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『自然災害と人類主義』
-スマトラ沖大地震の救出支援劇に思う-
−ユニセフのHPより−
2005/4/10
04年の年末12月26日,スマトラ沖大地震があり,インド洋沿岸国での津波被害があった。
とりあえず自然によって巨大な「殺戮と破壊」が行われたわけである。05年4月7日のインドネシア政府の発表によると,インドネシアの死者12万6915人・行方不明者3万7063人を合計した犠牲者の数は16万人余りになるそうである。それで他国の犠牲者も合わせた全体の死者・行方不明者も約25万人弱ということになる。上の写真は,スマトラのアチェ州でその「殺戮と破壊」が終わった廃墟の画像である。
さて,私などはこの地震と津波の報道を見た時,わあっすっげえというのが最初の反応であった。そこに住む人たちの生命が「大殺戮」を受け,財産や自由が「大破壊」を受けていることを心配するよりも,地震と津波の「殺戮と破壊」の凄まじいパワーに驚愕していたというのが率直なところであろう。つまり,私には国連=人類主義的な発想がなく,たぶんあらゆる国で多忙な人生を送り,安全と生き易さを求める諸個人にもそういう発想はないと思っている。
まず私には,インドネシアやインド洋沿岸国に住む人たちへの強いアイデンティティがない。国連の諸機関に属する人たちが自分たちには強くあると信じているであろう人類主義的なアイデンティティというものがないのである。
自分が身近に受けた阪神大震災や中越地震の「殺戮と破壊」に対する感情とは明らかに違うのである。自分の家族や友達やあるいは善き日本人たちが,なるべく死なないように,その住居その他がなるべく壊されないようにと心配したのと比較して,スマトラ沖大地震,インド洋沿岸国での大津波に際しては,本当に軽い感じの心配しかなかったのである。
人類主義者は存在してもよい。しかし,国連に属する人類主義者は居丈高に人類主義を振りかざすべきではないと私は思う。
まず彼らの人類主義は,実はそれぞれの国家=政府に統治された民族主義を主なその財政基盤,実践部隊としている。米英などの軍事力,米日英仏独などのカネ,あるいは主に先進諸国民の寄付金などがなければ何もできないのである。そこで中国のようなたちの悪い国は,国連のカネを少ししか負担しないで,自分がカネを出したとはっきり見えるような災害時には派手にカネやる,カネやると言うのである。しかも日本からODAのカネをぼったくっておきながら。国連ももっと鮮明に,繰り返し,日本とアメリカのカネとそれを提供した両国国民に感謝を表明すべきであろう。
また自然に限らずあらゆる「殺戮と破壊」へのパワーを伴った対応もそれぞれの国家に統治された民族主義の財政と実践に基本的に帰着するのである。スマトラ地震と津波による被害への対応の基本的責任は,たとえばインドネシア政府,その政治勢力,インド洋沿岸諸国の政府,その政治勢力にあるわけである。もしその政府が「殺戮と破壊」を減らし,抑止し,その被害者を救出支援する能力がないのなら,そういう政府は交替すべきである。交替を展望することなく,ただ単に被害者を救出支援だけすれば,本来その政府がなすべき任務を代行して,かえってその政府を持続させてしまうことになる。
人類主義は特に自然災害に対して活発に発動される。自然によって「破壊と殺戮」が行われた。地殻の変動や宇宙現象のような大自然はとりあえず人間の手に負えないし,またそれらに邪悪な意志があるわけでもない。ならば,「犯人」として自然を懲罰できるはずもない。そこで何にせよ「犯人」を懲罰するのが嫌いな,人類主義のヒューマニストは何のためらいもなく欣喜雀躍して救出支援することができる。「加害者」を懲罰しなくてよいというのは人類主義者の趣味にぴったり合う。そこで,被害者を救出せよ,支援せよと心ゆくまで叫ぶことができるわけである。そして,被害者になぜ悲しみや怒りを語らせないのか(相談,心のケア),なぜ逃げられなかったのか(逃走)ということについてだけは政府の責任を問うのである。人間の手に負えないし,また邪悪な意志があるわけでもない自然災害についてさえ,人間の残酷な殺人に対するのと同じように振る舞うのである。
しかも,である。人類主義者はたしかに自然という不可抗力による巨大な「殺戮と破壊」の被害は救出支援しようとするが,諸国内の残酷な殺人犯による人為的な,巨大ではないが,本人と家族や友達にとっては深刻な「殺戮と破壊」の被害にはまともに対応しない。国家による殺人などと称して死刑には反対するが,死刑になった理由としての邪悪な個人による殺人は無視し,事実上許容するのである。
国連に巣食う人類主義者は国内に巣食う人権擁護主義者と同じである。他人の生命権,自由権,財産権を違法性阻却事由もなく,先行的に侵害しない限り,その個人の生命権,自由権,財産権は守られるという人権の基本を忘れて,誰でもかれでも人権を守ろうとする。事由なく先行的に残酷に人を殺した者の人権を守ろうとする病理。国内で残酷な殺人犯の人権など守らなくてもよいように,国民諸個人の人権を守らない支配者の人権を国際社会が守る必要はないであろう。
人類主義者の誤りはいくつもある。まず国際的な財政的,実践的な単位はなおも国家=政府でしかあり得ないのに,それを安易に飛び越えて何かができるように思い,国家=政府の責任を問わないこと,さらに諸国家の国民諸個人はみな自分の人生に多忙であり,その多忙さにおいてなおかつ「殺戮と破壊」を避けようとしていることを理解できないこと。
日本国民なら大多数が,税金を払い,日本国に住みたいと思い,日本国の安全と生きやすさを守ろうとし,他の日本国民の不幸を強く心配するであろう。ならば,私たちも彼らに強い「義理」がある。だが,外国はどうか?。反日イデオロギーをまき散らし,それこそ覇権主義的に行動し,日本の国家体制が変わる前の旧悪の部分だけを誇張し続け,そのくせ我ら国民の税金であるカネをぼったくった,ぼたっくり続けている国家=政府に何の「義理」があるだろうか?。あるいはそういうことに無自覚に安易にそういう国に同調している国家=政府に何の「義理」があるだろうか?。
日本を含む先進諸国の政府やマスメディアや識者の多くも,この人類主義に同調しやすい。友好的でない国家が自然災害による「殺戮と破壊」を受けて,たとえ多少,同情の余地があるとしても,それこそ日本国の国是,国益を冷静に,理性的に再考して,救出支援の質量を判断すべきなのである。
外国の自然災害について,耳目衝動的に救出だ,支援だと叫ぶのは間違っている。日本国民諸個人の安全さと生き易さを侵害し,損傷しているのは誰なのか,何なのかをよくよく考察して,あらゆる政治と報道は行われるべきである。私はスマトラ沖地震に関して,一切の寄付もボランティアも行っていない。国連の分担金を20%も払っている日本国はそのカネを分け取って,救出支援すべきであり,これ以上一円のカネも払うべきではない。
聞けばインドネシア政府と反政府軍の紛争で救出支援の実践部隊は行動を制限されたそうだし,またインドネシア政府の現地のお役人は被害の困窮のさなかグルメに耽っていたそうである。救出支援も相手を選ぶべきであり,不幸の山だ,かわいそうなどいうだらしないヒューマニズムを垂れ流してはならないのである。
人類主義者よ,あんたらが,諸国内の残酷な殺人犯を死刑を含めてどう懲罰するか,誘拐拷問処刑主義と無限独裁と個人崇拝,あるいは言論の自由の圧殺の国家支配者をどう打倒するかを問題にしない限り,私たちはあんたらを決して信頼しない。
(つづく)
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