6月30日 河合 薫
『「オレって何者?」 “3・11”で自分を見失った40代の焦燥 「負け犬」から「4時から父さん」になると変わる景色』
@昔の働き方に郷愁を引きずる40代
A戸惑いや焦りを次々と語った40代たち
Bいつの間にか会社と一体化していた
C家庭や趣味に精を出せば、自分の意外な一面も分かる
を、下記のように転載投稿します。
=転載開始=
東日本大震災が起きた「3・11」を境に、いろいろなものが確実に変わり始めている。とりわけ電力不足という緊急事態は、家庭生活にも、働き方にも、大きく影響を及ぼしている。
私自身、埼玉県熊谷市で驚異的な最高気温が出た日、「この一押しで停電が起きたら」と思うと、冷房を入れる勇気が持てず(これを勇気と言うかどうかは別として)、近所のカフェにパソコン片手に避難した。原稿に集中する時は、本と資料に囲まれた狭い仕事部屋にこもるのが日常だったのに、熱さに耐えきれずにカフェに“出勤”したのだ。
労務行政研究所によれば、節電対策のため「所定外労働の削減」を行っている企業は66%、「サマータイム(始業・終業時間の繰り上げ)の実施」は52%で、5割以上の企業が、自宅勤務や休日の増加といった「働かせ方」の見直しも行っているという(東京電力、東北電力管内の195社を対象に2011年4月に実施)。
あれだけ「エコだ! 温暖化防止だ!」と言われても節電できなかった人たちが節電に精を出し、あれだけ「残業をなくせ!」と指導されても残業をなくせなかった企業が就業時間を削減し、夕方、近所を歩くとサマータイム勤務のお父さんたちが子供と公園で遊び、エンドレスに続いていた会議が就業時間内に終わるようになり……。
働かせ方が変われば、働き方も変わる。早く帰宅できることで、育児や家事に参加できるようになったり、自己啓発の時間を持てるようになったりと、満足感を得た人もいることだろう。
だが、その一方で、変わる働き方に戸惑っている人も少なくない。
昔の働き方に郷愁を引きずる40代
「自分がここまで会社に依存していたとは、正直驚いた。仕事と家庭を割り切れる若い世代がうらやましい」
先日、40代の人たちとの意見交換会で、こういった意見が相次いだ。
バブル崩壊以降、仕事への意識は明らかに変わってきた。というか、仕事に対する新しい価値観を持っている世代が育ってきたと言った方が正確かもしれない。
「会社人間」と呼ばれた昭和真っ盛り世代。仕事に自己実現を求めたバブル世代。そして、仕事は生活のための手段と割り切る20代たち。
働き方は、個人の資質以上に、社会状況や社会環境によるところが大きい。特に10代後半から20代の時の「世の中」は、職業観の形成に強い影響力を持つ。
そんな中、これまで無意識に「右肩上がりの働き方」へのノスタルジーを引きずっていた40代は、電力不足がきっかけとなり、これまで意識しないでいた自分の“問題”がさらけ出されて戸惑っている。
そこで、今回は、「職業観」について考えてみようと思う。
「私の会社でも先月からサマータイムが始まり、定時での帰宅が義務づけられるようになったんです。そのまま家に帰れば家族そろって夕飯を食べることもできますし、子供の勉強を見たりと、結構楽しんでいられました。ところが最近、何と言うか、『このままでいいのだろうか』と思うようになってしまいまして……」
「自分では今まであまり意識していなかったんですけど、仕事っていうものが、これまで自分が考えていた以上に、自分の生き方に占める比重が高かったんです。就職した時から、家庭も自分の時間も大切だって気持ちは、ずっとありましたし、その気持ちは今も同じです。でも、『仕事だけの人生なんてかっこ悪い』なんて口では言いながらも、どこの会社に勤めているか、どんな仕事をしているか、仕事でどれだけ能力を発揮できているか、ってことが、自分の自信になっていたんですよね」
「20代や30代の部下たちの多くは、『仕事はお金のため。育児の時間が増えてうれしい』とか、『趣味のバンド活動が平日もできる』って喜んでいる。『仕事は生活のためだから、生活ができればそれでいい』って言い切る部下もいます。これまで私は、彼らの生き方をどちらかと言えば否定的に見ていました。一生懸命やって振り落とされるのが怖いんじゃないか、とか、責任を持ちたくないから仕事から逃げているんじゃないか。負け犬の遠吠えじゃないか、と」
「でも、改めて社内を見渡してみると、若い人たちの中にもものすごく優秀なヤツがいるんです。ものすごく優秀なのに、『仕事は生活のため』って言い切るんですよ。僕はものすごく優秀でもないのに、そう断言することができない。部下たちのことを、どこかでうらやましいと思っている自分がいるんです」
こう話してくれたのは、47歳の広告代理店関連の会社に勤める男性である。
何だよ。今ごろ、そんなこと気がついたのか? だから、バ・ブ・ルなんだよ。散々、ゆとり世代の文句ばかり言っていたのに――。
などと、若い世代から集中砲火を浴びそうな話ではあるが、「ごめんなさい」、彼に代わって謝ります。どうかお許しを。
「どこかで、自分もいつかたくさん稼いでいい車に乗ってやるって思っていたような気がする」
「確かに、昔ほどブランド志向はないけど、いい時計をしてビシッとスーツを着てるのが、何となくできる男だって思っていたなぁ」
「『イクメン』を自負しているヤツを見ると、正直、どこかで仕事で頑張れないことの言い訳って思っていたかも」
会合に参加した人たちは、「何となく」とか、「どこかで」という前置きを付け加えながらも、右肩上がりだったころの価値観を引きずっていたと語った。そして、「自分たちの今までの価値観は、もう通じなくなるんじゃないか」と、漠然とした不安を抱きながら戸惑ったと打ち明けたのだ。
「オレたちって、何だったんだろう?」と。
戸惑いや焦りを次々と語った40代たち
いや、もちろん既に価値観も、働き方も変わっていることは分かってはいた。いろいろな働き方があるはずだし、多様な生き方を認めるべきだし、どちらかと言えば、「そういう生き方、働き方を認めるべきだ」と強く思っていた。電力不足のおかげで企業側が「働かせ方」を変えなくてはいけない状況になったことは、大変喜ばしいことだ、とは思ってはいる。
でも、もし私も、組織にいたら、やっぱり戸惑うように思う。
大震災の後、世の中の空気が明らかに変わったことを肌で感じ、一抹のさみしさのようなものを感じたからだ。漠然としすぎていてうまく説明できないのだけれど、恐らく組織にいる彼らは、似たような感覚に陥っているのではないだろうか。
今までの自分の価値観の否定、と言ってしまうと大げさかもしれないけれど、自分が取り残されたような気持ちと、新しい価値観で生きている部下たちをうらやむ気持ち。「で、どうする?」と問われても、すぐに答えの出せない自分への情けなさ。いや、焦りに近い感情かもしれない。
以前、40代になった多くのビジネスマン、特に大企業に勤めていたり、そこそこの地位にいる人が、それらの属性が「自分」になっていること気づき、「属性のない、丸裸の自分」「自分はいかほどの人間なのか?」と、得体の知れない不安に襲われることがあると、このコラムでも取り上げた(関連記事:40代を襲う“得体の知れない”不安http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100913/216214/)。
その話を吐露した知人は、「どうすることもできない自分に罪悪感みたいな気持ちがあって、それを打ち消そうとして、必死に働いている自分がいる」と語っていたが、働かせ方も変わり、がむしゃらに働きたくても働けない環境になってしまった。 まぁ、それこそ会社に行かなきゃ仕事ができない、なんて働き方自体が時代錯誤で、家だろうと酒場だろうと、仕事のやり方を考えればいいのだろうけど、頭じゃ分かっていても心がついていかないこともある。
それに、日本航空(JAL)に続き、東京電力と、背景は全く違っていても、自分たちが就職した時には絶対的に勝ち組だった企業がそうではなくなってしまい、社会的地位が根底から崩れたことへの不安もあるのだろう。
いずれにしても、働き方の多様性だの、ワークライフバランスだのと、何やかんや言いながら、会社という場で「自分」を確立する「就社」を選択していたことに気づかされた。 会社が自分の生活世界の中心になっていたのである。
大企業に就職したがる若い世代は、一見、「就社」を選択しているように映る。だが、彼らは仕事に安定は求めているが、地位は求めてはいない。そんなもの求めたって意味がないことを、子供の時から目の当たりにしてきた世代だ。
彼らは地位に興味を示さず仕事に自己実現も求めていない。その割り切りの良さが、その世代格差の空気が、無意識に就社を選択していた40代に重くのしかかってきたのである。
いつの間にか会社と一体化していた
戸惑っている40代たちも、会社に入りたてのころは、会社人間を否定していたし、「5時から男」なんて流行語もあったように、プライベートにも一生懸命だった。「24時間働けますか?」と、よく働き、よく遊ぶ。仕事を離れた自分の時間を満喫していた。ただ、よく遊ぶためには、仕事で確固たる地位がなくちゃダメだった。
今ではすっかり死語となったヤンエグ、青年実業家、が象徴するように、仕事で確固たる地位を持っているからこそ、遊んでいても、マイホームパパでも、かっこ良かったのである。
“生活世界”の土台だった仕事が、長いこと働いているうちに、“生活世界”そのものになっていた。気がつかないうちに、だ。
恐らくそれは、仕事だけをよりどころにした方が、「自分は誰か」が分かりやすかったからなのだろうし、会社が求める自分になった方が楽だったからに違いない。“会社人間”こそがすべてだった既存の価値観に自分を合わせていくことの方が、会社の居場所を得やすかったこともあるかもしれない。就社は、安定と地位を手に入れる最も手っ取り早い方法で、自己実現と、自分の存在意義を見いだす楽な方法でもあったのかもしれない。
自分でも気がつかないうちに、会社と自分が一体化してしまっていたのだろう。
でも、今となっては、何が自己実現だったのかさえ分からない。だからよけいに「オレたちって、何だったんだろう?」と、いや、「オレって、何なんだ?」と訳が分からなくなってしまったのだ。
仕事には、生活の手段だけではなく、仕事でしか得られない満足感がある。同様に家庭生活にも家庭でしか味わえない喜びがある。しかも、それらは互いにプラスの影響を及ぼす。
「ワーク・ファミリー・エンリッチメント理論(work-family enrichment theory)」。
これは、「仕事と家庭における片方の役割がもう片方の役割を改善するメカニズム」を理論化したものだ。
崩れゆく価値観に戸惑っている世代は、仕事で得られた充実感や満足感が、そのまま家庭への満足感につながる世代、すなわち「ワーク・トゥー・ファミリー・エンリッチメント(work-to-family enrichment)を体現してきた世代でもある。
だが実際には、逆方向の効果、すなわち、家庭生活で得た充実感が仕事や職場生活にプラスの影響を及ぼす「ファミリー・トゥー・ワーク・エンリッチメント(family-to-work enrichment)」もある。
家庭生活の中に確固たる役割を得ることができれば、家庭生活での人間関係や人脈ができる。仕事とは異なる柔軟性や考え方が身につくようにもなる。これらは仕事のパフォーマンスの向上につながる。
例えば、子育てをしながら働いている女性の多くは、「肉体的にも、精神的にもしんどいこともあるけれど、子育てをしている経験が仕事に役立つ」と答える傾向が強い。
またトップ自ら育児休暇を取って話題となった東京都文京区の成澤廣修区長も、「母親は偉大。男性もどんどん取って、育児に参加すべし」との感想を漏らし、「仕事の幅も広がる」と公言している。
「ファミリー・トゥー・ワーク・エンリッチメント」の効果を存分に得るには、「家庭」と「仕事」の両方を大切にする気持ちが不可欠である。
つまり、仕事が自分にとって大切なものであればあるほど、いい仕事をしたいと思っている人ほど、家庭生活での役割が、プラスの影響をもたらすのだ。
家庭や趣味に精を出せば、自分の意外な一面も分かる
会社、役職といった属性を自分から切り離すことは、なかなか難しいものだし、価値観は、変えようと思ったところでそう簡単に変えることはできない。
だが、幸いにも、働かせ方が変わってきた“今”、会社と自分を分離させる時間ができた。だったら、一生懸命、家庭生活を満喫してみてはどうだろうか。自分の所属する会社やそこでの地位を自分の存在のよりどころにしてきたように、家庭生活の中にも自分の役割と居場所を積極的に探すのだ。
「5時から男」ではなく、「4時から父さん」。
腹の底から真剣に、今までのめり込んだことのなかった“家庭”や、今までなかなか時間を費やすことができなかった趣味に精を出してみると、意外な自分の一面を知ることもできるだろう。
で、それで「自分が誰か?」が分かるかって? 多分、答えは出ないかもしれないし、もともと答えのない問いなんじゃないかって気もしなくもない。だって、学生に講義をする河合薫、文章を書く河合薫、両親の身体を気遣う娘としての河合薫、好きな人のために料理をする河合薫……。すべて「自分」なのに、どれもこれも違いすぎて、どれが本当の「自分」か分からないから。
大切なのは、「自分は誰か?」を問い続け、いろいろな「自分」を受け入れること。そのためにも、仕事=自分、だったものを、仕事、家庭、課長、父親、サーファー、武道家、と、いろいろな自分に出会う。それは決して、仕事ができないことへの言い訳でもなければ、負け犬の遠吠えでもない。
ただ単純に、豊かに生きる、ってことなんじゃないでしょうかね。
=転載終了=
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