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「21世紀の日本人」 人心の一新は、首都移転にしかず 2002年(平成14年)2月27日 川勝平太
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投稿者 愚民党 日時 2011 年 6 月 18 日 17:10:51: ogcGl0q1DMbpk
国家戦略本部 第10回 平成14年2月27日
「21世紀の日本人」(1)
講師 川勝平太(国際日本文化研究センター教授)
http://web.archive.org/web/20080927221549/http://www.vectorinc.co.jp/kokkasenryaku/index2.html
現在
国際日本文化研究センター教授
略歴
早稲田大学大学院経済研究科
英国オックスフォード大学院博士課程修了
早稲田大学政治経済学部教授
著書
富国有徳論(紀伊国屋書店)
海洋連邦論(PHP研究所)
■川勝平太講師
川勝です。大事な会議にお招きいただいて、光栄です。
21世紀の日本人がいかにすれば元気になれるかについて、愚見を申し上げ、ご批判を賜りたいと思います。
現下の外務省のゴタゴタに対する国民感情が典型ですが、国民は政治に倦んでいます。
失業率が6%近くになって経済も病んでいます。テロ事件や不審船事件のほか、阪神・淡路大震災のような自然災害の危機が潜在しており、国民が政治のリーダーシップを高らかに仰ぎ、新しい国づくりにむけて意識改革に燃え、ここ日本は安全で安心な文明国であるという誇りをもてるようにするにはどうしたらいいか。私は、人心の一新は首都移転にしかず、という意見です。
平成2年に衆参両院の諸先生方が議決をされ、法律を定められ(議員立法でございました)、国会等移転審議会が平成8年に設けられ、平成11年の暮れに答申が出て三地域が候補地になりました。その後、諸先生方の決議で、2年後に一地域に絞り込むことになりました。その期限が今年5月末にまいります。首都の移転は、こういう厳しい状況ですから、財政問題等、難題はありますが、日本の首都移転の国民の意識への影響は甚大なものがあると思います。
日本国民の一番の理念とは「一国の独立の基礎は一身の独立にあり」というものでしょう。なぜそういえるのかと申しますと、日本はそう喝破した福沢諭吉を最高額紙幣一万円札に刷り、日本の顔として世界に通用させているからです。一人一人の独立、個の自立を基礎にした国づくりという理念は、万国に通用し、説得力の高いものです。
もう一つ日本の顔があります。首都です。日本は首都の場所によって時代区分してきた世界に唯一の国です。奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、その後、明治からは東京に移し、首都と時代との関係は極めて明確です。奈良・京都は唐の文明を入れる器でした。奈良の平城京、京都の平安京は唐を文明と仰ぎ、長安の都を模して日本をつくる装置でした。奈良時代、平安時代は中国文明を受容した時代です。
その後、首都機能は鎌倉に移りました。鎌倉には五山の文化、禅の文化、庭の文化、茶の文化があります。これらは長安の文化ではありません。南船北馬といわれる中国には、大陸中国の北の文化と海洋中国の南の文化があります。例えば天目山は浙江省にあり、そこで使っていた茶碗と同形のものが天目茶碗として親しまれ、栄西はお茶を浙江省から持ってきました。禅、庭、茶など中国の南の文化が鎌倉に入ったのです。
鎌倉から首都機能は室町、すなわち京都に移りますが、北の大陸文化と南の大陸文化、この二つの中国の文明を統一したものが室町です。室町時代は公家の文化と武家の文化を融合したと日本史家の間でいわれますが、三代将軍義満は金閣寺をつくって北山文化、八代将軍義政は銀閣寺を建てて東山文化を生みました。そこには禅・庭・茶の文化が息づいています。中国との関係で国のかたちを見ますれば、日本は室町時代に南の中国の文化と北の中国の文化を京都で融合したと見ることができます。
中国は、長安、臨安、南京、北京などと、国の首都を移しましたが、首都を移しても時代名を変えません。そうした首都の多くは今や廃墟あるいは遺跡となっています。日本を見れば、京都には唐の長安のたたずまい、鎌倉には中国の南の文化のたたずまいを生きた文化遺産として残しています。まさに日本は東洋文明の生きた博物館であり、それが奈良、鎌倉、なかんずく京都にあると見ることができます。
しからば江戸の都に外国モデルがございましょうか。どこにもありません。日本が独自につくったものです。言いかえますと、中国文明からの自立を示すのが江戸の姿です。城郭の周囲に武士を集住させて城下町をつくり、農村をその周辺に配した一国一城政策がとられ、北は津軽から南は薩摩藩に至るまで、いわば小江戸がつくられました。室町時代に各地に小京都がつくられる。すなわち、中国文明を入れ切った日本の姿が全国津々浦々に
つくられたように、江戸時代には、中国から自立した江戸の姿が城下町として全国津々浦々につくられたのです。
明治維新以降、日本の時代区分は天皇のご在位によって明治、大正、昭和、平成に時期区分されていますが、まもなく一括して「東京時代」と呼ばれる時代が来るでしょう。東京は西洋文明を受容する装置であり、東京時代とは西洋文明を受容した時代です。
奈良、京都が北の大陸中国の文化を受容した時代の首都、鎌倉が南の海洋中国の文化を受容した時代の首都、室町が南北両方の中国文化を入れ切ったときの首都、江戸は中国文明から自立したときの首都であったのと同じ脈絡で、東京は欧米文明を受容したときの首都です。欧米文明の受容とそれへのキャッチアップが終わった今、全国津々浦々につくられてきた「ミニ東京」という呼称には、いまや蔑称に近い響きがあります。地方の人々は
いまでは「ミニ東京だ」といわれるのを喜びません。脱東京化すなわち西洋文明からの自立の動き、それは見事なまでに西洋文明を受容した東京からの自立として「地域自立」の動が全国津々浦々に広がっています。首都が移ることによって日本の国の形が変わるのは、日本の歴史に即して明らかです。
国会等移転審議会で16項目について一つ一つ点数をつけて、一番高い点数をとったのが那須・阿武隈です。反証は難しい。さらにもう1項目、例えば皇居をどうするかという項目は、どういうわけか入っていませんが、那須には御用邸がありますから、東濃や三重・畿央はその点で断然劣ります。現行憲法における陛下の国事行為を前提にしますれば、御用邸のある那須・阿武隈の地が、審議会の答申どおり、新首都にふさわしいと思います。
もう一つ、人心一新にかかわることとして、国民生活のライフスタイルが変わるというメッセージを伝えることが大切です。それには「生活の55年体制の打破」を掲げるのがよいと思います。細川政権の誕生によって破られた自由党・民主党が合同した「政治の55年体制」のことではなく、「2DK55型」「ハウス55」といわれた「生活の55年体制」です。昭和30年、1955年に今の都市基盤整備公団の前身の日本住宅公団が設立され、東大の吉武先生が考案された、台所で食事するという、昔でいえば使用人の生活スタイルを、ダイニング・キッチンという英語を使うことで、ハイカラとでも思わせたのでしょうか、2DK55型の住居、これは当初は一戸当たり30平米に満たなかったものが、大当たりして、千里ニュータウン、多摩ニュータウンのように、民間デベロッパーも参入し、ついに日本人の3人に1人が2DK55型とその変種の箱住みスタイルという結果になりました。
これが後に日本の都市景観の画一性、金太郎飴といわれる生活景観になったのはご承知のとおりです。
では、いかにして「55年体制の打破」を実現するのか。英語でいうホーム・スイート・ホームのホームの原義に返る運動をおこすことです。ホームは日本語では「家庭」です。
「家庭」という漢字を思い浮かべてください。「ハウス(家)」と「ガーデン(庭)」とが一体です。ハウス・ウイズ・ザ・ガーデン、あるいはハウス・イン・ザ・ガーデンです。
庭と家とが一体になって日本の「家庭」です。都市ではマンションという名の「箱」が、帰って寝泊まりするだけの場所、労働力の再生産場となりました。その原型が2DK55型で、この「箱」に、本来は屋敷を意味するマンションという名がつけられ、今1,400万世帯の人々が住んでいます。この生活の55年体制から脱して、多自然地域(自然の多い地域)に居住空間をつくっていこうということを地域分権とあわせて提唱していくことが生活スタイルの一新になると思います。
その一つの方法として、減反政策で遊休化している農地を活用できます。戦後の農地法は自作農創設を目的にしています。戦前の地主・小作関係の弊害への反省から導入されたものですが、数年前、新しい食料・農業・農村基本法が施行されました。第1の目的はもちろん食料の安定供給です。自給率がカロリーベースで40%を切っている今日、それを上げるのは重要です。もう一つの目的として、伝統文化の継承、水資源の涵養、環境の保全など、農業・農村の多面的機能がうたわれています。これは、農業・農村は農民の独占物ではなく、水資源の涵養や美しい国土の景観の保全は非農業民を含む国民すべてのものであるということをうたったものです。
現在、農民が急速にサラリーマン化しています。専業農家は40万戸を切っており、兼業農家も8割方が第2種兼業農家、要するにサラリーマンです。農民がサラリーマンに転化するのは簡単ですが、逆にサラリーマンが農民になるのは、農地法や自作農創設主義に阻まれて困難です。農業は専業農民がするという固定観念のもとに定められている制度が障害です。
第2種兼業農家のさらにその先に本物のサラリーマンがいます。そのようなサラリーマンが販売用農産物をつくるのではなく、半自給でも、4分の1自給でも、8分の1自給でも、16分の1自給でも、32分の1自給でも、あるいは64日分のうちの1日分の自給でも、売るためではない、農業ならぬいわば「農」の楽しみを渇望していることに思いをいたし、都市民に農のまねごとができるようにするのが筋ではないか。今日、ガーデニングがブームです。都市民が家庭菜園で土地を所有している人はほとんどいません。借りている人がはるかに多い。借地して農をする、いわば小作です。小作制度は戦前の悪弊として、戦後に否定されました。しかし、サラリーマンが農業に乗り出すのに土地を所有せず、むしろ借地する。そのために小作を復活させる。「サラリーマン小作」を55年体制の打破として提唱します。
日本人労働力の大半をしめるサラリーマンの間での農へのあこがれ、つまり自然と調和した生き方、家・庭一体、ハウス・ウイズ・ガーデン(家庭)へのあこがれがあります。
農地の借地については、土地基盤整備公団、地方公共団体、JAとか、しかるべき大組織が土地をお借りになるなり、地主になって、サラリーマンに又貸しされるのがよいと思います。社会主義のように農地公有化は、日本のように資本主義の市場経済にのっとっている社会ではできません。地主が公共団体、準公共団体ですと、安心できるだけでなく、土地使用について公的規制を設けられます。規制内容は軽井沢のような別荘地が参考になります。最低区画は1反(300坪)の1,000平米です。建物の建ぺい率は2割以下、300坪のうち建坪が60坪以下ですから、残りの240坪が緑になり、それだけあれば花を栽培したり、果物を植えたり、家庭菜園もできます。減反地を活用しサラリーマン各層が広く農に親しめるようにする。それは新しい農地解放です。減反させ、補助金を与え、果樹をつくらせている、これは二重三重の意味で無駄遣いです。
さらにいいますれば、現在の失業者は、いわば国破れて山河なしの状態です。戦後に外国から引き揚げてきた日本人には、国は破れたが山河はあった。唐の詩人、杜甫の名句が実感として思われた時代です。帰っていくべきふるさとはあり、疎開もできた。しかし、今、国民の80%が都会に住み、2分の1が三大都市圏に住んでいる中で、ふるさとをなくした人々が多くなり、失業しますと、生活品を現金で賄っているので、本当に食べる物もないということになりかねません。懸命に働いてきて失業し、帰るべき山河もないでは余りにも気の毒です。
さらに自給率で2割を切っている森林。日本は世界最大の材木の輸入国です。言いかえますと、世界最大の森林の破壊国です。同時に国土の7割弱の森林を悠々と持っている国です。みずからの森を保全して世界の森を壊す国といわれて何といたしましょうか。昭和30年代に国家が植林を奨励せられた。しかし、その後、外材輸入の政府の方針が変わったために、日本の山々が傷んでいるのです。山々に杉・ひのきの代わりに広葉樹を植えかえる等、緑の雇用事業を興す。そして、そういう人たちが中山間地域の減反地域に住んでいくようにすれば、たとえ現金収入がわずかでもやっていけます。
1930年代のアメリカのニューディール政策は、公共事業で貯金を投資に回すというケインズ政策が功を奏したのですが、今は公共事業批判もあるので、環境保全という大義名分をたて、人々に土に親しみ、食物については少しでも自給ができる方法を考えてください。
これは生活の55年体制の打破という脈絡で申し上げています。
さて、首都が移るとなれば、まず第1段階として立方機関の国会が移る。最終的には行政機能が移りますが、候補地住民も国民も、巨大な霞が関組織の再来を望んでいません。新首都に移すべき国家機能は外交、安全保障、通貨調整など国家主権の行使にどうしても必要なものに限り、他の行政機能は地域に委譲する。新首都に東京と同じ機能を移せば、公共事業への反感をあおるだけです。小さな世界都市、人口10万から30万ぐらいの規模、政令都市の10分の1から3分の1ながら、主権国家としての日本の立場をしっかりそこで発揮する場です。
つぎに、地域に権限を委譲する際の地域単位についてです。現在、47都道府県が地域の一番大きな単位です。しかし、島根県や鳥取県には70万前後の県民しかいません。府県の格差が大き過ぎます。地域ブロックを考えざるを得ません。現在、国の出先機関は、北海道と沖縄を除き、東北、関東、中部、北陸、近畿、四国、中国、九州の8ブロックに分けられています。この8ブロックに国土交通省の地域整備局など国の出先機関を配していま
す。地方整備局には、かつての中央の霞が関の権限の3分の1ほどを委譲して、知事の陳情ができるようになっています。省庁再編後のわずか2年でここまでなさいました。おそらく間もなく3分の2ほどの権限がそこに委譲されるのではないか。各ブロックに仮に地方長官をおくなり、県知事連合の政治的意思を反映させるようにすると、これはブロックといわないで、「道州」になると思いますが、これには一考を要します。
東京都だけで国民所得500兆円のうち80〜90兆円を占めています。関東平野全体、首都圏で180兆円ぐらいです。北海道・東北で60〜70兆円です。近畿ブロックで90兆円。四国はわずか13兆円。中国は2倍強で26兆円。九州は大体日本の10分の1です。同じブロックでも、四国ブロックでは関東ブロックの10分の1以下です。8ブロックに分ければいいというあいまいなまま道州制になっても道州間の格差は大きい。分ければかえって地域の不満を起こしかねません。
分権によって日本人が元気になり、新しい国づくりだとわかる分け方を考えねばなりません。参考にすべきは、1998年3月に正式に策定された「21世紀の国土のグランドデザイン」です。旧来の1極1軸型から多極多軸型に大転換し、多軸型として北東国土軸、西日本国土軸、日本海国土軸、太平洋新国土軸の四つの国土軸を提言しています。西日本国土軸(これは東京より西という意味で昔の第一国土軸のことです)の工業地帯以外に、多自然地域として、森の豊かな北東日本。かつての表玄関の日本海の歴史と伝統を持った日本海地域。太平洋の黒潮にあらわれる海の日本。これら少なくとも四つの顔を持った日本の姿を提示しています。
その考え方を受け、かつ経済規模を勘案しますと、基準は首都圏です。首都圏で180兆円の規模を持っています。その経済規模はフランスなみです。イギリスよりも大きい。関東地域だけでいわばG7に入れる。東京は90兆円の規模があり、カナダ規模です。東京だけでも先進国の仲間入りができます。G7がG8、G9になるぐらいのパワーを持っております。これを一つの基準にすべきです。首都圏は日本で一番大きな関東平野に広がっています。関東武者がかつて騎馬で駆けめぐった関東平野、「平野の日本」です。それに対して西方は、九州、中国、四国、近畿は、かつて額田王が天智天皇(中大兄皇子)を送ったときに歌われたという「熟田津に船乗りせむと月待てば」、これは四国ですが、瀬戸内海は内海でした。瀬戸内海を囲む中国、四国、九州、近畿で180兆円に達し、「海の日本」。これもフランス規模を持つ。イギリスを抜くわけです。そして、鈴鹿の関から東は木曽は山の中です。中央アルプスがあり、北には北アルプスがあり、南には南アルプスがある。まさに「山の日本」です。ジャパンアルプスの世界があります。これはカナダの経済規模を持っています。
西日本=海の日本。フランスなみ。山の日本=カナダ規模の中央日本。そして、関東の平野の日本、フランスなみ。北は白河の関を抜ければ一山百文などと悪口を言われましたが、そこには白神山地のような原生林があり、北海道の原生林がある。まさに遠野物語や、縄文の遺跡などのイメージが今に生きている「森の日本」です。
「森の日本」「平野の日本」「山の日本」「海の日本」と、自然景観の一番大切な四つの要素にそれぞれ立脚し、カナダが二つ分、イギリスないしフランスに匹敵する国力をもつ日本が二つ分。それぞれがサミットに出ればG10になって、10のうち4、40%が日本で、非キリスト教圏が4割ということで、文明間の対話にも寄与する。それはともかくとして、分権を国づくりとして行うことが、分権本来の内容でなければなりません。
そのためには税体系を根本的に変えないといけません。現下の国税の所得税、法人税、酒税、たばこ税、消費税をそれぞれの地域で徴収し、各地域の人口・経済規模に応じて、国家の安全保障、軍事、外交に必要な資金を拠出する。地方交付税を撤廃し、逆の「中央交付税」にする。いわばEUの日本版です。EUはヨーロッパの大小の国々が主権を譲り合って大きくなる。日本は大きな日本を小さく分権化する。方向性は逆ですが、結果的には、EU本部・議会にしろ日本の新首都にしろ、政府の役割は小さい。しかしその存在は重要です。主権にかかわらない国土交通省、文部科学省、厚生労働賞、経済産業省、農水省などの権限も財源も4つの日本に委譲する。そうすれば、新首都と地域との関係も明瞭になります。
それは言いかえますと、「県」をなくすことです。県は中央政府の下請け的存在で、中二階のようなもので、これは長期的には不用です。現在は平成の市町村の合併で、市民生活や福祉に直接かかわることを効率的にする。政令指定都市も増えるようで、県の役割は確実に減少します。県より大きな単位としては、先の大きき四つほどの日本にまとめるのがふさわしいと思います。
中央政府として国民がいだく物的イメージは、国会議員が国政を論じる議事堂の姿です。
議事堂も、明治以降、日本が欧米を模してキャッチアップすることを象徴して石造り。江戸城や京都御所とはっきり区別できます。首都機能をになう建物は時代を反映しているのです。議事堂は全国の代表の集まる場です。日本は地球環境問題を率先して解決したいということで、京都議定書も批准しています、それらに鑑み、北海道から南は九州、沖縄に至るまで、各地の代表を選ぶ。代表として選ぶのは各地の森林です。各都道府県から巨木を100本拠出していただければ4,700本になります。丸太のままがよい。削ると加工費も高くなります。丸太は表情が豊かです。丸太を床柱のイメージで国会議事堂を4,700本の床柱で作れば、壮観です。「オラさ、林の中にいるみたいだ」という宮澤賢治的メルヘン的世界になるでしょう。例えば屋久島の千年杉が入るとすれば、伐採前の写真、樹齢、樹木名をきっちり書き、個体識別できるようにして永遠にこれを顕彰する。そのようにしますと議事堂は日本の自然の代表です。集まり散じ人はかわっても、議事堂は日本固有の自然の代表ということになれば、「森の議事堂」として非常に魅力的パワーが生まれる。丸太の床柱群からなる国会議事堂は二酸化炭素をそこで固定しているのだ、と世界に胸を張れます。
立方府を森の議事堂になさいますと、議事堂が日本の森を活用して建物をつくっているように、地元の産物を生かして町づくりしていくという機運が生まれるでしょう。新首都が那須になれば「ミニ那須」——ミニ那須はおかしいですな。「小那須」も何となく変な感じですね。「北都」としますと小北都、森の都でもいいと思いますが、その名で日本中に地元の自然資源を活用する機運がみなぎります。日本は、北は寒帯的、南は亜熱帯、すなわちさまざまな風土に応じた生き方が現出する。「家のつくりやうは夏をもってむねとすべし」と兼好法師が言いました。私は京都で生まれ東京で仕事をしてきましたが、多自然居住を実行し、今は標高1,000メートルの軽井沢に住んで5年目です。今朝は氷点下マイナス3度か4度で、冬が厳しいかわりに、夏は冷房費は要りません。
「家のつくりようは冬をもってむねとすべし」と兼好法師に抗議をしたい。そのように地域に応じた住まいようがある。そのことは、世界の寒帯地域、温帯地域、熱帯地域などさまざまな地域への自然との付き合い方の日本モデルとして発信できます。日本は島々からなる風土ですから、各地で家と庭の一体のガーデンをつくり、自然調和型の景観を育てれば「日本ガーデンアイランズ」といわれるでしょう。それは地球という水の惑星に浮かぶ外国へのメッセージになります。地球は表面積の7割が海ですから、陸地は全体から見ればわずか3割にすぎません。陸地は島なのです。地球を大小様々な島々からなる多島海と見立て、「日本ガーデンアイランズ構想は地球をガーデンアイランズにするという志です」と言えば、「ガーデンアイランズ日本」はビジョンの発信になる。日本は東洋文明、西洋文明、東西両洋の文明を入れ切って地球に発信する時代です。歴史と風土に根ざした新しいライフスタイル、日本固有の「家・庭」一体のガーデン重視の生活スタイルに変え、「生活の55年体制」を打破したホーム・スイート・ホームをつくることによって、ガーデンアイランズといわれる美しい国のたたずまいをつくることが、環境破壊に悩む地球社会へのモデル発信になります。
来日されたブッシュ大統領が今回、国会で「シビライゼーション・アンド・テロリズム・キャン・ノット・コーイクジスト」と言われた。文明とテロリズムは共存できないと。9月11日のテロのときにも、文明社会、文明世界、文明人に対する挑戦だと言われた。
アメリカ人のいう「文明」という言葉を聞きますと、極東軍事裁判でジョセフ・キーナンが日本を裁くときにも、「これは世界を破滅から救うための文明の挑戦である」ということで、日本を野蛮の名のもとに裁いたのを思いだします。日本は明治維新以降、文明開化で、福沢諭吉さんが『文明論之概略』を書いて日本をいかに一等の文明国にするかということに腐心し、文明の実をあげたにもかかわらず、我々はアメリカ文明の名において「野蛮」として裁かれました。
ともあれ「文明」が21世紀の重要なキーワードです。日本は世界に冠たる文明国たるべきですが、私どもは「文明の衝突」を避けねばならない。今回のテロリズムを「文明の衝突」の脈絡で議論する危険は重々承知しつつも、歴史的には、ヨーロッパとイスラーム世界、ないしイスラーム地域になった東方との関係は不可分です。そもそも、ヨーロッパの古代・中世・近世・近代の転換期をごらんになりますと、いずれにもオリエントが決定
的役割を果たしています。
ヨーロッパで歴史の父といわれるヘロドトスは、あの全9章の『歴史』という書物の最後の7、8、9章で書いているのはペルシア戦争です。ペルシアをアテネが敗ったところで物語を終えています。東方の勢力を退けて初めてヨーロッパはヨーロッパになった、それが古代の成立です。
しからば中世はといいますと、オリエント地域がイスラームになる。イスラームが地中海に進出し、ローマのクリスチャンの「われらの海」が「イスラームの海」になり、ヨーロッパ人の活動領域がアルプス以北に閉じ込められて中世封建社会に入った。中世ヨーロッパはイスラームの進出によってつくられた。『マホメットとシャルルマーニュ』という有名な書物で20世紀前半の最高の歴史家のピレンヌがそう言って、歴史家にとっては常識です。
20世紀後半の最高の歴史家といわれるフェルナン・ブローデルが『地中海』という本で、近世がどのようにしてでき上がったのかについて書き、日本語でも5巻本として(ペーパーバックで10巻本)訳されていますが、その最後に書いてあるのはレパントの戦いです。オスマントルコの帝国を退けてヨーロッパは大西洋世界に乗り出し、近世の幕が開けたとあります。
このように、ヨーロッパの古代、中世、近世の時代転換に必ずオリエントがかかわっている。ヨーロッパのアイデンティティの中に、ルネサンスは言うまでもありませんが、オリエントの成果が入っていることは間違いありません。西洋とイスラーム東洋とは「文明の衝突」「文明の対話」「文明の共存」とどのような局面になろうと、切っても切れない関係にあるということです。
それを踏まえた上で、我々は、ヨーロッパ人が意図的に歴史の舞台から消してきたイスラームの世界、自己のアイデンティティの中で影響を受けた相手を消してつくり上げてきたヨーロッパの世界史、すなわち西洋の歴史を学んできました。しかし、日本はイスラームの世界に発見されました。日露戦争に勝ったときです。西はオスマントルコからアフガニスタンに至るまで、シルクロード世界はみな喜んだのです。旧ソ連の支配下にあったイスラームの世界の人たちは狂喜した。ヨーロッパに勝てるという自信を与えた。これはイスラーム世界における日本発見であった。この発見も広義の「文明の衝突」の脈絡のうちにあります。
一方、日本におけるイスラーム世界の発見は100年かかりました。「アジア」という言葉はヨーロッパからの外来語です。それまで「唐」「天竺」「南蛮」という言葉しかなかった。「アジア」という言葉を最初に使った人は福沢諭吉は『脱亜論』を書き、「亜」アジアについては中国と朝鮮のことしか書いていません。30年ほどたち、有名な『東洋の理想』で岡倉天心が、ヒマラヤ山脈によって隔てられているけれども、儒教の共同主義を持つ中国と、個人主義のベーダを持つインドがある。ヒマラヤ山脈によって隔てられた地域として天竺ではなくインドという地理概念で言った。1900年前後に初めてインドというのが日本人のアジア認識の中に入ったのです。
中東の発見は大川周明まで待たねばなりません。東条英機をげんこつで殴ってきちがい扱いされたあの方が『回教概論』を書いています。そして、司馬遼太郎さんが『草原の記』を書く、あるいは『韃靼疾風録』をお書きになる。モンゴルの世界が広がる。井筒俊彦先生のような世界的なイスラーム学者が出てくる。我々は中東から石油を依存している。
こういうことが相まってイスラーム世界が日本人の意識に入るのです。20世紀になってイスラームにおける日本発見があり、同時に、日本におけるイスラーム世界の発見があり、それはシルクロード世界の発見でもありました。
シルクロード地域とのかかわりは、日本の外交の一つの大陸政策になりえます。従来、東西の連衡を考えるときには、アメリカかソビエトか、あるいはアメリカか中国か、アメリカか旧ロシアかEUかという大国重視主義です。けれども、これからは国際関係の時代で、国連は多数決主義です。シルクロード地域にたくさんの国々があり、その大半はイスラーム国です。こういう地域は、今回のアフガニスタン復興で大使館を置くことになったように、実は大使館がないのです。しかし日本人のNGOが活動している。アフガニスタン復興の国際会議で日本の外務省はNGOをいれざるをえなかった。これは民間外交ができるところまで日本人が国際化したことを物語っています。外務省に全面的に頼らなくて外交ができる。外務省の援助があればもっといいとは思います。ともあれ、シルクロードは好日的、日本人もシルクロードに夢を持つ。日中戦争も、中国周辺のウズベキスタン、チベットのほか、少数民族の多くがもうちょっとで日本は中国に勝ってくれたのにと思っているところがある。ともかく日本という国はそういう中国周辺にある小国、シルクロードの小国にとってありがたい国です。シルクロード外交が東西軸に考えるときには重要であります。
しからば南北軸においてはどうか。南北においては、日本は島国で、西太平洋の一角に位置をしめており、西太平洋を生かすのが課題です。日本はアメリカに追随しているかのごとくです。しかし長期的にみれば、アメリカと日本は、新興国として並行的に発展してきた国です。アメリカにピルグリム・ファーザーズが行った17世紀初め、『文明の衝突』を書いたハンチントンのご先祖があのピルグルム・ファーザーズの一人ですが、彼らが東部に入植し、それから西部開拓に乗り出す。同じ頃、日本は江戸に幕府を開き、利根川を整備し、荒川を定め、江戸を100万都市にした。それまで戦争に従事していた足軽という土木の達人を軍事力から民間力にかえ、アメリカが西部開拓をしていたときに日本は東部開拓に乗り出したわけです。
アメリカがようやくヨーロッパから自立し、独立宣言をし、19世紀になってモンロー宣言といういわゆる鎖国宣言をしたときに、日本も1800年に初めて「鎖国」という言葉を使ってもう中国から輸入するほどのものは何もない、どの国も日本に来てもらいたくないと、無二念打ち払い令(異国船排撃法)、すなわち文字どおり鎖国令を出す。同じ時期です。
アメリカは太平洋に捕鯨にやってきて、捕鯨船員のために水と食料を供給してほしいと頼みました。人道的見地から日本は和親条約を結び、こうしてアメリカは日本開国の先鞭をつけましたが、その直後、内乱になりました。南北戦争です。日本も開国後、内乱になりました。東西の内乱です。西南の雄藩と東国の徳川が戦争した。アメリカが南北を統一してどうしたかというと、イギリスを追いかけた。日本は東西を統一してどうしたかというと、イギリスを追いかけた。両国ともイギリスを追いかけてどちらが大英帝国に信任せられたでしょうか。日本です。
日英同盟は、イギリスがナポレオン戦争時に大陸から締め出されて栄光ある孤立をしながら大英帝国を形成しましたが、その孤立政策を捨てて最初に対等の関係を結んだのが日本でした。日本はイギリスと組んで第一次大戦の戦勝国になり、北太平洋のほとんどの地域の統治を国際連盟から委託され、日本は太平洋地域の島々に教育を施した。第二次世界大戦で負けて、太平洋地域はアメリカの国際連合からの信託統治領になりました。そうした太平洋地域の島々が20世紀末に独立して、アメリカの戦後の統治と日本の戦前の統治を比べています。アメリカは軍事基地として使うか、援助漬けにしただけです。日本は教育をほどこしたということで、日本評価は高いのです。いいかえると親日的です。太平洋地域への過去100年間におけるコミットメントでは、アメリカと日本は五分五分、ないし日本に有利です。
西太平洋地域の南にはオセアニアが広がっていますが、その中心オーストラリアの最大の輸出国が日本、輸入元はアメリカに次いで日本です。オーストラリアがいかに日本と深い関係をもちたいかはご承知のとおりです。そうしますと、そこに「西太平洋津々浦々連合」、つまり島々の海洋連合を構想できます。離島も重要という認識も出てきます。外海にあって、小さくて、どうしようもなく、振興の対象とみなされ、国土の保全とか、海洋資源の確保とか、環境の保全とかだけで荷物に思われてきた離島が、国連海洋法によって200海里が排他的経済水域になり、離島の存在感も変わってきています。離島振興法も来年3月で切れますが、そのときに、西太平洋津々浦々連合構想のもとに小さな島々を大事にする。東ティモールでもそうですが、太平洋の小さな島国にとってはオーストラリア人が煙たい存在です。しかし、日本人なら歓迎される。オーストラリアはインドネシアでは嫌われていますが、隣国ですからどうしても大事にせざるを得ない。インドネシアは親日的です。オーストラリアは日本と組めばやりやすい。南太平洋の諸国のベクトルは北の日本に向いています。日本のベクトルはアメリカからだんだん自立してNIES、ASEANなどの海洋アジア地域との関係が深まって南に向かっています。西太平洋津々浦々連合は日本がリーダーシップをとれる位置にいます。
東西の連衡はシルクロード外交、南北の合掌としての西太平洋津々浦々連合をつくっていくことが、日本外交の新しい形になると思います。
そういう弱小国の多い地域にはODAによる援助が入っており、日本の青年が働いています。その中で最も好まれた国が、JICAの元総裁藤田公郎さんがシニア海外ボランティアとして行っていらっしゃるサモアです。17万人の人口のうち4,000人が失業している国ですが、そこにいる日本人ボランティアは、青年協力隊よりもシニア・ボランティアの方が多い。なぜかと聞きますと、美しく、安全で、安心な地上の楽園だからだというのです。家と庭が広い。庭の手入れが文化になっているので、庭がとてもきれいです。その庭にタロ芋、バナナもあり、鶏や豚が遊んでいます。建ぺい率が極めて低く、すごく豊かに見えるのです。豚や鶏がいなければ、ほとんどヨーロッパの高級住宅街かと思うようなところです。みなが共同で生活しているので安全で、犯罪が少ない。失業者がいても食うに困りませんから、これはGDP(グロス・ドメスティック・プロダクト)ではなくてGDH(グロス・ドメスティック・ハピネス)です。つまりサモアには国破れても帰っていく庭がある。全部現金で物を買う生活のばからしさがかえってわかる。
そういう島々に日本の青年が青年海外協力隊として2年間援助活動、いや実態に即していえば現地を学ぶ勉強をしています。フィールドワークです。彼等は帰ってくると相当冷遇される。彼らは海外の任地に行く前の3カ月は集中的な現地語教育をうけ、任地では2年間に書く5回のレポートは修士論文に値する。彼らにはアメリカのMBAに匹敵するMEAを与えるべきではないか。アメリカはMBA(マスター・オブ・ビジネス・アドミニストレーション)経営学修士という、大学が金儲けをするの資格をつくりました。日本はMEA(マスター・オブ・エンバイロンメンタル・アドミニストレーション)環境学修士という修士号を差し上げるのがよいでしょう。ところが文科省が青年海外協力隊は外務省の管轄なので学位を差し上げない。明治以来、留学といえば欧米に留学することでしたが、今、日本の青年たちは、欧米とは違う海外に行ってみようと、青年海外協力隊の試験を通り、日本語や獣医の資格などの能力を生かして行っています。海外を見たいという国際性をもつと同時に、勉強をした子が行っています。その青年たちの年齢は平均27歳です。
日本では彼等をないがしろにしています。JICA総裁の修了証書を差し上げるだけでは余りにももったいない。そこでMEAという新しい学位をつくって差し上げる。
こういうことも含めて、日本は南北軸では小国の多い西太平洋に津々浦々連合、それから東西軸ではシルクロード外交を展開し、同時にそれに学問をからめていくことが、21世紀の日本の世界への新しい貢献になるのではないかと思います。
以上、政治システム、経済の構造改革、危機管理に関しましては、災害対応に強く、国政全般を改革し、東京の一極集中を打破するというこの三大目的を持った首都機能移転によって突破口が開けるということです。外交安全保障に関しては、離島振興を、陸地中心から海洋中心にパラダイムを変えることによって、西太平洋津々浦々連合の中に生かす。
シルクロード外交は、イスラームとの関係を媒介にして、ロシア、中国、さらにEUに対する牽制にもなる。国際連合の中での友邦をたくさんつくることにもなる。生活スタイル改革に関しましては、「生活の55年体制」を打破し、家と庭が一体の「家庭」を復活させ、それを緑の雇用事業とあわせてやっていく。これはサラリーマン小作の勧めでもあります。
県をなくし、日本を「森の日本」「平野の日本」「山の日本」「海の日本」という四つの日本として地域再生を国づくりとして推進する。
この国の「顔」はカレンシーに刷ってある福沢諭吉です。福沢諭吉は「一国独立の基礎は一身の独立にある」「一身独立の基礎は学問にある」と言った。学問立国の顔なのです。
明治期における学問は洋学でした。しかし、洋学の時代は終わったと思います。明治5年に学制ができ、漢学、国学を退けて洋学でやると決めて、洋学の知識の体系に応じた国のたたずまいを欧米風してきました。洋学を今、毎年300万の学生が学んでいます。17万人の先生がいます。日本人が日本語によってすべての学問を教えているのです。教科書がすべて母国語で書かれている。そんなところはめずらしい。アフリカに行っても、カリブ海に行っても、旧植民地宗主国の教科書を使っている。日本語の教科書が書かれるのは、洋学は入れ切った何よりの証左です。入れ切って日本は世界第2位の経済大国として西洋先進国サミットの唯一の非西洋圏メンバーです。貯蓄率も高い。個人資産もある。森林資源もある。農地はほうったらかされている。これからは、むしろフロンティアを外ではなく中に求めていこう。そのための学問、地域を興すための学問が真の日本の学問になる。
洋学を目的にするのではなく、それを手段として踏まえた新しい学問です。それを「地域学(ローカロジー)」といってもいいし、「地球学(グローバロジー)」といってもいい。両者をあわせた地球地域学(グローカロジー)を立てて、地球の中で自分の地域がどういう位置にあるかを勉強していく。そういう新しい学問が今必要です。文科省が教科書を検定するなど、国民をばかにするなと言いたいですね。幕末には4万5,000の寺子屋があり識字率は世界一でした。検定はありません。けれども、持っている知識は共通していました。ましてや今日においてです。検定なしで何を勉強するべきかを見分ける実力を国民は持っていると思います。そういう中で我々は、薄っぺらい教科書でルーチン化した学問をやる時代を卒業して、地域に立脚した生き生きとした学問をおこすべきときです。
例えば漁師の畠山重篤氏が『森は海の恋人』という自伝を書きました。森と海と川との関係をみずからの体験から一つ一つ確かめていって、豊饒な海を持つためには広葉樹を山の中に植えねばならないということを発見していった人生の旅の記録です。海・川・森の関係は、彼が生きている気仙沼地域だけではなくて、日本津々浦々、さらに世界じゅうに成り立つ基本的な知恵であり、知識であることに気づいていく学問ですね。これはグローカロジーの一例です。ヨーロッパが、みずから辺境の地域から自立していくときに、学問を興し、その学問にのっとった形で国をつくり、それを我々がまねて勉強したように、今度は我々自身がみずから学問を立てて、それを人々が学びに来る、そのような学問立国としての顔を——私は、慶応の福沢さんより、早稲田の大隈重信さんの方がいいと思うのです。東西文明の調和を言いましたから福沢さんより構えがはるかに大きい。ともかくライバルの慶応の福沢さんの顔を日本に刷っており、学問立国としての日本という姿は胸を張れるものです。
清貧論などという偽善は言わない。豊かな富を恥じる必要はありません。富をどう使うかが問題です。シビライズドウエイで使う清富論であるべし。もともと富国強兵も、ご承知のように、それを明確に論じた横井小楠は国是三論で「富国強兵士道」と士の道がはいっている。「士道」とは「シビライズドウエイ」です。士道というと侍のイメージがありますが、富士の「富」はプロスペラス、富士の「士」モラル・プリンシプルズといえば富国有徳の国ということができます。日本の富は文明国にふさわしい使い方をする、環境破壊や人命の殺傷というのは野蛮な使い方です。富国有徳の国づくりが日本の世界に対するアイデンティティになると思う次第でございます。(拍手)
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