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スーダン難民が見つけた第2の故郷、豪州のオレンジ市  AFP
http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/519.html
投稿者 ダイナモ 日時 2012 年 3 月 20 日 18:38:46: mY9T/8MdR98ug
 

【3月20日 AFP】オーストラリアの国民歌「ワルチング・マチルダ(Waltzing Matilda)」の作詞で知られる詩人バンジョー・パターソン(Banjo Paterson)の故郷として知られる田舎の金鉱と農業の街、ニューサウスウェールズ(New South Wales)州オレンジ(Orange)市が、長年内戦の続いたスーダン難民たちの第2の故郷になると想像するのは難しいかもしれない。

 だが、たった1家族で始まったこの街に暮らすスーダン難民は、現在では300人ほどにまで増えている。

「世界で一番の街かもしれない。特に気候がね」とスーダン難民のファティ・ショーマ(Fathi Shouma)さんはたどたどしい英語で語る。「スーダンで暮らしていた場所に似ている。まるで同じ地域のようで、生まれた場所で暮らしている気になる。ここでの生活は幸せだよ」

 だがショーマさんが平穏な生活にたどり着くまでには長い道のりがあった。ショーマさんと妻のネイマット・ダラー(Neimat Darar)さんは内戦の中、スーダンの南コルドファン(South Kordofan)州ヌバ山脈(Nuba Mountains)の故郷を逃れ、エジプトの難民キャンプで3年間を過ごした。

 そこでは、女性たちはしばしば行方不明になり、臓器を取り出すために難民が殺されたといううわさ話がたびたび流れ、人口過密で常に暑く、伝染病は日常の一部だった。

「エジプトはとても大変だった。あそこからここに安全に来られたことを神に感謝しています」とダラーさんは語る。

 前庭から子供たちの笑い声が聞こえるレンガ造りの質素な家で落ち着いてコーヒーを入れる姿を見ていると、エジプトはここオレンジの郊外からはるか遠くの世界のように思える。

 多くのスーダン難民が移住し、この地を第2の故郷とした。2006年の最新の人口調査によると、難民認定を受けてオーストラリアに滞在する外国人のうち24%がスーダンからの難民だった。オーストラリアが受け入れた人道移民を出身国別にみるとスーダンが最も多く、イラク、アフガニスタンと続いている。

■オーストラリアの田舎での挑戦

 最初のスーダン人家族、オスマン・タグ(Osman Tag)さんとその妻、7人の子供たちが、難民たちがまず生活するシドニー(Sydney)を離れて人口3万7000人のこの街に移住してきたのは7年前だった。

 詩人バンジョー・パターソンは、この地域のなだらかな丘陵と川に触発されて詩を作った。タグさんは、スーダンの山岳地方を思い出したという。

「私は小さな村で生まれた。良き友をつくるなら小さな街の方がいい」とタグさんはAFPの取材に語った。

 スーダンからの難民は市の総人口の1%にも満たないが、多民族コミュニティーの中でスーダン難民が占める割合は11%に上る。この数字について、同市広報のアニー・ギャラガー(Anni Gallagher)氏は「かなりの」割合だと述べる。そのうち3分の2は子供だ。

■地元の人の手助けで仕事を得る

 オーストラリアの田舎への移住には苦労もあった。地元の文化プログラムでは乗馬や水泳などが提供されている。青く澄んだ水をたたえたプールでの水泳学習は、地元の子供たちにとっては通過儀礼のようなものだが、難民の子供たちには全くなじみのない経験だった。

 プログラム責任者のカレン・ボイド(Karen Boyde)さんは「かなり生意気な子供たちもいますが、水をとても怖がってプールの底から足を離すこともできないんですよ」と話した。

 英語をほとんど話せず、ときには読み書きもできない親たちにとって、学校や求職、賃貸などの手続きをこなすのは大変だった。

 地元の退職者、サム(Sam)さんとジェニー(Jenny)さんのグロブスナー(Grosvenor)夫妻がショーマさんとダラーさんの手助けをすることになり、申込書を書いたり、新聞を読んだりといった簡単な仕事を手伝った。

 時とともに2家族の間には固い友情が結ばれた。ジェニーさんは「私たちにとっては、とても有意義でした。彼らは本当に驚くべき人たちです。彼らが私たちから学んだのと同時に私たちも彼らから学びました。そして今も学び続けています」と語る。

 グロブスナー夫妻の助けをかりてダラーさんは地元スーパーで肉を詰める仕事を見つけた。早朝の仕事なので、3人の子供たちが学校から帰宅するころには自宅に戻れる。ショーマさんも、地元の新聞に記事が載ったことをきっかけにガソリンスタンドでの仕事を得た。

■子供たちのために困難を乗り越える

 仕事や住宅の確保や、語学など生きていく上で必要な技能の習得に加え、文化の違いを乗り越える必要もあった。スーダン人コミュニティーのリーダー、アブドゥル・ジャバード・フセイン(Abdul Jabbard Hessein)氏は「オーストラリアの子供は16歳になれば独立するが、これはわれわれの感覚ではあまり良くない。スーダンでは子供は結婚するまで両親や家族とともに暮らす」と言う。

 スーダン人移民と地元のアボリジニとの摩擦も折に触れて激化した。地元住民からは本当にうまくやっていけるのか疑問視する声も上がったが、「人々の心の温かさで状況は一夜にして変わりました」(ジェニーさん)

 しかし、2006年にニューサウスウェールズ州タムワース(Tamworth)で、すでに移住していた人たちがオーストラリアの法律と習慣を守っていないとして、5家族の移住が拒絶されたことはよく知られている。この決定は最終的には覆されたが、その過程で何度か開かれた住民集会で、人道移住者をめぐる根深い偏見と意見の相違があることが浮き彫りになった。

 ショーマさんとダラーさんはスーダン難民として初めて、オレンジ市に家を買うことになった。とはいえ、故郷を逃れて今もエジプトにいる家族や友人たちのことが気がかりだ。

「ときに、とても大変なこともある。一生懸命、考えている。自分たちのことでなく、子供たちのことを。子供たちはとても幸せそうだ」と、ショーマさんは語った。(c)AFP/Amy Coopes


http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2866589/8669755
 

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