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岩手県の急回復で見せつけた「小沢一郎---達増拓也コンビ」の底力! 伊藤 博敏(現代ビジネス)
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投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 5 月 26 日 07:18:35: igsppGRN/E9PQ
岩手県の急回復で見せつけた「小沢一郎---達増拓也コンビ」の底力!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/6140
2011年05月26日(木) 伊藤 博敏 :現代ビジネス
ゼネコン幹部が、仮設住宅の建設状況を根拠に、岩手県の"政治力"を誉める。
「仮設住宅の完成見通しは、岩手県が7月前半までに必要戸数(1万4000戸)がすべて完成します。それに対し、宮城県(同2万3000戸)と福島県(同1万5200戸)は8月前半となりそうです」
発注戸数の差や、福島県には原発事故という特殊事情もあって同列には論じられない。ただ、避難所生活を強いられている被災者は、人目を気にせず一家が過ごせる仮設住宅を切望しており、そのスピード感は自治体への満足度を押し上げる。
ゼネコン幹部が続ける。
「結局、岩手県は小沢一郎---達増(拓也)知事というコンビで、復興事業を効率よく仕切っているということです。小沢さんが中央省庁に根回し、調整のうえで予算を分捕り、それを"弟子"の達増知事が効率よく配分する。道路や上下水などのライフラインは、業者に丸投げするという緊急随意契約。政治と行政と業者のトライアングルが、こうした非常時には生きるんです」
達増知事は、外務省キャリアを経て、1996年の総選挙で新進党から出馬して当選。「元祖小沢チルドレン」で、4回、連続当選の後、小沢氏と距離を置いていた増田寛也岩手県知事の4選を阻止するために、07年の知事選に出馬して当選を果たした。
今も小沢氏への忠誠を隠さず、統一地方選での民主党敗北を受けた4月25日の記者会見で、「政治体制を強化するために小沢一郎元代表を要職に起用すべきだ」と述べた。また、小沢派のメルマガである「日本一新」では、もっと踏み込んで、震災復興における「政治主導」の実態を明かした。
がれき処理で関係省庁を糾合、平時なら1年かかる調整を2〜3日で終わらせたのは小沢氏側近の樋高剛環境政務官だったという。また、被災地の名簿作成は、「住宅地図と名簿を片手に、一軒一軒あたるという小沢一郎さんに習った選挙手法」でもあった。3月28日に現地入りした小沢氏とは、県と国の予算配分などのアドバイスを受けて、「(小沢氏が)財務省にかなりの影響力を行使しているという印象を受けた」という。
さらに仙台空港を在日沖縄米軍が片付けたのは、やはり「小沢側近」の米津等史元代議士であることを明かすなど、手放しの「小沢礼賛」だった。
それは事実だろう。
岩手県で展開されているスピーディーな利権調整と予算執行に比べた場合の宮城県の"遅さ"を指摘するゼネコン関係者は少なくない。それは達増知事と村井嘉浩宮城県知事との差だという。
「村井さんは業者に依らず、理詰めで政策を実行しようとする。だから自分が委員になっている復興構想会議で、『災害対策税の導入』『水産業復興特区』『東日本エコマリン特区』など、よく考え付くなと思うぐらいいろんなプランを提出する。でも、その構想が実を結ぶのは何ヵ月も先で、しかも議論で終わる場合が少なくない。急がれているのは予算を分捕り、大胆に執行すること。結局、村井知事はしょせん松下政経塾なんだ、と思ってしまう」(仙台の建設業者)
村井氏は、防衛大を卒業した自衛官だったが、1992年、松下政経塾に入塾、95年に卒塾すると宮城県会議員となり、05年10月の県知事選に立候補して当選、現在、二期目である。テレビなどでの生真面目な表情と発言が印象に残るが、その分、正当な手続きにこだわるということだろう。
どちらが正しいというのではなく、「小沢---達増コンビ」が持つ情報力、人脈、キャリアが大震災という非常時に生き、村井氏にはそれが欠けた、ということだ。
そして小沢氏は、その政治力をもう一度生かそうと、自分を遠ざける菅直人首相にさまざまな攻撃を仕掛けている。
犬猿の仲だった渡部恒三最高顧問とは、5月24日、「合同誕生会」を開いて、関係修復をアピールした。東北復興で手を結ぶだけでなく、菅包囲網作りという思惑もある。
同日、自民、公明両党は、6月22日の今国会末までに内閣不信任案を共同提出する方向で本格的な調整に入った。その際、小沢グループは、造反して不信任に賛成する可能性がある。
小沢氏が、こうして政局への動きを強めていた24日、皮肉にも東京地裁では「陸山会事件」の第13回公判が行われ、水谷功水谷建設元会長らが証人尋問された。
水谷氏は弁護側証人。それは、2004年10月、政治資金規正法違反罪に問われている石川知裕元秘書(現代議士)に渡したとされる5000万円について、「渡せ」と指示はしたが、「渡ったかどうかはわからない」と、あいまいな表現をしているためだ。
弁護側は、謝礼は石川秘書ではなく先輩の大久保(隆規)秘書に渡ったと思っていたこと、社内ルールでは川村尚元社長が単独で裏ガネを渡すことはないこと、といった水谷証言を引き出して、「裏ガネ1億円(2回目の5000万円を含む)を提供した」という検察の事件構図を突き崩そうとした。
報道では、「渡ったかどうかは不明」とする水谷証言や、「(川村)社長を(受け渡し現場の)ホテルに連れて行った記憶がない」といった運転手供述もあって、裏ガネの提供があったかどうかは微妙と映る。
ただ、法廷で川村氏や2度目の5000万円を渡したところを現認したという山本潤氏の証言を聞いていれば、いくら検察でもここまで細かい「偽の供述」を誘導できないと確信する。
ヤミ献金の審理はこれで終了、判決の行方は別にして、ゼネコン、サブコンが、いかに岩手県の工事において、小沢事務所を大事にしていたかは証明されたし、裏ガネの否定は難しい。
実は、小沢事務所が県内に張り巡らした圧倒的な建設パワーが、陸山会事件の元凶だし、大震災ではその力が復興に生かされた。
二つは同根だ。
そして利権は批判されるのが常だが、利権があるから業者が群がって本気の"仕事"につながり、その習性を生かして役所は官製談合を主導するという現実がある。
その現実を受け入れたまま、「政治改革」の旗を振り続けてきたところに、「霞が関=検察」の反発が生まれ、小沢氏は行く手を阻まれている。そこに、この政治家の不幸がある。
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