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大伴家持の「海ゆかば」精神
昨日は、新保祐司・都留文科大教授の講演の一部を紹介した。『海ゆかば』の作曲家・信時潔にふれた。
しかし、詞のほうも重要なので、それを省いたら、新保教授の論説を歪めることになるので、補足しておきたい。
『海ゆかば』は、大伴家持の歌。
大伴氏(うじ)は古来より武人の家柄、天皇の近衛兵の役柄を務めてきた。
当時、奈良時代は唐の律令制度を導入して、いわば戦後のアメリカニズムに染まっていったように、文明開化の時代であった。その新興支配層が藤原家。それに対して、没落していくのが大伴一族だった。大伴家持は、日本の伝統を護ろうとして、「万葉集」の編纂をしたという。
万葉集を単なる偉大な文学作品としてではなく、外来文化の影響に対する日本伝統精神のリバイバルを願う家持の必死の思いを、思い出させてくれた。
ああそうだったのか。「大君の辺にこそ 死なめ 顧みはせじ」の意味が、家持の大和の国への悲壮な愛なのだ、とわたし流に解釈してもいいわけなんだ。
何も尊皇攘夷じゃない。名もなき庶民の防人(さきもり)の歌、これを残そうとしたのも、(今流の言葉で言えば)未来に純粋な日本人の精神を伝えたいとの願いだったのだろう。
大伴家は衰え、藤原家は栄えた。大伴家の敗北は悲劇だった。しかし、その精神は「万葉集」において永遠に生きている。鎌倉幕府の覇権に抵抗した後鳥羽上皇は、敗れて、隠岐に流されて、悲劇の生涯をそこで閉じられた。しかし、「新古今集」は生き続けている。
俳聖・芭蕉も、後鳥羽院を敬慕して、その精神を嗣ごうとした。(というのは、保田與重郎に教えてもらった)。江戸の元禄時代、物質的繁栄に世が流れていくときに、芭蕉が志したことは何であったか。
戦後の日本、アメリカ物質文明が日本人の精神的弱化をもたらしているときに、我々はどこに帰るべきなのか。
『海ゆかば』の復活は、歌の復活に留まらない。
日本の歴史がこの深さにおいて教えられるならば、我々の心に大いなる希望を点じると思うのだが。
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