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(583) もう一度農本主義?
私は高校生の時から、一人でふらふらと旅に出るのが好きであった。それらの旅で、鈍行の車窓から眺めた各地の風景で美しいなと今でも印象に残るのは、夏の緑の稲穂の広がりであった。日本の国土の美しさは、私においては、水田で実るお米の波に象徴されているようである。
その美しい風景が、夏というのに何もない、田んぼの土がめくり返されているだけの無残な姿に、そう、歯抜けのように茶色の区画が点在するようになったのはいつごろからであったろうか。多分、1980年代の初めごろからではなかったか。米の生産を抑えるという、わけのわからぬ政策の結果ということだった。
農業が第1次産業と分類され、第2次の製造業はおろか、第3次のサービス業が国の「産業」の最先端の如くにはやし立てられた時代は、それほど昔ではない。製造業が一つの頂点にいたり(1985年ごろ)、バブルに狂った頭の中に鎮静剤として太平洋の向こうからもたらされたのが、この「これからはサービス業の時代」という低能も極まれりの考え方であった。国民全体がパチンコ屋の経営で飯が食えれば世話はない。
そのようなアホな時代の波の中で、農業が見捨てられていったのも無理はない。親の家には立派な畑も田んぼもあるのに、都会に出てきて、サービス業の末端で生活する若者が増えたのも時代の故か。(サービス業の最末端は駅前のティッシュ配りである。)
職業に貴賎はないけれど、食べ物を作る農業の重要性はいうを待たない。その大事な農業が、冴えない職業とされては、クニ(国)が衰亡するのも当然であろう。国民の頭の中から健康的な思考が消えていったのも当然であろう。
その挙句が、国の食糧自給率40%弱という悲惨な現状である。世界の食糧事情はこの1年で急激に悪化した。今年は、アフリカ、アジア、ラテン・アメリカ各所で食糧暴動(food riots)が頻発するだろう。金持ちニッポンといえど、札束握り締めて出かけても、誰も食糧を売ってくれない事態になりつつある。自国民を食わせるのが優先されるであろうことは、アホでもわかる。
ともかく、食糧の価格はすべてがうなぎのぼりに上がっていく。これは、農家にとっては、一大チャンスである。厳しい労働に耐えて続けてきた農業経営がようやく陽の目を見ることになる。お米も何も、価格が3倍にもなれば、いかに何でも、そこそこ「裕福」な農家となるだろう。農業こそ、これからもっとも華やかな「産業」になる。
日本には、伝統的に、「農こそ国の礎(いしずえ)」という考えがあった。浅学の私ゆえ、確かではないが、幕末の安藤昌益がその考えを体系化した元祖ではなかったか。その「農本主義」がもう一度甦る(よみがえる)のではないか。農業のルネサンス(再生)である。
敗戦後の日本で、空き地という空き地で何かしらの作物が育てられていた時代が、もう一度来るのではないか。食べなきゃ死んでしまうのだから、いざとなれば全員自作農である。ゴルフ場の芝生はひっぺがえして畑にし、飛行機が一日1便という地方空港の滑走路のコンクリもはがして畑にする時代がすぐに来るのではなかろうか。
農は国の礎である。
(08.04.02.篠原泰正)
by n-ir | 2008-04-02 17:46 | 篠原英語塾
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