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http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20110512k0000m070142000c.html
発信箱:時代遅れ?ビンラディン=布施広(論説室)
80年代末、ソ連軍と戦うイスラム武装勢力に同行してアフガニスタンの山岳地帯を歩いた。ウサマ・ビンラディン容疑者も遠くない場所にいただろう。十数年後、彼が米同時多発テロ(01年)の黒幕としてお尋ね者になった時、私は岩の迷路のような山岳地帯を思い出し、そこに身を隠せば捜し出すのは容易ではあるまいと考えた。
だから、彼が隣国パキスタンの首都近郊に住んでいたのは意外だったが、もう隠れる気はなかったのかなとも考えた。逃げて命を永らえるより、米軍と戦って死にたい。それでこそ「ビンラディン伝説」は完成すると思っていたのではないか、と。
ちなみに、彼が尊敬した2人のイスラム思想家のうち、サイード・クトゥブはエジプトで絞首刑に処され、アブドラ・アッザームは地雷の爆発によりパキスタンで死んだとされる。ビンラディン容疑者も戦って死ぬ「殉教」を望んでいたに違いない。
そうと知りつつ米国は彼を殺すしかなく、かくて「伝説」は亡霊のように世界をさまよい始めた−−というのは実に気分が重くなる見方だが、「もうビンラディンは時代遅れ」という声もあることはある。
アラブや日本の識者らは言うのだ。若者中心の民衆運動が中東の封建的な体制を揺さぶる折、もはや世直し運動に過激思想は不要だと。そうであってほしい。が、中東の怨念(おんねん)の力学はそんなに単純で直線的か、という疑問も頭を離れない。
たとえば米軍機の誤爆で家族を失ったり、今の国際秩序に怒る人々は米国を憎み続けるだろう。欧米が好感する民衆運動も、分裂して過激にならぬものでもない。民衆運動が国際テロを抑止すると考えるのは甘くないか。米国の中東通は「ジス・イズ・ミドルイースト(なにしろ中東だから)」とよく言う。楽観は禁物だ。
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毎日新聞 2011年5月12日 0時02分
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