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第三の原爆の危機
1945年8/6、広島に落とされたウラニウム型の原子爆弾「リトルボーイ」と8/9に長崎へ落とされたプルトニウム型の原子爆弾「ファットマン」。
この二つの原子爆弾の投下により仰天した大日本帝国は原爆が投下されてから役一週間後の8/15にポツダム宣言を受け入れ無条件降伏を申し入れることになる。
この二つの原爆は日本との戦争を早期に治めることが目的であったが、真の目的は別にあった。
真の目的とは、二つのタイプの原爆の人体実験である。
このことはアメリカ自体も情報公開法に基づいて公開しているのでほぼ確実である。また、原爆投下候補であった、京都・広島・小倉・新潟は爆撃してはならない。という命令がくだっていたようだ。今回の実験をするならば京都が碁盤目上の街であるため原爆の威力を観測しやすいためベストであったらしいが、文化遺産等の存在によって候補からはずされたようである。なお、東京はすでに空襲によって破壊されていたため原爆の正確な破壊力の数値が出ないとされ候補には入っていなかったようだ。
長崎は候補には入っていなかったが、原爆を投下されたのは作戦当日に小倉上空は曇っていたため、作戦を実行するB29が落下地点を探せなかったのである。そのため場所を臨時で長崎に変更した。これも実験の結果をより正確に出すためにやったことであろうと思われる。ただたんに都市を破壊するだけの目的ならおおまかな位置に投下してもいいはず(多分)
さて、実験結果であるが、広島の原子爆弾は成功、長崎のほうは落下地点を山側に誤ったため山によって原爆の威力がやや小さくなったため本来広島型よりも強かったはずの威力が弱くなってしまったそうである。
ところで、アメリカ側は第三の原爆を8/15〜20あたりに使用しようとしていたことが明らかになっている。
今までの流れだと次こそ小倉か?はたまた新潟や京都か?と考えそうだが、この回は東京に投下しようとしていたそうだ。
第三の原爆に限っては実験に使うのではなく、本当に戦争を終了させてしまおうというものだった。
当時の日本は軍部が一億玉砕などを宣言し、本土決戦を実行しようとしていたためこのまま戦争を続けると日米両軍に大きな犠牲者が出ると考えたのである。
そして、8/14(日本は8/15)東京へ落とすための原爆を乗せたB29を広島に原爆を落としたB29の機長・ポール ティベッツ大佐がまたも機長となり、ロスアラモス空軍基地から出発。そしてカリフォルニア州の海岸にさしかかったとき、日本が降伏を受け入れたため、そのままロスアラモス空軍基地へと引き返したそうだ。
もし、日本の降伏が一日遅かったら・・・と思うと恐怖心がわきおこってくる。
それから60年たったが、核実験等は行われているものの、殺傷目的での核兵器の投下は行われていない。できれば殺傷目的の核兵器使用がないことを以後ずっと続いて欲しいものである。
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