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資本家政党追随のワナ断ち切り
労働者の独立勢力へ道を開こう
アゲンスト・ザ・カレント
今年一一月、米国大統領選挙が行われる。現職のオバマに対して共和党はロムニーが候補者となることが決まった。しかし両者とも、現在の米国市民の要求、特に昨秋一挙に浮上した「九九%」の要求とはほとんど無縁の候補者だ。この選挙を取り巻く社会的背景を明らかにしつつ、選挙にどのように対応すべきかを提起する『アゲンスト・ザ・カレント』の主張を以下に紹介する。(「かけはし」編集部)
人種主義と嘘とカネの踊る選挙
二〇一二年一一月の選挙から出てくるものははっきりしている。それは、近代米国史においては最も人の道に背き人種主義的なものと、また全歴史を通じ最もカネにまみれたものとなるだろう。この政治の年には決定的な問題が賭けられているのだろうか。まったくその通りだ。しかしそれは、われわれが票を投じる対象とはされないだろう。
信用できそうに描き出された素描を貼り付けられて共和党陣営の先頭に立っている大統領候補のミット・ロムニーは、彼の「中道的な」過去、そして、筋金入りの宗教的かつ富裕層課税絶対反対の右翼をなだめるよう工夫を凝らされた党の政綱との結びつき双方を、同時に消そうと試み続けるだろう。彼はそのように運動することはできる。しかし右翼――副大統領候補選びでは拒否権を要求するかもしれない――からの影響を実際に隠すことはできない。また、彼のただひとつの中心的政治原則は大統領になることだけ、というよく知られた事実をも隠すことができない。
ここではロムニーのかつてのライバルであったリック・サントラム――政府を企業の重役室から抜け出させ、それが本来ある所、人々の寝室に取り戻すことを求めている男――の政策を検討する余裕はない。しかしサントラム撤退の後でさえ残っている事実は、共和党の諸分派の争い、すべてが反動的な彼らが本当に互いに軽蔑し合っている、ということだ。彼らを団結させることのできるものがただひとつある。それこそがオバマ憎しキャンペーンであり、それは、人種主義およびわれわれがかつてほとんど想像したこともなかったほどの嘘を、新しいレベルにまで引き上げるだろう。
最大の嘘はすでに吹き出している。それは「バラク・オバマがアメリカを欧州型の社会主義国にしようとしている」というものだ。それについては、それが本当だったら(そして、欧州諸国が次々と、緊縮という毒薬を飲むことで彼らの経済を地中にまで落とすことをしないのであれば)どんなに喜ばしいか、と願うことができるだけだ。「職と繁栄」に向けたロムニー/共和党モデルは、可能な限り多くの勤労民衆を限りなく最低賃金近くまで追い詰めることに帰着する。
バラク・オバマ大統領と民主党は、彼の署名で成立した業績――ウォールストリートの軽蔑の的である者たちの救出、ビンラディン殺害、そして「手頃な健康保険法」――に基づいて選挙運動を続けるだろう。共和党支持者が「掘れ、掘れ」とただ声を上げているだけのその時大統領は、海底油田掘削を実際に拡張することで応じている。彼はまた、ブッシュの無人機戦争を拡張し、国内監視と移民国外追放計画をも拡張――今や三万人もの人びとが、しばしば基本的な医療ケアすら奪われたまま、国外追放を待ちながら抑留センターに留め置かれている――した。
健康保険改革に関しては、六月に最高裁が言い渡す裁定がどのようなものであれそれは、憲法という口実によってうっすらと覆い隠された形で、政治によって決められたものとなるだろう。いずれにしろその決定は、健康保険論争に再度火を着けるだろう(すべての労働組合の戦闘の内その半分以上は今、被雇用者と退職者の健康保険削減に関わっている)。しかし、真の国民健康保険計画――個人権限、使用者の良心に発する産児制限からの除外、何千ページもの理解しがたい規則、その他、というあらゆるたわごとを押し切って進む道――という選択肢は、「非現実的」として始めから排除された。
選挙年とは一体何なのか。本当にそれは、われわれをその気にさせるものなのか。
諸権利に対する一体的大量攻撃
二〇一二年に賭けられている本質的な課題はあるが、それらは、資本主義諸党の大統領選と議会選の運動が対象としているものではほとんどない。それらを前面に押し出し、それらをそこに保つという希望を表現しているものは、昨秋以来のオキュパイ運動だ。次いで、トレイヴォン・マーチンの虐殺が、黒人青年を露骨に標的としたことに対する大量の国内的、国際的憤激に火を着けた。その大衆的圧力は、フロリダ州当局を強制し、遅まきながらジョージ・ツィンマーマンを逮捕し第二級殺人で起訴させた。
簡単な事実は、人種主義的資料収集・整理、警官と自警団員の暴力、投票権抑圧、そして勤労民衆の諸権利の破壊はすべて共通のひな形を構成する部分、ということだ。「固く主義を守る」法律を作成する同じ右翼の立法機関が、同時に米国全州を通じ反労働者立法を生み出してきた。トレイヴォン・マーチンを殺害した犯人であるツィンマーマンに「正当防衛」の主張を可能とした法を書き上げるに当たって果たした「アメリカ立法取引評議会(ALEC)」の役割が露見した今、大企業の一定数はこのあくどい陰の機関から身を引き離すことを強制されつつある。
われわれの社会が直面している最も決定的な課題は以下のように簡略に述べることができる。すなわち、
(1)勤労民衆の賃金、生活条件、基本的な社会サービスに対する諸権利などにかけられた、国内と世界の資本の猛攻撃、
(2)米国内の女性、アフロアメリカン、他の有色民衆に対する極端な攻撃、
(3)中東とアジアにおける新たな戦争の危険の高まり(イランの銀行に対する国際金融システムからの通信遮断は、戦争行為として解釈される可能性はおそらく高く、イラン政権にコーナーに追い詰められたと感じさせるだろう)、だ。
米国民衆多数の願いが結果を左右するものとなることは、さまざまな手段を使ってうまく排除されている。例としてあげれば、出産サービスを女性が利用することを妨げる大量の攻撃、有色かつ貧困な人々の巨大な層から公民権を奪い、未登録移民が職や教育や運転免許証や生活の必要物を得ることを妨げる大量の攻撃がある。大多数にとっては確実に最も極端なものであるこれらの手段は、右翼の州議会の手中にある。そしてそれらの議会は、コッチ兄弟、ALEC、さらに「キリスト教社会保守」の最も頑迷な部分などに喜んで追従しているのだ。
資本主義諸党が相争うスローガン――「アメリカの繁栄の回復」「われわれの未来の保証」「中産階級を守る」その他――は、彼らの本当の綱領を隠すために慎重に練り上げられた空文句だ。勤労民衆多数の未来、職の保障、生活基準は、資本主義の体系的危機と「九九%」を犠牲にするウォールストリートが駆り立てる政治決定、これらが結合した効果からの厳しい圧力の下にある。それらの党は社会的後退と緊縮の管理者と自己宣伝することなどないが、実際はまさにその通りなのだ――そしてそれこそが、溢れるほどの「政治論争」が一連のごまかしと真っ赤な嘘にまみれていることの理由だ。
労働力コストの徹底削減は共通
緊縮攻撃は、「財政」的必要という口実の下に、多様なレベル、全国、州、地方自治体のレベルで遂行されている。共和党と民主党の戦略間の主な違い――そしてそれは重要な違いなのだが――は、かつては強力に組織されていた労働者運動の遺物に対して、それを最終的に打ち砕くべきか、それとも緊縮の管理における目下のパートナーとしてむしろ組み入れるか、に帰着する。
こうしてロムニーは、オバマ政権の自動車産業に対する財政支援を弾劾する。その基礎は、「正常な破産」であったならば「もっと健全な結果」――彼の意味する所では、疑いなく、労働組合協約が一掃され、自動車労働者の時給が一〇ドルあるいはそれ以下となる結果――となる可能性があった、ということだ。それに対してオバマと彼の閣僚は以下のように対抗できる。つまり、GM並びにクライスラーの諸部分を拾い上げようとする私的な投資家は一人も現れず、政府の介入が絶対的に必要だったのであり、新たなかつ未来の自動車労働者の労働力コストを半分に切り下げるためには、全米自動車労組の指導部を協力者に組み入れることが必要だった、と。
その一方で、公務労働者の団交権否認と「働く権利」法という疫病が、いくつもの州議会を貫いて広がっている。また(ミシガン州の例では)地方自治体の破産状態が、州指名の「緊急事態管理者」、あるいは、エリートたちが好む言い方を使えば、「同意協定」をもたらしている。後者においては地方政府が、その「自律性」を維持するためという口実で、労働組合との協定を一掃すること、公共サービスの切り刻み、公共財産の売却に参加する。
自立した運動を政治の舞台に
すべての場合に、これらの暴虐を阻止するために人々が「政治的過程」を使うことの前に横たわる障害は恐るべきものだ。しかし、基本的諸権利に対する攻撃の極端な性格は、最も歓迎すべき反応を巻き起こしてきた。ウィスコンシン州においては、ウォーカー知事がリコール選挙に直面させられている。オハイオ州では、公務労働者から団交権を取り上げる法律が昨年一一月の州民投票で敗北させられた。さらに投票を抑圧するID法の取り消しが、二〇一二年大統領選と同時に行われる投票にかけられている(それに先だって州議会が最初に取り消さないのであれば)。
ミシガン州では、悪名高い「緊急事態管理者」公務法四条撤回のため、共和党議会が採択の態勢にある一団の反労働者法を阻止するため、一連の請願運動が始められた。
そのような取り組みの内最も将来有望なものは、厳しい州財政危機と経済的不平等に取り組むことを狙いとした、カリフォルニア州の百万長者課税イニシアチブ(MIT)だった。しかし悲しいことだがそれは、大労組指導部、特にサービス業従業員国際組合(SEIU)の運動後援に対する拒否によって、舞台の外に出された。それにもかかわらずMITは、オキュパイならびにその運動が火を着けた何千万もの人々が一番槍を努めた「九九%」が、政治において潜在力となっていることの印だった。
MITは、共同体、労働者、さらに反抗する社会勢力を政治の舞台に結合するオキュパイのエネルギーの必要性と可能性を指し示した――必ずしも候補者の選出だけには限られない。そしてわれわれは、オキュパイの再起の一部はこの種の介入となるだろう、と期待している。
同時にわれわれは、競合する衝動――現在の決定的な課題をめぐる行動を取るのか、それとも、より小さな悪である民主党を二年前に次ぐ選挙の瓦解から救い出す活動にエネルギーを投入するのか――の間に相当な緊張があることをも分かっている。われわれの観点では後者のコースは、選択を選挙の度毎に一層惨めにすることが確実なだけの行き詰まりだ。オキュパイ運動、労働者運動、市民権運動、社会運動にとっては、問題は何十年も前からのものとしてそのまま残されている。二つの親企業的資本主義政党という袋小路を打ち破る強力な独立した勢力をいかに打ち固めるか、その課題だ。
何よりもまず闘争が土台
資本主義の下の民主主義は、最良であっても人々に、われわれの生活の諸条件に対する支配をまったく限定された程度で行使することしか許さない。真の民主的な権力が求めることは、生産の労働者管理や人間の必要を見たし環境的破局を避けるための経済の底深い再構築で、資本主義を置き換えることだ。
今のシステムの中で、限定された民主主義を拡張するための闘争の内部でわれわれは、独立した政治に最も決定的に依拠してきた。それが意味するものは、資本主義の支配階級(「一%」)を代表しそこに向けた回答である諸制度と諸党の外側にある党と運動だ。米国の労働者運動とそこと連携した運動は、他のほとんどの資本主義国家におけるよりももっと大きな程度で、支配者の政治的諸構造の罠に捕らわれてきた。
われわれの観点では、オキュパイ運動は、強く求められてきた新しい大衆的な独立的政治勢力の種をもたらしている。しかし二〇一二年の全国選挙という舞台の中では、そのような勢力が結晶化するという見通しはまったくない。それどころか、多くの活動家が「右翼を打ち負かす」ために感じている切実な衝動が、オキュパイ運動の力を薄めるだろう。というのも彼らが、親企業の中道派大統領のオバマを再選させるためにエネルギーを振り向けるよう強いられていると感じているが故だ――彼が依然として変革に向けた力をもっている政治指導者と見られているからではなく、単に代わりのものがあまりに憎むべきものと見えているから――。
それではどのような選択肢があるのか。何よりもまず問題となることは活動家の闘争だ。担保としての家の取り上げと闘うこと、追い立てを阻止すること、国外追放という脅迫をものともしない勇敢な移民の若者たちを支援して立ち上がること、労働者や貧しい者や女性の権利を攻撃する法の波に対決する住民投票のために活動すること、これらは、個々に「より小さな悪」に票を投じることに反対か賛成かを決定するよりもはるかに重要だ。
同時にわれわれは、投票という問題では進歩的な諸党――緑の党や特に社会主義者の諸候補、あるいは運動を代表している地方の無所属候補――への投票が大衆的な独立的政治勢力を求める象徴的な意味をもつ、と考える。それらの勢力は、民主主義を求め、ますます残酷かつ抑圧的となる政治秩序に反対する闘争を前に進めるために必要とされるだろう。
この点では、緑の党、並びに資本主義諸党に対する他の潜在的なオルタナティブの運動はまだ具体化していない。われわれはそれらをその発展に従い関心をもって注視するつもりだ。いずれにしろ、オキュパイ運動が冬の寒さから浮上し二〇一二年の選挙という大嵐に遭遇している以上、その運動の不確実性と困難に対する相応の認識を保持しつつも、われわれは、「オキュパイがわれわれの党だ」と一切の躊躇なく主張する。
(「インターナショナルビューポイント」二〇一二年五月号)
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