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小泉純一郎という奇蹟 (池田信夫blog)
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投稿者 真相の道 日時 2011 年 6 月 03 日 19:00:18: afZLzAOPWDkro
民主党のドタバタにはあきれるしかないが、きのうアゴラBOOKセミナーで田原総一朗さんに「なぜ日本の政治はこれほどグダグダになるのか」ときいたら、「かつての自民党は派閥の集金力が求心力になっていた。
金を集められる人望のある政治家が派閥の領袖になり、彼が集めた金が政治力の源泉だった。それが90年代以降、日本経済に余裕がなくなり、派閥の力が落ちて求心力がなくなった」とのことだった。
自民党にはもともと政策なんかなく、官僚の決めた政策にからむ利権を選挙区に分配するのが政治家の仕事だった。
しかし田原さんの言葉でいえば、政治が「利益の分配」から「負担の分配」に変わったとき、こうした集金モデルは機能しなくなった。
そのとき金の力に代わって政治を動かすようになったのは、世論を動かす言葉の力だ。しかし戦後の政治には言葉の力で政治家を鍛える伝統がなかったので、小沢一郎のような古いタイプの政治家が依然として力をもった。
その中でただ一人、言葉の力で権力を取ったのが小泉純一郎だった。
党内にまったく基盤のない彼が首相になったのは、「自民党をぶっ壊す」という既成秩序への挑戦だった。
実際にどの程度それが実現したかはともかく、彼は世論の力だけで5年半も政権を維持した。
それは橋本政権がつくった官邸主導の枠組を利用したのだが、それを可能にしたのは、小泉の「天才」と、飯島勲・竹中平蔵という「参謀」の類いまれな組み合わせだった。
その前後の政権がすべて短命だったことをみると、小泉政権は奇蹟というしかないが、天才や奇蹟によってしかまともな政権運営ができないというのは、政治の仕組みに欠陥があるとしか考えられない。
それは何だろうかと田原さんにきいたら「問題は仕組みじゃなくて小泉のような政治家が出てこないことだ」という。
『日本経済「余命3年」』の座談会で竹中平蔵氏に同じ質問をしたときも「制度じゃなくて人だ」という答だった。
だとすれば問題は、小泉のような政治家がリーダーになれない組織にあるということになる。
民間でも高い業績を上げているのは、ユニクロや任天堂やソフトバンクなどのオーナー企業である。こういう会社は創業者がトップだから、彼の命令は絶対だ。
つまり組織がリーダーを選んだのではなく、リーダーが組織をつくったのだから、組織内の利害関係に配慮する必要がない。
考えてみると、かつての派閥はそういうオーナー型組織だった。
経済学でいうと、これは交渉問題をいかに減らすかという契約理論の中心的なテーマである。
日本の大企業は、膨大な系列・下請け企業の交渉問題を長期的関係で調整するノウハウを蓄積しているが、こうした既得権を守る増分主義は、今のような大きな変化を実現するときは弱い。
こういう場合は所有権(残余コントロール権)を資本家(株主=経営者)に集中する古典的な資本主義がうまく機能する、というのがハートなどの古典的な結論である。
ここから演繹的に考えると、よくいわれる首相公選制も意味があるかもしれない。
これは常識的には「ねじれ」を増やすだけだが、どうせ憲法を改正するなら、参議院を廃止して首相選挙と衆議院選挙を同時にやればよい。
そして閣僚も局長級以上の官僚も首相がすべて指名すれば、意思決定は明確になり、交渉問題は激減するだろう。少なくとも参議院を廃止する(あるいは衆議院を絶対的に優越させる)だけでも、憲法改正はやるべきだと思う。
(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51714623.html)
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