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ナクバの日 エジプトの「パレスチナ連帯」デモ
川上泰徳2011年05月16日(約3500字)
エジプトのアレクサンドリアで15日に行われたパレスチナ連帯デモ=川上撮影
今日(5月15日)、アレクサンドリア図書館の近くの海岸通りを歩いていて、「パレスチナのナクバの日だ」と気がついた。パレスチナの旗をかかげてデモ行進をする群衆を見たからだ。ああ、時代が変わったんだ、と思った。エジプトには長くいるが、エジプト人が警察の妨害をうけずに、「パレスチナ連帯」を掲げるデモを見たのは初めてだ。アラブ世界なのに、不思議なことに聞こえるかもしれないが、ムバラク時代には、エジプト人が街頭に出て、パレスチナ人との連帯を叫ぶデモを行うのは許されてはいなかったのである。
「ナクバ」とは、大惨事または大破局の意味である。1948年5月14日、国連のパレスチナ分割決議を受けて、英国統治が終了し、イスラエルが独立を宣言した。決議を拒否した周辺アラブ諸国は15日に旧パレスチナに攻め込み、第一次中東戦争が始まった。現在のイスラエル領内に住んでいたアラブの村にはユダヤ軍が攻撃をかけ、70万人のアラブ人が難民となって、ヨルダン川西岸やガザ、またはレバノン、シリアなどに出た。現在、パレスチナ難民は現在470万人を数える。60年を超えて、難民生活を続ける人々がいる。その悲劇の原点にあるのが「ナクバ」なのである。
15日には、パレスチナのヨルダン川西岸やガザ、さらに東エルサレム、さらにはイスラエルとレバノンの境界などで大規模なデモがあり、イスラエル軍とパレスチナ人の衝突で多数の死傷者が出ている。
エジプトでナクバに合わせて、エジプト人がパレスチナ人に連帯するデモは、ムバクラ体制が2月に崩壊したために可能になった。アラブ諸国の政治指導者たちは口では「パレスチナ支持」を唱えても、国民がパレスチナ連帯の行動を行うのは許さない。特にエジプトやヨルダン、さらにはサウジアラビアなど湾岸諸国など親米国家は、・・・・・続きを読む
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