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水中カメラ製造、最先端歩み50年 海底漁船撮影も成功
2010年10月18日
島野製作所は、島野徳明社長(中央)を含め4人。長女が経理を担当する=川崎市幸区遠藤町
北海道・白糠町沖で海底に沈んだ漁船を撮影した水中ロボットカメラ=川崎市幸区
水中カメラ製造50年、この分野で常に最先端を歩み続ける社員4人の会社が川崎市幸区にある。島野製作所だ。海洋研究開発機構の有人潜水調査船「しんかい6500」の水中カメラも同社製。今年2月には、水中ロボットカメラ(ROV)が北海道・白糠町沖の海底に沈む漁船の撮影に成功した。
島野徳明社長(80)は終戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)で航空機に搭載する通信機器の検査や修理の仕事に就いたという。それが、米兵に連れられて遊びに行った三浦半島の油壺で、スキューバダイビングと出会う。
「米兵たちはボンベを背中につけて40分ほど潜る。大きなアワビを網にいっぱい入れて上がってくる。衝撃を受けた」と振り返る。
帰国した米兵からもらったボンベやマスクを使って油壺に通い、ボンベの空気がなくなると、東京・千住の会社で補充してもらった。1960年に自分の会社を設立した当初は、ボンベの空気入れが専門だった。
会社の設立後まもなく、顧客から「水中で撮影できるカメラはできないか」との依頼を受けた。カメラ本体をアルミニウムの「箱」で包み、レンズの部分には研磨したガラスを埋めて、シャッターと絞りをリモートコントロールできるようにした。
現在はハウジングやブリンプ(飛行船)と言われ、当たり前の手法だが、当時、水中カメラの製造のノウハウは国内になかった。
ある新聞社から一眼レフのフィルムカメラ、テレビ局からは16ミリフィルムを使ったカメラが持ち込まれた。いずれも「水中で撮影できるようにしてくれ」との要請だ。島野社長は「水中では気圧がかかる。普通のガラスなら割れてしまうし、水漏れがあったらカメラが壊れる。光の屈折率も違うから、映像だってゆがむ」という。
デジタル時代でも基本的な仕事は変わらない。強度を計算し、レンズの材質や研磨方法を研究する。試作し、三浦半島に持って行き、自分で試してみる。80歳になった今も40メートルほど潜る。
「しんかい6500」に搭載された、水深6500メートルに耐えられる同社の水中カメラは現在まで故障とは無縁だ。
島野さんは今年2月、北海道・白糠町沖にいた。行方不明になった、タラ刺し網漁船第8幸福丸の捜索を地元漁協に依頼されたためだ。極寒のなか、リモコンで航行できるROVが活躍。水深190メートルで網にからまった船体を見つけることができた。
島野さんは「作っているものが特殊なので拡大できる会社じゃない。でもね、やりがいはありますよ」と話した。(小森谷清光)
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