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ANECDOTA EUと「東アジア共同体」
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「東アジア共同体」なる構想が、一部で熱を帯びているという。
「2005年の始まり―アジアに夢を追い求め」と題した朝日新聞社説(2005年1月1日)は、過去の「アジア主義」や現在の経済協力関係の深化、その反面での種々の対立や懸念について触れながら、「東アジアの先行きが不安だからこそ、できることから一緒に進める意味がある」「日中関係にいま求められるのは、ダイナミックなプラス思考である」と論じ、「アジアの実情にあった緩やかな共同体の実現に向けて、まずは夢を追い求めたい」と結んでいる。
ジャーナリズムにありがちな、「結論(ここでは日中韓友好万歳)先にありき」で、都合のよい話だけで論を構成するこの記事にはつっこみどころが多いが、まずは歴史的な無知(無視?)について指摘しておこう。
「EUのように、とは言わない」としながらも「大欧州」を引きあいに出し、ヨーロッパにできるんだからアジアでも、と主張したがるこの手の意見には、やはり「ヨーロッパとアジアは違う」という、面白みのないセリフをどうしても言わざるをえない。「アジア」などというのは(ヨーロッパ人の勝手に考えた)便宜的な地理的区分にすぎず、実体のある「ヨーロッパ」とは性質が異なる。「底に流れるのは、古い歴史や文化をもつアジアの共通性」と言っても、そんなものは存在しないのだからしようがない。
EC(EUの前身)の原加盟国である仏・西独・伊・ベネルクス3国と、「東アジア共同体」(を仮につくるとしたら)の中核である日・中を比較してみよう。
政治面からみると、EC原加盟国(の地理的範囲といったほうが正確だが)は過去に4度、単一の政治権力の下におかれたことがある。5世紀までのローマ帝国、8世紀末〜9世紀前半のフランク王国、19世紀初頭のナポレオン、20世紀半ばのヒトラーである(注:1943年に、イタリアの大部分はドイツ軍に占領された)。分裂していた時期も王家はみな親戚同士で、今日では「議会制民主主義」という共通の政治体制を持つ。
日中は統合されたことは一度もないどころか、正式のつきあいすらない時期のほうが圧倒的に長い。国交があったのは、遣隋使・遣唐使の頃の300年弱,日明貿易の150年、清末〜中華民国の60年ほど、中華人民共和国の30年ほどである。古代日本が取り入れた律令制度が、(日中両国で)社会の実情にあわずあっという間に廃れて以来今日まで、政治体制でも共通点がない。
よくいわれる「文化の共通性」をみてみよう。まず宗教では、欧州は16世紀初頭まで、カトリック教会という単一の宗教団体が(少なくとも公の)精神生活をとりしきっていた。宗教改革後、西独とオランダでは新教が多数派となったが、同じキリスト教にはかわりない。
対して、日中はひとつの宗教団体が支配した経験を持たない。中国は祖先崇拝、日本では神道と、バックグラウンドからして異なる。日本では儒教は江戸時代の一時期に武士の教養としてたしなまれた程度で、道教は全然受け入れられなかった。外来の仏教が主流になったことはどちらの国でもないし、「教義」が存在しない宗教だから、すぐに土着信仰に混交して別物になっている。
言語や文字はどうか。印欧語族に属し、文法も語彙も似ており、(知識人限定だが)「ラテン語」という共通語が存在した欧州に対し、日中は別の語族に属し、文法もまったく違う。表意文字「漢字」により意志疎通が補われた程度である。しかし、文字は「文化の共通性」をしめす尺度にはなりえない。アラビア文字をつかっているからイランはアラブと共通の文化だ、などと言ったら怒られるだろう。文字は「道具」にすぎず、アラビア文字をラテン文字に変えたり(トルコやマレーシア)、漢字を全廃してハングル(朝鮮)やラテン文字(ヴェトナム)に変えたり、モンゴル文字からキリル文字へ変え、またもどすといったこともすぐできてしまう。
もっとも、日中共通の文化基盤はあるにはある。「中国の古典」である。しかし、僧侶と書物がときどき行き来しただけの日中と、ギリシア・ローマの古典とキリスト教を共通基盤とする欧州の思想界は雲泥の差である。カトリックの時代から宗教改革、啓蒙思想、そして現代に至るまで、欧州の知識人は全欧州の同業者や権力者と交流し、欧州中の読者にむけて著作を発表してきたのである。観念上は、カレルギーのはるか前から「ヨーロッパはひとつ」だったのだ。西洋コンプレックスにさいなまれた文化人や政治家が突然「アジアはひとつ」と叫びだすのとはわけがちがう。
肝心の経済についてはどうか。ヨーロッパは16世紀からすでに、ひとつの経済圏を形成している。穀物も木材も鉱産物も、衣料品などの工業製品も、欧州という共通市場に向けて生産され、取り引きされていた。貨幣や投資や債権など金融についても同様である。熾烈な競争を生き残るために国家の機能が重視され、重商主義や保護主義が台頭した時期もあったが、欧州内のヒトとモノとカネの流れをもっと効率よくしましょう、という自然な流れの中にEUはある、といっていい。
これに対して、前近代では日中間にはごく限られたチャンネルで限られた規模の貿易が行われたにすぎない。中世の一時期、元や明の銭が輸入されあふれかえった、という珍現象が目立つ程度である(それも江戸時代には駆逐された)。明治以後、大陸こそが日本の経済成長に不可欠だと考えるむきもあったが、それは幻想だった。日本が高度成長を達成して世界2位の経済大国になったのは、大陸に置いた膨大な資産を失い、中国との関係が完全に切れている間であった。
ここまで論じると、「共通性などなくても共同体は可能だ」という意見も出るだろうが、そう簡単にはいくまい。半世紀の実績がある欧州の共同体すら、トルコを入れるのをしぶっているのである。日中は欧州とトルコどころの話ではない。相手は反日教育を行っている共産党独裁国家であり、4年前にWTOに加盟したばかりの市場経済初心者なのである。
国益を度外視し友好を最優先する見方、すなわち「天然ガスなどの海底資源を共同開発・管理する仕組みをつくり、明日の平和につなげるのだ」というような考えは、とんでもない思い違いである。経済関係が深ければ平和が訪れるというなら、ドイツが2度も英仏と戦い、日本が米中と戦うというありえないことが20世紀におこったことになる。第2次大戦後にヨーロッパで戦争がなくなったのは、欧州そのものの地盤沈下が直接の原因である。ECは「連合して地位を保とう」という努力のあらわれで、それができたから平和になったわけではない。
「日本がアジアにしっかりした基盤をつくることは、健全な日米関係にとっても決して悪いことではない」という主張にいたってはまったく意味不明である。人口1位の国と経済力2位の国が結ぶことは国際秩序の組み替えにあたる。「まずは夢を追い求めたい」というが、そんなリスキーなことをしてまで求める夢とはなんなのか。冷戦後の世界秩序をアメリカが主導し、日本が従属的なナンバー2であるという状態が気に入らない(認めたくない)というのが本音ではないのか。
結局、「東アジア共同体」は、社説が岡倉天心と孫文を持ち上げていることに示されるように、戦前の「アジア主義」とまさに同根である。人種論と「文明の衝突」論が基礎にあり、「歴史と世界を見ない」という同質の問題を抱えているのである。社説が「いかなる歴史的大事業も、ユートピアに始まり、実現に終わるものなり」というカレルギーの言葉で締めているので、こちらは西園寺公望の言葉で終わりにしよう。
「国家の前途をいかにすべきかということについて、爾来伊藤公始め自分達は東洋の盟主たる日本とか亜細亜モンロー主義とか、そんな狭い気持ちのものでなく、寧ろ世界の日本という点に着眼して来たのである。東洋の問題にしても、やはり英米と協調してこそ、その間におのずから解決しうるのである。亜細亜主義とか亜細亜モンロー主義とか言っているよりも、その方が遥かに解決の捷径である。もっと世界の大局に着眼して、国家の進むべき方向を考えねばならない」
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