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東日本大震災:街はう黒い水塊…本紙記者津波に遭遇 宮古
堤防をやすやすと越えた黒い波が一気に海辺の街に襲いかかった=岩手県宮古市の閉伊川河口付近で2011年3月11日午後3時21分、狩野智彦撮影
波は街をはう黒い水塊のようだった−−。11日午後3時21分、岩手県宮古市の閉伊(へい)川河口近くにある宮古市役所。4階ベランダから見た津波の第2波は「ゴゴゴゴゴ」という音とともに高さ約3メートルの堤防を越えると、瞬く間に地表を走った。
「最悪だ」「うわー」。市職員が放心している。手が震えてシャッターボタンをうまく押せない。そのまま孤立して一夜を明かし、盛岡市に戻ったのは12日夜だった。
宮古市へは統一地方選の取材で出向いた。喫茶店で一息ついた時、揺れが襲ってきた。外に出ると、地面が波打ち、電柱が左右に揺れている。土地勘はない。とりあえず市役所へ向かう車のラジオで地震の規模を知った。
第1波は午後3時16分。岸壁の漁船約10隻を上流へ連れ去った。そして黒い水塊が来た。市役所脇のラーメン店などが流され、市役所駐車場に止めた車も消えた。漂着したLPガスのボンベから白煙が吹き出し、泥とガスの異臭が鼻をついた。
「助けて!」。見ると、住宅の屋根の上で4人が悲鳴を上げている。水位はさらに迫る。「死」の一文字が脳裏をかすめた。
孤立した。固定電話は使えない。携帯電話は圏外。情報源はラジオだけだ。「こういう時こそ励まし合いましょう。みんなで頑張りましょう」というアナウンサーの声が、どれだけの被災者を励ましているか。想像すると熱いものがこみ上げてきた。
12日、水につかりながら津波の爪痕を通って約5キロ歩き、ヒッチハイクで約100キロ離れた盛岡市にたどり着いた。歩く途中の光景はすさまじかった。
いたる所で打ち上げられた漁船や車両が道路をふさぎ、住宅が別の住宅に突き刺さっていた。様子を見に来た人々はみな口をあけ手でそれをふさいだ。まさに「あぜん」だった。
腰の曲がったおばあさんが高台から駆け下りてきた。「父ちゃんと息子が流された」。顔を覆った両手の隙間(すきま)から嗚咽(おえつ)が漏れた。背中をさすってあげることしかできなかった。
自宅だろうか。中年男性はがれきを前に立ちつくし、つぶやいた。
「終わった……」
海は何事もなかったように穏やかだった。【狩野智彦】
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毎日新聞 2011年3月13日 18時57分(最終更新 3月13日 22時34分)
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