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東北地方太平洋沖地震
<< 作成日時 : 2011/03/14 20:30 >>
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3月11日午後3時前、下から突き上げるような
衝撃と共にオフィスが激しく揺れました。
私の勤め先はビルの29F。
免震構造のせいか揺れがひどく、船酔いのような
状況になりました。
机の引き出しは開き、PCは倒れ、まともに立つのが
不可能なくらいの揺れでした。
窓の外では対岸のコンビナートから煙が上がってます。
オフィスに残っている人間は7〜8人。
揺れが小さくなってきたのを見計らって机、PC等を
整理します。
が、2度目の大きな揺れ。
しばらくすると、ビルの管理センターの人が来て、
「念のために避難してください」とのこと。
念のために帰り支度をし、階段で1Fまで降りました。
下に付くと大勢の人が避難しています。
広域避難場所の公園まで歩いて向かうのですが、
埋立地ということもあり液状化がひどい。
いたるところで水が噴出し、歩道が崩れています。
しばらくすると、ビルの安全が確認されたということで
戻りの許可が出ますが、上まで行く気がしないので
1Fで外出中の社員の安否確認をします。
が、電話がほとんど利用できない状態。
何百回とリダイアルをし、一人また一人と安否確認が
とれました。
ビルの1階は怪我をしている人はいないものの
避難した人で野戦病院状態。
騒然とした状態が続いていました。
しばらくすると、電車が止まっているとの連絡。
私は最悪歩いて帰れるので大丈夫ですが、一部の人は
会社に泊まることを余儀なくされます。
29Fに戻っている人に飲み物とお菓子を催促されたので
近くのコンビニに行くも商品がほとんどありません。
飲み物と乾き物を購入し、復旧した作業用エレベータで
29Fへ戻りました。
しばらくの間、ネットで情報収集をし帰路へ付くのでした。
帰宅してみると、幸いな事に家の中は地震を感じさせない
ほど何事もなく、家族も無事で安心しました。
実際に震災の直撃を受けた方々に比べれば、些細なこと
ではありますが、非常に緊迫した時間を過ごしました。
被害の状況が明らかになるにつれて死者、行方不明者が
凄い勢いで増えていくという未曾有の災害になりましたが、
震災を運よく免れた人は、今自分達に出来ることを考え、
国民全員が力を合わせてこの危機を乗り越えられたらと
思います。
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