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http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/cyzowoman_05Sep2012_24823
アメリカ・ラスベガスのホテルで無防備な全裸姿を写され、流出させられた、英国王室のヘンリー王子。裸の女性に後ろから抱きつくという際どい写真も流れてしまい、一大スキャンダルだと世間を騒がせた。しかし、英国民は意外にも落ち着いており、「みんなでスッ裸になった写真をアップして、王子をサポートしよう!」という“ヘンリー王子応援ページ”なるものまでもがFacebook上に立ち上げられている。日本の皇室だと想像できないことだが、英国民がこれほどまでにも寛大なのには訳がある。ほかの英国王族たちの方が、はるかにスキャンダラスな騒動を起こしているからなのだ。今回は、そんな「英国ロイヤル・スキャンダル」を厳選してみた。
■アン王女
エリザベス女王の長女でチャールズ皇太子の妹であるアン王女は、乗馬が得意な才女。モントリオールオリンピックにイギリス代表選手として出場したこともあるほどの腕前である。幼少の頃はおてんばで、若い頃は線の細い美女として人気を集めていた。1970年には、チャールズ皇太子の運命の女性、カミラの最初の夫であるアンドリュー・パーカー・ボウルズと交際するが、すぐに破局。その後、交際した平民であるマーク・フィリップス陸軍少尉と、チャールズ皇太子の25歳の誕生日である73年11月14日に結婚した。
結婚した翌年3月、チャリティーイベントから帰宅途中、王女誘拐未遂事件が発生した。銃撃戦まで起こるという惨事になったが、犯人に「車から降りろ!」と指示された王女は「とんでもない!」と拒否。その気高さが話題となった。王室のイベントや公務にも積極的に出席するなど、厳格な性格の持ち主であるアン王女ならではのエピソードなのだが、堅すぎる彼女に息が詰まるようになったのか、フィリップス陸軍少尉はニュージーランドの女性と浮気をし、私生児までもうけてしまった。家庭不和の中、王女はエリザベス女王に仕えていたティモシー・ローレンス海軍中佐に心を癒やされるようになり、不倫関係に堕ちた。
89年にフィリップス陸軍少尉と別居したアン王女だったが、同じ年、ローレンス海軍中佐が王女に宛てて送ったラブレターが盗まれ、タブロイドの手に渡るという騒ぎが起こり、大問題になってしまった。すでにフィリップス陸軍少尉との夫婦関係は破たんしていたが、不倫は不倫でありスキャンダルである。ラブレターが一般に公開されたらとんでもないことになると王室は全力で阻止した。
結局王女とフィリップス陸軍少尉は3年間の別居生活の後、92年に離婚。その6カ月後に、ローレンス海軍中佐と再婚をした。イングランド国教会は離婚をよくないとしており、再婚などもってのほかと考えている。それにもかかわらず、夫婦になりたいと式を強行したのだ。スコットランドの教会で、ひっそりと行われた結婚式であったが、タブーといわれた再婚を決行したことで、情熱的な王女だとも見られるようになった。
■チャールズ皇太子のもう1人の愛人“カンガ”
床上手なカミラ(現コーンウォール公爵夫人)が忘れられず、ダイアナ元妃と結婚してからも肉体関係を持ち続けたチャールズ皇太子。1992年の別居後、ダイアナ元妃と皇太子はお互いの秘密を暴露しまくっていたが、その中で最もスキャンダラスだったのが、カミラへの電話盗聴流出だった。「きみのタンポンになりたい」「きみのパンツの中で暮らしたい」という情熱的というより気持ち悪い内容のラブコールに、世界中がドン引き。皇太子は王にはなれないだろうという意見まで飛び出した。
皇太子は今も昔も、関係を持ち始めて40年以上になるカミラ一筋だと言われているが、実はダイアナ妃と結婚する前に、カミラよりも心を寄せていた愛人がいたことがある。オーストラリアの裕福な家庭で育ち、皇太子の側近である男爵と結婚したデール・“カンガ”・トライオンである。
70年代に夫公認で皇太子の「もう一人の」愛人となった彼女は、一時期、皇太子から「自分を最も理解してくれる人」だと絶大的な信頼を寄せられていた。皇太子が結婚した後は、ダイアナ妃にもうまく取り入り、仲良くしていたという。ダイアナ妃は彼女のファッションブランド「カンガ」の服を着ることもあり、一時期はブランドオーナーとして手広くビジネスをしていた。
しかし、持病を抱えていた彼女は鎮痛剤依存になり、アルコール依存も発症。心を寄せていた皇太子もこの頃から離れていった。それどころか、彼女の存在などなかったように振る舞い始めたのだ。依存症治療を受けていた彼女は突発的に窓から飛び降り、車椅子生活に。本人は「誰かに突き落とされた」と陰謀説を主張したが、夫はそんな彼女に離婚を突き付けた。翌年、彼女はインドで発症したとされる敗血症で死亡。ダイアナ元妃が亡くなった3カ月後に、ひっそりと息を引き取ったのだった。
カンガとチャールズ皇太子の関係は、ダイアナ妃と婚姻中にもあったのではないかというゴシップもある。彼女の存在はある意味うまくもみ消されているが、その関係は、皇太子にとってまぎれもないスキャンダルであった。
■ウェールズ公妃ダイアナ
姉の元カレであったチャールズ皇太子と、交際1年で結婚したダイアナ元妃。プリンセスという名にぴったりの美貌にスタイル、透き通るような白い肌の持ち主で、頬をピンク色に染めはにかむ笑顔は世界中でダイアナ旋風を巻き起こした。
しかし、カミラとの交際をやめず自分に興味を持ってくれない皇太子の態度に心を病むようになり、自傷行為、過食嘔吐を発症。毎晩嘔吐後、ベッドに入ってくるダイアナ元妃を皇太子は避けるようになり、ダイアナ元妃も浮気をするように。夫婦関係は修復不可能となり、別居後、お互いの秘密を暴露しまくるなど醜い争いを繰り広げた。
そんな彼女の最大のスキャンダルは、エジプト系のドディ・アルファイドとの交際だといわれている。ドディの父、モハメド・アルファイドは、ロンドンの名門百貨店ハロッズやパリのリッツ・ホテルのオーナーという大富豪。御曹司である彼とダイアナ元妃はステイタスでは釣り合いが取れていたが、ドディはイスラム教徒であったため、再婚するとしたらダイアナ妃は改宗しなけれなならない。それが、将来王になるであろうウィリアム王子やヘンリー王子に悪影響を与えると懸念されたのだ。イギリスの国王の母がイスラム教徒だということは、あってはならない大スキャンダルなのである。
97年8月31日、ドディと共に乗った車がパパラッチに追跡された末、事故を起こし死亡した後にも、「ダイアナ元妃は妊娠していた」というウワサが流れ、悪どい武器商人もいるようなアルファイド一族との子どもが、将来の王と異父兄弟関係にあってはならないと抹殺したのではという暗殺説が流れるように。最愛の息子ドディを失ったモハメドは、「事故は英米の情報機関員ら5人よる陰謀だった」と主張。パリの捜査当局に再捜査を要請したが、却下されてしまっている。
03年10月には、ダイアナ妃が亡くなる10カ月前に執事宛てに書いたという、「私を交通事故に見せかけて殺す計画がある」という手紙が公開され、本物かどうかが大きな話題となった。しかし決め手となるものはなく、時間の流れと共にうやむやにされてしまっている。
■ヨーク公爵夫人セーラ(セーラ・ファーガソン)
1986年7月、チャールズ皇太子の弟でヨーク公爵の称号を持つアンドルー王子と結婚したセーラ・ファーガソン。プレイボーイと呼ばれた王子と自由奔放なイメージが強いセーラの結婚は、当初、王室に新しい風を吹き込むだろうと国民から歓迎された。しかし、すぐに、「ダイアナ妃と比べると下品」「奔放過ぎる」「浪費家」だとバッシングされるように。王子は海軍勤務や王室任務で留守が多く、時間と体を持て余したセーラは手当たり次第浮気を始め、2人は92年1月に別居生活に突入した。
そんな彼女に不倫報道以上のスキャンダルが訪れたのは、92年8月のこと。南フランスでバカンスを楽しんでいるトップレスのセーラのつま先を、財務アドバイザーであるアメリカ人男性ジョン・ブライアンが愛おしそうにしゃぶっている写真や、2人がキスを交わしている写真がタブロイド1面にデカデカと掲載されてしまったのだ。掲載日、セーラはほかの王室メンバーとスコットランドのバルモラル城に滞在していた。エリザベス女王の夫、エディンバラ公は「神のご加護がなければ、私もこうなっていたかもしれないね」というブラックすぎる皮肉を言い、そのタブロイドをセーラに手渡したと伝えられている。女王も激怒し、すぐに城から去るように命じ、96年に彼女はアンドルー王子と正式に離婚した。
離婚後は数億円の借金を抱えていることが発覚し、アメリカでなりふり構わず仕事をするように。ダイエット会社の広告塔を務めた時は、「ヨーク公爵夫人とあろうものが」と英国民に眉をひそめられたという。その後も、未払いで訴えられるなど金欠状態が続き、2年前にはタブロイドのおとり取材に引っかかり、アンドルー王子との面会を取り持つ見返りに50万ポンド(約6,200万円)を要求している動画が公開。王室スキャンダルの女王はご健在だと冷ややかに報じられた。
■マーガレット王女
エリザベス女王の4歳年下の妹であるマーガレット王女。美貌と知性、そして気品を兼ね備えた彼女は、透き通るような青い瞳の持ち主で、パパラッチの標的となっていた。驚異のウエスト18インチ(45cm)の王女は、ツーピース水着姿をパパラッチされた最初の王室女性でもあり、セクシー王女と呼ばれるように。彼女のロマンスは世間から注目を集めたが、社交界のプレイボーイ、ロビン・ダグラス=ホームは自分を振ったマーガレット王女のことが忘れられず持病であるうつが悪化、自殺してしまった。
そんな彼女が起こした最大のスキャンダルは、最も心から愛した男と相思相愛になったことだった。相手は「空の英雄」と呼ばれたピーター・タウンゼント大佐。14歳の時、父親であるジョージ6世の侍従官となった彼に出会い、瞬時に恋に堕ちたのである。2人は愛し合うようになったのだが、当時、タウンゼント大佐は妻子持ちで16歳も年上。関係はひた隠しにされ、トップシークレットとされてきた。しかし、父の死後行われた、姉の女王戴冠式の場で、ラブラブな雰囲気を漂わせてしまい、国民に知られてしまう。タウンゼント大佐は妻と離婚し、王女に求婚。王女はこれを受け入れたが、王室、政府首脳、英国国教会は大反対。タウンゼント大佐はすぐさまベルギーに左遷させられたが、2人は愛を貫き、大問題となった。
タウンゼント大佐一筋の王女だったが、母親の激しい反対に遭い、継承権だけでなく王族としての年金も剥奪すると言われ、泣く泣く別れを決意。国民に向けて、大佐とは結婚しないことを発表するという前代未聞の声明を出した。タウンゼント大佐はイギリスにいられなくなり、ベルギーに亡命。その後、ベルギー人女性と再婚し、95年に80歳で他界した。
王女は60年、スノードン伯爵アンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚したが、ドラッグに手を出し、女とも男とも浮気する夫に嫌悪感を抱くようになる。王女自身も17歳年下の庭師と浮気するようになり、78年に2人は離婚した。その後、ミック・ジャガー、ピーター・セラーズらと浮名を流したり、ヘビースモーカー、ヘビードリンカーぶりがタブロイドを賑わせたことがあったが、年齢を重ねるとともに落ち着いた。晩年は脳卒中に倒れ車椅子生活を送るようになったが、母、エリザベス王太后のよき話し相手となり、母娘の絆を深めたと伝えられている。王女は02年2月に72歳で病死。彼女の死を嘆き悲しんだ王太后は、その1カ月後、101歳で後を追うように他界している。
愛欲、物欲、権力欲など、欲にまみれているような王室。ヘンリー王子のベガスの戯れなど、たわいもない出来事だと思えてしまうほどである。英国民の多くが、「独身である王子がハメを外しただけじゃないか」というふうに寛大にとらえているのも納得だ。
ちなみに、ウィリアム王子とキャサリン妃はクリーンなイメージが強いが、世継ぎ問題などで一気に崩れてしまうのではないかと、陰で心配する声が上がっている。
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